命のけじめ
「ぅおりゃあああッ!!」
紅蓮の不死鳥となったアライブが、特危獣ベアーへと突撃する。
ベアーは剛腕を交差させて攻撃を受け止めると、岩のような拳でアライブの体を殴り飛ばした。
「っ!」
アライブは空中で身を翻して衝撃を分散し、今度はエボリューション21に跨る。
大袈裟なまでにエンジン音を轟かせると、彼はベアーに背を向けて走り出した。
「グァオオ!!」
アライブは追ってくるベアーとの距離感を測りながら、バイクの速度を更に上げていく。
行動の意図を悟った月岡が、無線機でアライブに告げた。
「日向昇、1分だ」
「はい!」
アライブは頷き、飛びかかるベアーを急旋回して潜り抜ける。
アスファルトが砕ける音を合図に、月岡たちは三方向へと散開した。
「……っ!」
アライブは乗り捨てられた車や瓦礫を活かし、急カーブやウィリーの応酬でベアーを翻弄し続ける。
しかしベアーの驚異的な身体能力はバイクの機動力すらも凌駕し、両者の距離は徐々に縮まっていった。
ベアーの爪が機体を掠め、赤いボディに傷がつく。
月岡が示した1分までは、既に10秒を切っていた。
「今だッ!!」
アライブはアクセルを全開にし、キャリアカー目掛けて疾走する。
そしてキャリアカーの上り坂で助走をつけ、天高く跳び上がった。
10、9、8。
「グァオ!!」
アライブを追って飛び込んできたベアーを、月岡、火崎、金城が正三角形に取り囲む。
三人は呼吸を合わせ、対特危獣用強化手榴弾のピンを抜いた。
7、6、5、4。
「投擲!!」
火崎の号令で投げられた手榴弾が、弧を描いてベアーに迫る。
同時にアライブがバイクを大剣のように構え、落下の勢いに身を任せて振り下ろした。
3、2、1。
「……ゼロ!!」
バイクと手榴弾が同時に炸裂し、凄まじい爆炎が周囲を呑み込む。
灰色の煙の中から姿を見せたアライブに、月岡が駆け寄った。
「しっかりしろ、日向昇!」
「おれは平気です。それよりベアー……大熊さんは」
ベアーの死亡を確認しない限り、戦いは終わらない。
アライブたちは身構えながら、祈るように煙が消え去るのを待つ。
そして視界が晴れた時、そこにベアーの姿はなかった。
「下の雑木林にベアーの生体反応がある! まだ生きてるよ!」
無線機から木原の声が響き、アライブたちの胸に更なる緊迫感が込み上げる。
現状の最大火力をぶつけても倒せない『怪物』を倒すことなど、本当にできるのだろうか。
否、倒さなければならない。
アライブは満身創痍の体に力を込めて、道路から雑木林へと飛び降りた。
「どこだ、大熊さん……!」
冷たい土を踏み締めながら、ベアーを探して林の中を彷徨い歩く。
暫くして、彼は木に背を預けて座り込む人影を見つけ出した。
「大熊さん!」
大熊総一の姿に戻っていたベアーが、ゆっくりと昇の方を向く。
駆け寄ってきたアライブ––昇に、大熊は弱々しく尋ねた。
「坊主か。俺は一体、何を……」
大熊の言葉に嘘の気配はない。
目の前の男に真実を告げるべきか否か、昇は一瞬だけ考えた。
しかしすぐに迷いを振り払い、客観的事実を告げる。
「あなたは100人の人間を殺した後、おれや月岡さんたちと戦いました。そしてこの雑木林に吹き飛ばされたんです」
「……そうか」
煙が立ち昇る高速道路を見上げながら、大熊は力なく呟いた。
幾分か落ち着きを取り戻した彼の脳裏に、馬渕の姿が過ぎる。
「あいつは、馬渕はどうなった」
「死にました。あなたの手にかかって」
そう答えた昇の頬を、一筋の雫が流れ落ちた。
予報外れの大雨が、二人の体温を奪っていく。
心まで冷たく凍らせて、昇は残酷に告げた。
「あなたは取り返しのつかないことをした。だから、ここで終わらせます」
「……そうか。そうだろうな」
大熊は重々しく立ち上がり、一際大きな溜め息を吐く。
そして小さく頷くと、昇の目を見据えて言った。
「だが俺は生きたい。他の命を、犠牲にしてでも」
大熊は拳を握りしめ、腰を低く落として構える。
威圧感の中に僅かな優しさを滲ませて、彼は拳を握りしめた。
「坊主、これは生存競争だ。……本気で来い」
昇も戦う構えを取り、両者は奥歯を食いしばって駆け出す。
凍えるような雨の中、二匹の獣がぶつかり合った。
互いの拳が体を打ち、蹴りが骨を砕く。
もう、倫理も善悪もなかった。
生きたいという純粋な願いに衝き動かされるまま、二匹は闘争に明け暮れる。
そして彼らは、最後の一滴まで生命力を絞り尽くした。
断続的な白い吐息が、大雨の空に溶ける。
次の一撃で全てが決まると、昇たちの本能が告げていた。
「ぅおりゃああああ!!」
「ぬぁああああっ!!」
昇と大熊は怒号を張り上げ、雌雄を決する拳を振るう。
その拳が互いを打つ刹那、二匹の脳裏に過去の記憶が蘇った。
志を共有する仲間として戦った、短くも尊い記憶。
それが大熊を人間にした。
彼は生存競争から降りた。
「……見事だ、昇」
大熊は優しくそう言って、濡れた雑草の上に崩れ落ちる。
血と傷を洗い流すかのように、冷たい雨がいつまでも降り続けていた。
———
けだものどもが夢の跡
「……大熊さん」
血に塗れた握り拳を解いて、昇は大熊の頬についた泥を拭う。
どこか安らかな彼の死に顔を見つめながら昇はふと先ほどまでの殺し合いは夢だったのではないかという錯覚を覚えた。
最期の瞬間、大熊の心は人間そのものだった。
ならば自分がしたのは……。
「ッ!」
最悪の想像が脳裏を過ぎり、昇は唇を噛む。
大熊の遺体を運ぼうとした所で、彼は二人の悪魔に遭遇した。
「やあ、アライブ」
「ソウギ、GOD……!」
「大熊総一の死体をこちらに渡せ。それは貴重なサンプルだ」
GODが長銃を構えて要求する。
長い沈黙の末、昇はようやく言葉を捻り出した。
「……大熊さんも、お前の実験材料なのか」
「ああそうさ。共存の会も、興梠くんも、何もかもね」
「どこまで命を弄べば気が済むんだ。お前はっ、命を何だと思ってるんだ!!」
昇は遮二無二駆け出し、ソウギの胸ぐらを掴む。
引き剥がそうとするGODを制して、ソウギが仰々しく言い放った。
「命は大切さ、だから独占する。……僕は最強の特危獣を作る。そしてその心臓を取り込み、死すら超越した究極の生命体となるんだ!」
昇の手に力が入る。
ソウギの首を締め上げんとしたその時、背後から月岡の声が響いた。
「日向昇!!」
GODに弾き飛ばされた昇を受け止め、月岡がソウギたちを睨みつける。
ソウギは飄々とした態度で言った。
「話の分かる人が来てくれて助かったよ。そこに転がってる大熊くんの死体、こっちに渡してくれ」
「……駄目です月岡さん。奴らに渡したら、大熊さんが」
「貴様は黙っていろ」
GODが銃口を突きつけ、昇の言葉を遮る。
月岡は逡巡の後、絞り出すように告げた。
「……いいだろう」
「ありがとう! やっぱり君は賢いね」
喜ぶソウギの元に、GODが大熊の遺体を運ぶ。
悠々と去っていく二人に背を向けて、月岡が言った。
「帰るぞ」
「……はい」
––それから数時間後、昇たちは特撃班本部へと帰還した。
関係各所への報告といった業務を終えた火崎と金城が退勤したことで、本部には月岡と木原だけが残される。
熱心にコンピュータを操作しながら、木原が独り言を呟いた。
「これで原型は完成。後は……」
「何をやってるんですか?」
「エボリューション21の改良だよ。マブちゃん……いや、特危獣ホースの進化の種を組み込んで、アライブを更に強化するの」
木原は作業を続行したまま答える。
戦いの後、馬渕の遺体は特撃班が回収し管理・研究にあたっていた。
彼女は更に続ける。
「今回の件で、特危獣が人智を超えた化け物だってことを改めて思い知らされた。対抗するために、使えるものは何でも使わないと」
「……そうですね」
頷きながら、月岡は馬渕ら共存の会に想いを馳せた。
特危獣でありながら人の心を持ち、人間との共存を望んだ一団。
日向昇の孤独を理解できた唯一の存在。
だが結局は野生の本能に呑み込まれ、彼らの理想は崩壊した。
不意に胸騒ぎを覚えて、月岡が言う。
「少し、あいつと話をしてきます」
月岡が麻婆堂に上がると、昇は灯りすらつけずに窓の外を見つめていた。
外の闇夜と見分けがつかない程の暗さの中、月岡が彼に声をかける。
「少しいいか」
「……月岡さん」
未だ止まない雨の音が、少しくぐもって店内に響く。
暫く間を置いて、月岡が口を開いた。
「大熊を倒して、後悔しているか?」
「してません。戦わなきゃいけない相手でしたから。……でも」
月岡は否定も肯定もせず、昇の次の言葉を待つ。
昇は窓の外に目をやり、躊躇いがちに続けた。
「……でも、せめてしっかり弔いたかったです。例えGODに撃たれても、おれは大熊さんのために戦うべきだった。それだけは後悔しています」
「だがそれでは、お前は確実に死んでいた」
命を救うということは、時に非情な決断を迫られるということでもある。
そこに例外はない。
昇が大勢のために大熊を倒す決断をしたように、月岡も昇のために大熊の遺体を引き渡す決断をした。
その重責を思い、昇は喉元まで出かかった言葉を呑み込む。
胸の中で言葉を練り直して、彼は口を開いた。
「月岡さん」
「どうした」
「大熊さんと最後に戦った時、おれはおれじゃありませんでした。大熊さんと同じ、本能のままに暴れる獣だったんです」
命を救えなかった遣る瀬なさも、馬渕を喪った哀しみも、あの時の昇からは吹き飛んでいた。
彼はただ自己の生存だけを望み、その障害となるものを全力で排除する獣だった。
そして敵が強くなる程に、昇の中の獣も成長する。
日向昇の人間性を喰らって。
「人間でいたらみんなを守れない。獣になったらおれでいられない。月岡さん、おれはどうしたらいいんですか?」
「その答えは、お前自身で出せ」
悩む昇を、月岡は敢えて突き放す。
都合のいい答えを示してやるのは簡単だが、それは昇を操っているようで嫌だった。
昇を人間として尊重するのであれば、選択権は昇自身にあらねばならない。
「すぐじゃなくていい。だが、使命とか誰かのためとかを理由に決めるなよ。お前が心から生きたいと思った道を、真っ直ぐに生きろ」
「……はい」
昇は深く頷いて、夜の闇に背を向ける。
降り頻る大雨は、いつの間にか小雨に変わっていた。
「僕の予想通りだ。ベアーの進化の種は、これ以上ないほどに素晴らしい成長を遂げている」
ゴム手袋越しに赤黒い肉塊を撫でながら、ソウギが恍惚の表情で言う。
森の奥の洋館に、ソウギの高笑いが響き渡った。
「やはり僕の仮説は正しかった。野生の本能を高めれば高めるほど、より良質な遺伝子が得られる!」
大熊の命と引き換えに得た理想の研究成果に、ソウギは天井を仰いで叫ぶ。
だがすぐに無感情な顔で俯くと、彼は隣に立つGODに言った。
「……でも、まだ足りない。僕の理想を叶えるにはもっと強い遺伝子が必要だ。アライブのような遺伝子がね」
ソウギの口元が邪悪に歪む。
そして彼は、反動実験に次ぐ新たな目論見を告げた。
「アライブの人間性を消し去る」
雨の勢いが再び強まり、夜空に一筋の稲光が迸る。
既に次の一手が指されていることなど知る由もなく、昇と月岡は本部に戻っていった。
「あ、二人ともおかえりー。みかん食べる?」
どてら姿で炬燵に入りながら、木原が二人を出迎える。
みかんの白い筋を丁寧に剥がす彼女に、月岡が当然の疑問をぶつけた。
「……どうして炬燵を?」
「だって、外寒かったでしょ?」
木原は屈託のない笑顔で言う。
そして二人にどてらを着せると、背中を押して炬燵の中に入らせた。
「凄いあったかい! おれ、初めて炬燵入りました!」
「……ちゃんと片付けるんだぞ」
「明日になったら片付けるよ。それよりほら、なんかして遊ぼ!」
「じゃあおれトランプやりたいです! 大富豪!」
「ふっ、かつて八切りの月岡と呼ばれた俺に勝てるか?」
賑やかな笑い声と共に、昇たちの夜は更けていく。
性格も過去も背負ったものもバラバラの3人は、小さな炬燵の中で確かに共存していた。