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第17話 友よどうして

因縁を染める猛毒




 早朝のスクランブル交差点は、冬のような寒さに包まれていた。

 午後から雨との予報が出た空には濃い灰色の雲が立ち込め、道行く人たちも傘を持参している。

 画一的な足取りで横断歩道を歩き続ける彼らの中心に立ち、真影星也はほくそ笑んだ。


「これで、全てに決着がつく」


 真影は糸杖を手の中で一回転させ、近くを歩いていた男の首に沿わせる。

 先程まで公務員だった男の生首が血に落ちた瞬間、スクランブル交差点はこの世の地獄に姿を変えた。


「ば……化け物ぉおおおおッ!!」


 真影は特危獣スパイダーに変貌し、手当たり次第に糸杖と爪を振り回す。

 その度に悲鳴が飛び散り、黒いアスファルトの道を赤い鮮血が汚した。

 市民の通報を受け、昇たち特撃班は現場に急行する。

 彼らは到着するや否や避難誘導を開始し、市民を脅威から遠ざけた。


「ようやく来たか」


 スパイダーは殺戮を続けながら、交差点から民間人が消えるのを待つ。

 避難誘導を終えた特撃班が、スパイダーを四方から取り囲んだ。


「真影! これ以上はやめろ!」


 ライフルの引き金に指をかけて、月岡が警告する。

 スパイダーは彼の言葉を鼻で笑い飛ばし、彼ら目掛けて糸弾を連射した。


「月岡、お前まだ俺を説得する気でいるのか? 相変わらず甘ったれだな!」


「……ぐっ!」


 糸弾の一つが月岡の肩に命中し、彼の手からライフルが落ちる。

 すかさずライフルを受け止めた昇がショックブレスを起動し、心臓を殴りつけて叫んだ。


「超動!!」


 昇はアライブ・ライオンフェーズに変身し、ライオンキャノンを撃ちながら突進する。

 火炎弾を掻い潜りながら、スパイダーが糸杖を突き出した。


「動きが単純すぎだ、バァカ!」


 鋭い切っ先がアライブを捉え、彼を貫かんと襲い来る。

 しかしアライブは上体を逸らして攻撃を躱し、そのままライオンキャノンを後方に放り投げた。


「月岡さん!」


「何っ!?」


 奇策に怯んだ隙を突いてスネークフェーズに変化し、ヌンチャクの連打を見舞う。

 元に戻ったライフルを受け止めた月岡が、続け様に特殊強化弾を放った。


「ぐああッ!」


 糸弾すら相殺する特殊強化弾の威力をその身に喰らい、スパイダーは大きく吹き飛ばされる。

 背中から地面に叩きつけられたスパイダーに、月岡たちが銃口を突きつけた。


「もう終わりだ。降伏しろ」


「……そうだな。だが」


 スパイダーはニヤリと笑い、腹の底に力を込める。

 警戒する月岡たちに、彼は悪意に満ちた叫びをぶつけた。


「終わらせんのは、お前らをぶっ殺してからだ!!」


 腕から伸ばした糸で彼らを薙ぎ払い、スパイダーは真影の姿に戻る。

 淀んだ目に戦慄する月岡を映して、真影は恍惚の表情で呟いた。


「……見せてやる」


 真影の目から涙のように小蜘蛛が溢れ出し、彼の足元に『蜘蛛溜まり』が形成される。

 それは一体の大蜘蛛となり、真影の肉体を完全に飲み込んだ。

 全身に毒素を流し込み、彼を特危獣の姿へと変える。

 変貌を遂げた真影の肉体が、蜘蛛の群れを吹き飛ばしてその姿を現した。


「これが、俺の欲しかった力だ」


 凶悪にして強靭なる毒蜘蛛の化身、スパイダー猛毒体。

 彼は音もなくアライブの背後に回ると、紫色の剛腕を勢いよく振りかぶった。

 攻撃されたということすら分からぬまま、アライブが宙を舞う。

 そしてビルの壁に激突した彼は、ゆっくりと地面に落下した。

 その隙を逃す筈もなく、スパイダーは糸でアライブを絡め取る。

 彼は糸をヨーヨーの如く操り、アライブの体を勢いよく墜落させた。


「そら! もう一回だ!」


 スパイダーは糸を振り回し、アライブを幾度も地面に叩きつける。

 蹂躙を楽しむ彼に、火崎が叫んだ。


「やめろ! 日向が死んじまう!」


「ああ。殺すつもりでやってるからな」


 スパイダーは何食わぬ顔で頷き、地面に転がったアライブを蹴りつける。

 変身の解けたアライブ––昇の心臓を目掛け、彼は糸杖を振り上げた。


「やめろ!!」


 月岡が特殊強化弾を撃ち、スパイダーの動きを止める。

 スパイダーは大きな溜め息を吐くと、月岡の目を見て問いかけた。


「そんなにこいつが大事か。……俺よりも」


「……ああ。市民を脅かす怪物より、仲間を思うのは当然だ」


「ふざけるなァ!!」


 月岡の返答に、スパイダーが慟哭する。

 彼の嘆きに引き寄せられるかのように、しとしとと雨が降り始めた。


「……いっつもそうだよなぁ。お前は高潔で誇り高くて正しい。だがな、俺を否定する正しさなんていらないんだよ」


「真影……」


 スパイダーは哀しく笑い、再び昇に顔を向ける。

 この期に及んで自分ではなく月岡たちを案じる昇に、人間時代の真影が重なった。

 特危獣と戦う力を持つ、月岡の相棒。

 かつてなりたかった自分そのもの。

 真影星也を形作る全てに別れを告げ、彼は昇の心臓に糸杖を突き刺した。


「死ね」


 先端から染み出す毒が心臓に伝わり、昇は激しく痙攣する。

 泡を吐いてもんどり打つ彼に月岡たちは駆け寄るが、幾ら呼びかけても反応はない。

 騒ぐ彼らに冷たい眼差しを向けて、スパイダーが言った。


「安心しろ、すぐには死なない。だが、次に喰らえばアウトだ」


「てめえ!!」


「俺と来い、月岡」


 激昂する火崎には構わず、スパイダーは月岡だけを誘う。

 『断れば昇を殺す』という無言のメッセージを発しながら、彼は月岡の返事を待った。


『シズちゃん行っちゃ駄目! 罠に決まって……』


「うるさい」


 木原の声が響く無線機を、スパイダーが無慈悲に破壊する。

 月岡は考え抜いた末、仇敵の要求を呑んだ。


「……分かった」


「いい子だ」


 スパイダーは月岡を糸で縛り、彼を連れてスクランブル交差点を去ろうとする。

 愕然とする火崎と金城に、月岡が最後の伝言を頼んだ。


「日向昇に伝えてくれ。『待っている』と」


 スパイダーに抱えられ、月岡はビルの向こうに消えていく。

 強まる雨に打たれながら、火崎は救急車を呼んだ。

 救急隊が昇たちを車に乗せ、誰もいない街を疾走する。

 行き先は、東都総合病院。

———

太陽を育てた男



  東都総合病院の病棟に、電話の音が鳴り響く。

 スパイダーの襲撃で多数の傷病者が出たことにより、未だ多くのアリ人間が眠る各地の病床は瞬く間に埋め尽くされていた。

 それでも医者たちは奮闘し、医療崩壊を最前線で防ぎ続ける。

 初老の男性・榎本もまた、その一人だった。


「先生、急患です!」


「分かりました。すぐに向かいます」


 看護師からの連絡を受け、榎本は患者の元に急ぐ。

 そして彼は、思いがけない人物と再会を果たした。


「昇くん……!?」


 かつて15年もの間主治医を務め、遂に救えなかった日向昇。

 榎本は驚きを必死で抑え込み、患者の容体を確認した。


「……とても危険な状態です。今すぐ手術しましょう」


「お願いします!」


 付き添いの火崎と金城が深々と頭を下げ、榎本に全てを委ねる。

 榎本は大きく頷くと、数人の医師や看護師と共に昇の担架を運んでいった。

 集中治療室のランプが点灯し、昇の手術が開始される。

 手術が終わるのを待ちながら、火崎が両手を組んで祈った。


「死ぬな、日向……!」


「今は待つしかできません。それより気になるのは、あの榎本という医師です」


 あくまで冷静な態度を保ちつつ、金城が口を開く。

 両手を解いた火崎に、彼は淡々と続けた。


「彼は日向さんの名前を知っていました。後で話を伺ってみましょう」


「……ああ、そうだな」


 それから二人は何も言わず、昇とスパイダーに連れ去られた月岡の身を案じ続ける。

 数時間後、手術は予定通りに終了した。


「どうやら、峠は越えたみてえだな」


 病室のベッドで眠る昇を横目に見ながら、火崎が呟く。

 毒を受けた時に比べるとかなり落ち着いてきてはいるが、その寝顔は未だ険しい。

 体温も40度を超えていた。


「しかし、今すぐ戦線復帰というのは難しそうですね」


「病との戦いは、根気が肝心です。昇くんと私たち、一丸となって頑張りましょう」


 思い詰める火崎たちに、榎本が言う。

 金城は彼の目を見て、単刀直入に質問した。


「榎本さんは、日向さんとはどういったご関係なのでしょうか」


「え?」


「日向さんが運ばれてきた時、あなたは僅かに驚いていました。まるであり得ない物を目にしたかのように。その理由について、よければ聞かせて貰えませんか」


「……そりゃ驚きますよ。死んだ筈の人間が、急患として運ばれてきたんですから」


 口元を微かに緩めて、榎本は答える。

 彼は窓の外を眺めながら、つい数ヶ月前までの日常を懐かしんだ。


「昇くんは3歳の時、ここに入院したんです。その時からずっと、私は彼の主治医を務めていました」


 しかし昇は18歳の時、闘病の果てにこの世を去った。

 榎本は昇の死を悲しみつつも、それを受け止めて医者の仕事を続けていた。

 故に昇が急患として運ばれてきた時は、心に衝撃が走った。

 ですが、と彼は続ける。


「ですが、昇くんや皆さんについて詮索する気はありません。大事なのは今、昇くんが生きているということです。そして医者は、患者を絶対に見捨てない」


 力強い眼差しで、榎本はきっぱりと告げた。

 医者としての揺るがない覚悟に、火崎たちは思わず息を呑む。

 軽く頭を下げて病室を出た榎本を見送ると、火崎は溜め息混じりに言った。


「……日向がああいう奴になるわけだ」


「彼の性格の源を、垣間見た気がしますね」


 二人の心が緊張から解き放たれ、自然な態度に戻る。

 火崎たちは昇に暫しの別れを告げると、急いで本部に帰還した。


「……おれは」


 一人きりとなった病室に、心電図の規則的な音が響く。

 体を蝕む猛毒に抗いながら、昇は懸命に心臓を動かした。


「おれは、生きる……!」


 同時刻、特撃班本部。

 スパイダーへの対抗策を探るべく、木原は無心でコンピュータに齧りついていた。

 的の能力やスペック、戦い方の傾向を割り出し、数億通りのシミュレーションを行う。

 そして弾き出された勝率は、0%。

 木原は机を叩き、コンピュータの結論を真っ向から否定した。


「そんな筈ない! どこかにある筈なんだ。勝てる可能性が!」


「木原、そっちはどうだ」


 病院から戻った火崎が、作業の進捗を尋ねる。

 木原は首を横に振り、悔しげに答えた。


「……全然だめです。何度計算しても、勝つ方法が分かりません」


「機械の数字なんかにビビるな! あの先生も言ってたぞ。戦いには根気が肝心だって」


「あの先生?」


「我々が会った医者です。その人はかつて、日向さんの主治医を務めていました」


 戸惑う木原に、金城が説明を加える。

 彼は更に続けた。


「とても強くて優しい人でしたよ。紛れもなく、日向さんが持つ優しさの原点と呼べる人でした」


「今、そういう人たちが必死で戦ってるんだ。だから俺たちも、もう一踏ん張りしようぜ」


「……はい!」


 火崎の激励に、木原は再び闘志を燃やす。

 彼女がシミュレーションを再開しようとしたその時、一通の電子メールが届いた。

 送り主の欄には、西都G地区の大工事とある。

 三人はメールに目を通し、その内容に驚愕した。


「これは……」


 驚愕は歓喜に変わり、そして勝利への希望となる。

 木原が勢いよく立ち上がり、希望の名を叫んだ。


「完成したんだ! 最強の新型バイクが!」


 後は昇さえ復活すれば、スパイダーに対抗できる。

 反撃の狼煙が今、確かに燃え上ろうとしていた。

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