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第15話 見失った願い

雨後の人の子








 アント撃破の余韻に浸る間もないまま、アリ人間となった者たちの救急搬送が始まった。


 木原と水野も他の市民たちと同様に、病院のベッドで横たわっている。


 彼らの無事を祈りながら、昇は拳を握り締めた。




「くそっ……!」




 無力感と後悔が心の中に湧き上がり、彼はその場に蹲る。


 階段を降りてきた月岡が、先ほど自分が通った階段を指差して言った。




「日向昇、飯を食うぞ」




「できませんよ。こんな時に食事なんて」




「こんな時だから食うんだ。それも、特撃班の仕事の一つだ」




 月岡の切実な言葉に、昇は小さく頷く。


 階段を上がった二人を、麻婆堂の店長が出迎えた。




「いらっしゃい。麻婆豆腐と塩ラーメンネギ抜き、だろう?」




 店長は昇たちをカウンター席に座らせ、二人の好物を作り始める。


 出来上がった料理を見て、昇はようやく自身の空腹を思い出した。




「何だ、食えるじゃないか」




 麻婆豆腐にがっつく昇を見て、月岡の表情が綻ぶ。


 空になった皿に目を落として、昇は懺悔するように口を開いた。




「……おれ、戦えませんでした。水野さんが殺されると思ったら、体が動かなくて」




 だが結局は、その葛藤が水野を余計に苦しめた。


 自分、そしてソウギたちへの怒りが再燃し、低い声で呟く。




「いっそ心まで怪物なら、おれは迷わず動けたのかな」




「気をしっかり持て。お前は人間として生きるんだろう」




 昇の暗い言葉を、月岡は強く窘めた。


 初めて昇がアライブに変身した時のことを思い出し、月岡の胸が熱くなる。


 この男なら、人間でありながら怪物に堕ちた相棒の影を払ってくれるかもしれない。


 そんな一縷の望みを信じて、彼は真っ先に昇を受け入れる道を選んだのだった。




「俺はあの言葉に賭けてるんだ。嘘にしてくれるな」




「……はい」




 月岡の励ましに、昇は顔を上げる。


 少しずつ前を向き始めた彼に、月岡は吉報を告げた。




「今、金城が関係各所に話を通している。早ければ来月にも解毒剤が量産される筈だ」




 アントの血液から作られた解毒剤は異例の速さで承認が進み、被害者を対象とした臨床試験も行われている。


 そしてその全てが、アリ人間化の根治に絶大な効果を発揮していた。




「事態は確実に好転しているが、ソウギたちはいつ攻めてくるか分からない。俺たちにできるのは、腹ごしらえくらいだ」




「ですね! 店長、麻婆豆腐おかわり!」




 そして昇と月岡は食事を終え、パトロールに出発する。


 もぬけの殻と化した街にパトカーを走らせながら、月岡が助手席の昇に問いかけた。




「妙だと思わないか」




「妙って、何がですか?」




「アントのことだ。普通の特危獣は人間を捕食するが、奴は人間を支配することで仲間を増やした。それが何を意味しているのか……」




「相手がどんな手を使ってきても、おれたちのやることは変わりません。全力で戦って、みんなを守ります。……今度こそ」




 昇の決意に、月岡は無言で頷く。


 彼は近くの路肩に車を停めると、車窓に映る街並みを指差して言った。




「俺はこの辺りを捜索する。お前は向こうを探せ」




「分かりました。何かあったらすぐ連絡します」




「ああ、頼むぞ」




 昇はパトカーを降り、月岡とは逆の方向に歩き始める。


 持ち場に向かうため路地裏を通ると、道に残った蟻酸のすえた匂いが鼻を抜けた。


 昇は足早に路地裏を過ぎ去って、街全体をぐるりと見渡す。


 誰もいない荒れた街の中で、コンビニに入ろうとする茶色いコートの男が目に映った。




「よかった、無事な人もいたんだ!」




 昇もコンビニに入店し、買い物客を装って男に話しかける隙を伺う。


 間近で観察してみると、男は『自棄』という言葉がよく似合う姿をしていた。


 コートは所々が破けているし、髪も髭も無造作に伸び散らかしている。


 男から目を逸らそうとした時、昇は思いがけないものを目撃した。




「っ!?」




 男が握り飯を二つ取り、走って店を出る。


 万引きだ。


 昇は慌てて男を追跡すると、彼の腕を捕まえて言った。




「その商品、まだお会計終わってませんよね!?」




「だったらどうした!」




「駄目ですよ、ちゃんとお金を払わないと!」




「お前バカか? 特危獣騒ぎの影響で、あのコンビニには店員がいないんだ。少しくらい盗んだってバレやしねえよ」




「バレるバレないの問題じゃないです! 着いてきてください」




 昇は男をコンビニに連れ戻し、彼の手から商品を奪い取る。


 代わりに千円札を握らせると、レジで商品のバーコードを読み込んだ。




「三百五十八円になります」




「あ、じゃあ、千円で……」




 男がおずおずと差し出した千円札を受け取り、昇は会計を進める。


 そして釣り銭と商品を手渡すと、彼は満面の笑みで言った。




「ありがとうございますっ!」




「……どうも」




 男は大股で店を出る。


 昇が追いついてくると、彼は先程買った握り飯の一つを手渡した。




「それ、やるよ」




「ありがとうございます! あっちで一緒に食べましょう!」




 昇の勢いに押され、男は公園へと連れて行かれる。


 二人並んでベンチに座ると、昇は美味しそうに握り飯を頬張った。




「……俺は生蔵刀悟なまくらとうごってもんだ。お前は?」




「おれは日向昇って言います。生蔵さんは、どうして万引きなんかしようとしたんですか?」




「ただのやけっぱちさ。逮捕でもされりゃあ、このクソみたいな人生から解放されると思ってな」




「そんな。生きてるって、それだけで凄いことなのに」




「凄い? じゃあ聞くが、この俺のどこが凄いっていうんだ?」




 大柄な体格で詰め寄られ、昇は言葉を失くしてしまう。


 長い沈黙の末、彼は言葉を濁した。




「……場所を変えましょう」




 昇と生蔵は無言のまま、先に警邏を終えていた月岡と合流する。


 月岡は昇たちをパトカーに乗せると、特撃班の本部に帰還した。




「生蔵刀悟三十九歳。東都高校を卒業後、黒井商事に入社。入社当時からパワハラを受け続けた末、半年前に退職か」




 住んでいたアパートを立ち退いてからは実家に籠りきりになり、奇しくもそれでアリ人間化を逃れたらしい。


 調書を読み上げながら、火崎が複雑そうな顔をする。


 金城がパソコンを操作しながら言った。




「そういう方は、セーフティネットに繋げるのが第一です。それより街の状況は?」




「ああ、異状は見当たらなかったぞ」




 それぞれの仕事に邁進する月岡たちの姿に、生蔵は苛立ちを募らせる。


 自分たちと彼らは、どうしてここまで違うのかと。


 調書を指の甲で弾きながら、火崎が言った。




「早く施設に護送したいが、今は特危獣の動きが活発になっている。暫くここにいてもらった方がいいかもな」




「特危獣が暴れてるって? そりゃいい。これであいつらに殺してもらえるぜ」




「何だと?」




 挑発するように言い放った生蔵を、火崎が鋭い目で睨みつける。


 月岡たちも表立って怒りこそしないが、火崎を止めることもしない。


 生蔵に真正面から対峙して、火崎が彼に詰め寄った。




「お前、意味が分かって言ってるのか」




「当然だ。特危獣だけが、俺をこの地獄から解放してくれるんだ」




「ふざけるな!」




 火崎の拳が机を叩く。


 生蔵の襟首を掴んで、彼は怒りを爆発させた。




「特危獣に殺された犠牲者が何人いると思ってやがる! 自分が辛いからって、甘ったれてんじゃねえぞ!」




「ハッ、他人なんて知ったことかよ」




「二人ともやめてください!」




 激化する諍いを見かねて、昇が仲裁に入る。


 火崎に放られた生蔵を助け起こしながら、昇が穏やかな口調で諌めた。




「火崎さんが怒るのも、無理ないですよ」




「……ふん」




「それに、人生はクソでも地獄でもないと思いますよ。今日も明日も心臓が動いてて、ご飯を食べられて、体を動かせて……。それだけで、何か救われたような気持ちになりませんか?」




「また綺麗事か。だが覚えておけ。世の中には、死ぬことでしか救われない奴もいるってことをな」




 生蔵の頑強な態度には、さしもの昇も何も言えなくなってしまう。


 どんよりとした空気に包まれた室内に、甲高い警報が鳴り響いた。




「東都K地区に特危獣アントイーターが出現! 既に現地の警官隊が交戦中です!」




 赤く光るパトランプに急かされて、特撃班は迅速に出動準備を終える。


 簡単に作戦の確認を行い、火崎が号令をかけた。




「一刻も早く特危獣を倒し、市民を守る! 特撃班出動だ!!」




「了解!!」 




 昇たちは声を揃えて叫び、パトカーに乗り込む。


 最後に残った火崎が、呆然と立ち尽くす生蔵に警告した。




「いいか、絶対にここを動くんじゃねえぞ」




 そして火崎も昇たちと合流し、四人を乗せたパトカーが現場へと走り出す。


 右腕のショックブレスを握り締めて、昇はすぐそこに迫る戦いを見据えた。


———


踠く者たち








 特危獣アントイーターの体に、警官隊の一斉射撃が炸裂する。


 しかし銃弾はアントイーターの柔らかい体毛に阻まれ、呆気なく地面に落下した。




「シュルルル……!」




 アントイーターは銃撃をものともせずに闊歩し、強靭な鉤爪で警官隊を圧倒する。


 警官の一人に鉤爪を振り下ろそうとした刹那、特撃班のパトカーが到着した。




「撃て!!」




 現着するや否や、月岡、火崎、金城はアントイーターに特殊弾を撃ち込む。


 アントイーターが怯んだ隙に、月岡が指示を送った。




「日向昇、変身を許可する」




「分かりました!」




 昇はパトカーを降り、ショックブレスを起動する。


 そして高圧電流を纏った拳で心臓を殴りつけ、天高く跳躍しながら叫んだ。




「超動!!」




 昇––アライブは空中で姿を変え、着地と同時に渾身のパンチを繰り出す。


 至近距離で肉弾戦を開始した二体の怪物に、若い警官が拳銃を構えた。


 どちらを撃っていいか分からず、銃口が小刻みに震える。


 遮二無二引き金を引こうとした彼を、月岡が制した。




「撃つな。後から来た方は味方だ」




「えっ……」




「アライブを援護する!!」




 月岡の号令に従い、特撃班と警官隊は散開して小隊を組む。


 アライブが存分に戦えるように空間を広げつつ、どこからでも援護射撃ができる隊列だ。


 若い警官も心を決め、隊列の一つに加わった。




「月岡さん……!」




 アライブは拳に更なる力を込め、アントイーターを追い詰める。


 しかし彼の攻撃より一瞬早く、アントイーターの鉤爪が炸裂した。




「ぐああっ!」




 裂かれた肉体から血を噴き出し、アライブが倒れ込む。


 真っ向勝負では不利と判断して、彼は蛇の姿スネークフェーズへと形態変化した。




「はっ!」




 スネークヌンチャクを伸ばし、鉤爪の届かない中距離から一方的に攻め立てる。


 だが、対抗手段を持たないアントイーターではなかった。




「シュルルル!!」




 粘性の強い唾液を纏った舌を伸ばし、ヌンチャクを絡め取る。


 そして一気に間合いを詰めると、アライブに鉤爪の応酬を喰らわせた。




「うがあっ、うう……!」




 傷ついたアライブの口から、血と逆流した胃酸の混ざったドス黒い液体が溢れる。


 アントイーターがととめを刺そうとしたその時、場違いな乱入者が現れた。


 生蔵だ。




「ここは危険です、下がって!」




 金城の制止も聞かず、生蔵はアントイーターの前に躍り出る。


 ある種病的な笑みを浮かべながら、彼は両腕を広げて叫んだ。




「特危獣、俺を殺せ! 早く楽にしてくれ!」




 アントイーターに人間の言葉は分からない。


 だが、目の前に獲物がいることは分かる。


 彼は特危獣の本能に従い、ゆっくりと鉤爪を振り上げた––。




「ッ!!」




 その刹那にアライブが立ち上がり、背中でアントイーターの鉤爪を受ける。


 呆然とする生蔵の手を握って、彼は切々と訴えかけた。




「ごめんなさい。それでもおれは、あなたに生きててほしい」




 そう言い残して、アライブは再び特危獣との戦いに向かっていく。


 死ぬことすらできない。


 奮戦する彼の姿を眺めながら、生蔵は己の不甲斐なさに泣き叫んだ。




「何でこうなるんだよ。何で俺の人生はいつも思い通りにならないんだよ!」




「いい加減にしろ!!」




 遂に我慢の限界を迎え、火崎が生蔵の頬を殴りつける。


 痛みに震える生蔵に、火崎が厳しい口調で語りかけた。




「本当に死にたいなら、自殺でも何でもやりようはあるはずだ。そうしなかったのは、お前の中にまだ未練が残っているからだろ」




「……っ」




「俺の知り合いの話をしてやる。そいつは自分の意思とは関係なしに、命懸けの戦いに身を投じることになった奴だ」




 彼も生蔵も、共に理想とはかけ離れた環境に置かれている。


 だが、と火崎は続けた。




「そいつは戦い続けている。生きることを諦めずにな」




 火崎の目線の先では、アライブが未だ戦い続けている。


 アライブと昇の手の握り方は、驚くほどよく似ていた。




「まさか、あいつは……」




 二人が見守る中、アライブがゴートブレードで鉤爪を切り裂く。


 そして剣に炎を宿し、横一文字に貫いた。




「ぅおりゃあああああっ!!」




 剣の破壊力に耐えきれなくなり、アントイーターの肉体が爆散する。


 爆炎の中で佇むアライブの背中を、生蔵は直視することができなかった。




「救いは消えた。これからどうするかは、お前次第だ」




 生蔵は何も答えず、逃げるようにその場を後にする。


 彼の足音が聞こえなくなった頃、アライブはようやく人間・日向昇の姿に戻った。




「……帰りましょう」




 生きることに絶望し、死を望む人間もいる。


 その現実を受け止めきれないまま、昇はただ立ち尽くしていた。


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