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第14話 逃げ切れアリの街

新型マシンを組み立てろ






 深い山奥で、特危獣016・ラクーンが登山者の男を襲っていた。


 強靭な体躯で男を組み伏せ、鋭い爪と牙で痛めつける。


 そして息絶えた男の腹を裂き、ラクーンは無我夢中で彼の臓物に齧りついた。


 小動物や果物では決して得られない味わいに、ラクーンはたちまち取り憑かれる。


 しかし彼の捕食は、背後からの衝撃によって終わりを告げた。




「グゥ!?」




 ラクーンの体が宙を舞い、太い木の幹に叩きつけられる。


 体勢を立て直したラクーンの前に、スパイダーが姿を現した。


 スパイダーは糸杖を駆使し、ラクーンをじわじわと甚振っていく。


 瀕死の重傷を負わせたラクーンに背を向けて、スパイダーが無邪気に叫んだ。




「やったぞ月岡! 特危獣を倒した!」




 だが、振り向いた先に月岡はいない。


 その事実を再認識し、スパイダーの胸に行き場のない怒りが込み上げる。


 そしてスパイダーは糸杖を投げ捨て、怒りに任せてラクーンを惨殺した。


 自分が殺した登山者以上の傷跡を晒して、ラクーンの死体が地面に横たわる。


 スパイダーもまた体力を消耗し、真影の姿で倒れ込んだ。




「ぁ……あれは……」




 猛烈な疲労と飢餓に苛まれる真影の目が、登山者の残骸を捉える。


 真影は自分でも気づかぬ内に、その屍肉を貪り喰っていた。




「かなり意識の混濁が進んでるようだね」




 聞こえてきたソウギの声で、真影は正気を取り戻す。


 口の端を血で汚したまま、彼はソウギに問いかけた。




「意識の混濁って、どういうことだ」




「君に埋め込んだ進化の種は、それ自体に自我を持たせた次世代型なんだ。君の体内で少しずつ成長し、やがて君自身を取り込む」




 そうなればもはや真影の自我は消え、完全なる特危獣と化す。


 戦慄する真影に、ソウギが淡々と言った。




「だからアライブたちを倒すなら、急ぐことをお勧めするよ」




「……そうさせて貰うぜ」




 真影は立ち上がり、肌寒い山道を降りていく。


 その背を見送るソウギの中には、既に新たな策略が渦巻いていた——。




「できたーっ!!」




 特撃班本部の研究室に、木原の咆哮が轟く。


 近くで休憩していた昇が、コーヒーを喉に詰まらせて言った。




「できたって、一体何がですか!?」




「特撃班の新型バイク!」




「特撃班の新型バイク!?」




「最高時速400キロでどんな悪路も突っ走る! しかも無公害エンジンを搭載して低騒音低燃費を実現! 現代科学の粋を結集した最強のスーパーマシン!!」




「最強のスーパーマシン!!?」




「……の、設計図!」




「実物じゃないんかーい!!」




 盛大に梯子を外され、昇は頭からずっこける。


 その物音を聞きつけて、麻婆堂にいた月岡、火崎、金城が本部に入ってきた。




「何だ? 今の物音は」




「あっシズちゃん、みんなも! いや実はとうとう完成したんだよ! 新型バイクの設計図が!」




 木原は興奮冷めやらぬまま、三人をコンピュータの画面に近づける。


 精緻極まる設計図を目にした金城が、思わず息を呑んで呟いた。




「凄い……。これが完成すれば、我々の戦力は大きく向上しますよ」




「しかし、うちの設備じゃ作れんぞ」




「それは大丈夫です。西都G地区の大工場に頼んでありますから」




 火崎の指摘に即答し、木原は設計図のデータを大工場に送信する。


 ひと仕事終えた木原が仮眠室に向かおうとした瞬間、上から店長の悲鳴が轟いた。




「今日はみんなよく叫ぶな!」




 呆れ返る火崎を先頭に、五人は階段を駆け上がる。


 麻婆堂の店内は、暴徒化した市民たちによって占拠されていた。




「事情を聞いてる暇は無さそうだな!」




「とにかくこの場を切り抜けるぞ!」




 月岡と火崎が先陣を切り、暴れまくる暴徒たちに向かっていく。


 木原と金城も加勢する中、昇は店長を店の奥へと連れ出した。




「ここにいて下さい」




「あ、ありがとう」




「絶対、ここを動かないで下さいね!」




 昇は店長に念を押すと、カウンターを飛び越えて暴徒を気絶させる。


 どうにか騒ぎを収束させた昇たちは、息を切らして床に座り込んだ。




「……これは」




 暴徒の体を観察しながら、金城が呟く。


 彼らの額には例外なく、蟻の触覚が生えていた。


 金城が慌ててテレビを点け、ニュース番組にチャンネルを切り替える。


 切羽詰まった様子のニュースキャスターが、現場の様子を克明に伝えていた。




「速報です! 都内全域に突如出現したアリ人間が、街で破壊活動を行っています! アリ人間は噛んだ市民を同じアリ人間にしながら勢力を拡大し……きゃあッ!!」




 迫るアリ人間の姿を最後に映像が途切れ、画面を砂嵐が埋め尽くす。


 SNSのタイムラインも、アリ人間に対する不安と恐怖でひしめき合っていた。




「どうやら、アリ人間は全国各地で発生しているようですね」




「しかも噛まれたらアリ人間になるって、まるでゾンビじゃねえか」




 金城と火崎の言葉に、木原の顔が青褪める。


 何かを察した昇たちに、彼女は上着の袖を捲ってみせた。




「ごめーん……噛まれちゃった」




「噛まれちゃったなら仕方ねえ!!」




 火崎が即座に腕を回し、木原を迅速に絞め落とす。


 彼女を床に寝かせて、残る仲間たちに指示を出した。




「俺と月岡で街のアリ人間を鎮圧する。金城は本部で情報収集とバックアップだ!」




「了解!!」




「そして日向、お前は西都G地区に急行して大工場を守れ。何としても新型バイクを完成させるんだ」




「分かりました、行ってきます!」




 四人は頷き合い、それぞれの役目を果たすべく行動を開始する。


 金城から添付された地図を頼りに街を疾走する中、昇は覚えのある人影を見つけた。




「水野さん!」




 彼は一目散に水野の元へと駆け寄り、群がるアリ人間を蹴散らす。


 再会を喜ぶ暇もなく、昇は水野に避難を促した。




「ここは危険です、早く安全な場所へ」




「もう安全な場所なんかありません! 学校も交番も、みんなアリ人間に襲われて」




 襲撃の恐怖が蘇ったのか、水野は昇の腕にしがみつく。


 彼女をアリ人間から庇いながら、昇は打つべき手を考えた。


 乗り物を運転する心得もなければ公共交通機関も使えない。


 特撃班本部に戻ろうにも、その途中で襲われてはどうしようもない。


 取れる行動は、一つだった。




「おれと一緒に逃げましょう。水野さん」




「……はい!」




 昇と水野は手を繋ぎ、アリ人間で溢れ返った街の中を駆け抜ける。


 大切なものを守り抜くための逃避行が、たった今幕を開けた。


———


豪雨の蟻地獄






 アリ人間たちが起こす騒動の中にあって、森の奥の屋敷は台風の目のような静けさを保っていた。


 GODがソウギの前に跪き、作戦の経過を報告する。




「ソウギ様、作戦は全て順調です」




「そうかい。これでますますアライブの進化を促せるね」




 側に控えるアリの特危獣・アントの頭を撫でながら、ソウギはにこやかに答えた。


 彼は椅子から立ち上がり、淡く輝くシャンデリアを見上げる。


 柱の陰に隠れて、真影は静かに誓いを立てた。




「俺は必ず復讐を果たす。俺の存在を蝕むものさえ、力に変えて」




 真影に埋め込まれた進化の種はそれ自体が自我を持ち、やがては宿主を乗っ取ってしまう。


 その力を制御するべく地下室に向かった彼の背後で、ソウギは朗々と語った。




「アライブもスパイダーも、更なる進化のためには人間の要素を捨て去る必要がある。これはそのための儀式さ。……行くよアント、GOD」




「はっ」




 アントとGODを引き連れ、ソウギは屋敷を後にする。


 彼らが動き出したのと同じ頃、街には新たに二体の特危獣が出現していた。




「あら嬉しい。アタシたちと遊んでくれるのね」




「どっからでもかかって来やがれ、アリンコ野郎ォ!!」




 ヌンチャクを手に舌舐めずりをする蛇女と、威勢よく二本の剣を打ち鳴らす山羊男。


 彼らはそれぞれの得物を振るい、アリ人間たちを次々と蹴散らしていく。


 そして数分と経たずして、二人は数千のアリ人間軍団を全滅させた。




「こんなもんかぁ? 全然足りねえな!」




「そうね。人間でも襲っちゃおうかしら」




「その辺にしておけ」




 未だ闘争本能の収まらない二人を、音もなく現れた第三の特危獣・獅子男が制する。


 拳を返り血で染めたまま、彼は不敵に告げた。




「おれたちの本当の出番は、まだ先だ」




 三人は忽然と姿を消し、後には空虚な街の抜け殻が残る。


 こうして人々を恐怖に陥れたアリ人間軍団は、呆気なく壊滅した。




「バカな、あんだけいたんだぞ!?」




 金城から報告を受け、火崎が叫ぶ。


 最後のアリ人間を鎮めた月岡が、昇の身を案じて特殊車両に乗り込んだ。




「……日向昇の援護に向かいます」




「ああ。気をつけてな」




 空を覆う灰色の雲から、ぽつりぽつりと雨が降り始める。


 それがやがて豪雨に変わった頃、昇と水野は西都G地区の大工場へと辿り着いた。


 地面に横たわるアリ人間を避けて、二人は工場の入り口へと向かう。


 扉の前で彼らを出迎えたのは、GODの差す傘の下で雨を凌ぐソウギ、そしてアントだった。




「ッ!!」




 昇は反射的に構えを取り、ソウギたちから水野を庇う。


 早鐘を打つ心臓を押さえながら、昇が声を絞り出した。




「どうしてここに……」




「簡単なことさ。君は特撃班の最大戦力。全国規模で大パニックを起こせば、彼らは君を最も重要な場所に向かわせる。僕たちはただ、それを尾行しただけだよ」




「そんなことのためにみんなを苦しめたのか! 今すぐみんなを元に戻せ!!」




「そう怒らないでよ。アントの血から解毒剤を作れば、ちゃんと治せるんだから」




 ––作れたらの話だけどね。


 ソウギは不敵に笑い、特危獣030・アントの背中を押す。


 不気味に大顎を動かすアントと対峙して、昇がショックブレスを起動した。




「水野さん離れてて。……超動!!」




 昇は心臓を殴りつけ、その身をアライブへと変える。


 数瞬の睨み合いの後、アライブとアントは同時に駆け出した。




「はっ!」




 アライブの振るったゴートブレードを、アントが大顎で受け止める。


 アライブは即座に剣を手放し、無防備な腹部に怒涛の打撃を浴びせかけた。




「おりゃあッ!!」




 渾身の前蹴りでアントを吹き飛ばし、その体が濡れた地面に転がる。


 アントはアライブの肉体を溶かすべく、倒れたまま蟻酸弾を連射した。


 しかしスネークフェーズに形態変化したアライブの振るうスネークヌンチャクの前に、蟻酸弾は一つ残らず弾かれる。


 アライブがとどめを刺そうとしたその時、水野の悲鳴が響いた。




「水野さん!」




 アライブは慌てて振り向き、目の前の光景に愕然とする。


 GODが水野を拘束し、その額に銃口を突きつけていた。




「水野さんを離せ……ぐあぁっ!!」




 ガラ空きの背中に酸を喰らい、アライブは地面に倒れ込む。


 素早く彼を組み伏せたアントが、鋭い大顎をアライブに向けた。


 アントの噛みつきを紙一重で避けながら、アライブは懸命に踠き続ける。


 GODに後ろ手を縛られながら、水野が濡れた髪を振り乱して叫んだ。




「やめて! お願いやめて!」




「やめないよ。彼の命が尽きるまではね」




 水野の頭を掴み、ソウギは強制的にアライブの姿を見せつける。


 アントに蹂躙される彼の姿が、かつて病魔に苦しんでいた自分に重なって見えた。


 どうすればアライブを助けられるのか、水野は記憶の中のノボルに問いかける。


 そして彼女は、一つの結論に辿り着いた。




「……私が犠牲になります」




「え?」




「私はどうなってもいい! だけど、彼にだけは手を出さないで!!」




 水野の叫びに、その場の時が止まる。


 ソウギは込み上げる笑いを堪えながら、彼女の頼みを快諾した。




「いいよ。アント、彼女をアリ人間にしてあげて」




 アントはゆっくりと立ち上がり、一歩ずつ水野に迫っていく。


 その脚にしがみつきながら、アライブは声を枯らして叫んだ。




「ダメです水野さん! そんなのダメだ!!」




「うるさい」




 GODが銃を撃ち、アライブをアントから引き剥がす。


 そしてアントの大顎が、無情にも水野の首筋を捕らえた。




「やめろぉおおおおおお!!」




 大顎から毒素が流れ込み、水野をアリ人間へと変える。


 ソウギの狂った笑い声と大雨が、コンクリートに反射して二重奏を奏でた。


 意識を失う水野の姿が、アライブの目に焼きつけられる。


 煮え滾る怒りに衝き動かされるまま、アライブは絞り出すように告げた。




「……許さない」




「えっ?」




「お前だけは、絶対に許さない」




 アライブはゴートブレードを携え、処刑人のような足取りでアントに斬りかかる。


 激情に身を任せた剣はアントの大顎を容易く破壊し、そのまま胴体を幾度も切り裂いた。


 更に勢いを増した雨が、舞い散る血飛沫を洗い流す。


 遂にアントの息の根を止めたアライブを、ソウギが手を叩いて祝福した。




「おめでとうアライブ! やはり君は素晴らしい逸材だよ!」




 アライブは何も答えず、紅に染まった剣をソウギの喉元に突きつける。


 二人の間には、雨の音だけが満ちていた。




「じゃ、またね」




 ソウギとGODが姿を消し、入れ替わるように月岡の特殊車両が到着する。


 車窓から彼が見たものは、水野を抱き締めて項垂れるアライブとその側で横たわるアントの死骸だけだった。


 月岡は車を出て、アライブの震える肩に手を添える。


 戦いの傷跡に、冷たい雨がやけに痛かった。

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