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第10話 真影事件

死者の影






 昇たちがカメレオンを倒した数日後、一人の高校生が都市郊外の霊園を訪れていた。


 一年前に亡くなった祖父の墓石の前に立ち、火をつけた線香を供える。


 瞳を閉じて両掌を合わせながら、彼は在りし日の祖父に思いを馳せた。




「じいちゃん……」




 数分ほど祖父を悼み続けると、高校生は名残惜しくも手を解いて目を開ける。


 開けた視界の先には、死んだ筈の祖父が立っていた。




「じいちゃん!?」




 生前と変わらぬ柔らかな微笑みを残して、祖父の姿が空に溶けていく。


 僅かな時間でも再会できた喜びを噛み締めながら、高校生は霊園を飛び出した。


 そして数時間後、彼は祖父の元へ旅立った。




「……厄介な事件が起きたものですね」




 スマートフォンでネットニュースを閲覧しながら、金城が呟く。


 研究室で資料を纏めていた木原が、椅子に座ったまま言った。




「何かあったの?」




「ここ数日、東都全域で合計30人が突然死を遂げています。しかも彼らは皆、口を揃えて『死者に会った』と証言しているんです」




「そりゃ怖いねえ。塩でも撒いとく?」




「霊的なものである可能性は低いと思いますが」




「冗談だよ。火崎さんが戻ったら、みんなを集めてこのこと話すね」




 木原はコンピュータに向き直り、資料整理を再開する。


 しかし作業は捗らず、ぼんやりと天井を見上げて呟いた。




「死者に会った、か」




 金城の言葉をきっかけに、木原はカメレオン戦での出来事を思い出した。


 特危獣を生み出した全ての元凶ソウギとの邂逅と、彼が明かした数々の真実。


 その中には、日向昇の出自も含まれていた。




「ヒューちゃんは一度死んだ人間が進化の種で蘇った存在。ソウギの言葉を考えれば、同様の事例が複数あっても不思議じゃない……。よしっ」




 木原は頬を叩き、事件の調査を開始する。


 いつの間にか、資料整理のことは彼女の中からすっかり消えていた。




「ただ今帰りました」




 木原が作業に熱中する中、パトロールを終えた火崎が研究室に帰還する。


 顔を上げた木原に、火崎が紙袋を差し出した。




「頑張ってるな。コロッケ買ってきたけど、食うか?」




 火崎にそう言われて、木原はようやく自身の空腹を自覚する。


 腹を押さえてはにかみながら、彼女は有り難くコロッケを頂いた。




「ありがとうございます。いただきまーす」




 人肌に温い衣と馬鈴薯の優しい甘みに癒されて、木原の顔が綻ぶ。


 金城にもコロッケを配り、火崎が言った。




「日向と月岡はどうした?」




「射撃訓練です。ほら、前の戦いで銃ゲットしたんで」




 カメレオン戦で、昇は新武器ライオンキャノンを手に入れた。


 その扱いに慣れるため、彼は月岡に銃の手解きを受けているのだ。




「でもそろそろ呼びに行かないと。ちょっと行ってきますね」




 木原は立ち上がり、二人のいる訓練場に向かう。


 そして五人全員を研究室に集めると、先ほど金城から聞かされた事件について語った。




「死者に会った人間の突然死か……。現れた死者に法則性はあるのか?」




「ないよ。人によって家族だったり友達だったりマチマチ。ペットなんてのもあったなぁ」




 月岡の質問に、木原が滔々と答える。


 木原は月岡に詰め寄り、己の知的好奇心を爆発させた。




「この事件、謎でしょ? 気になるでしょ? 調べたくなっちゃうでしょ?」




「だが、俺たちにはやるべきことがある。


特危獣の絡まない事件を捜査する権限は」




「ないので! 勝手に調べちゃった!」




 月岡の言葉を遮り、木原がコンピュータを起動する。


 死体の画像を大画面に表示しながら、彼女は調査結果を報告した。




「どの死体も、死因は神経毒による心臓麻痺。しかも首筋には蜘蛛みたいな形の痣が浮かんでる。いかにもって感じじゃない?」




「しかし……」




「いかにも、特危獣の仕業に見せかけた人間の犯行って感じ」




 木原の言葉を聞いた途端、月岡が目の色を変える。


 研究室を飛び出す月岡に、昇が叫んだ。




「どこ行くんですか月岡さん!」




「事件を調べる。お前も来い!」




 有無を言わさぬ勢いに圧倒され、昇は躊躇いながらも月岡の後に続く。


 二人を見送る木原に、火崎が叫んだ。




「どういうつもりだ、木原!」




 金城も声にこそ出さないが、火崎と同等の怒りを込めた眼差しで木原を見据える。


 しかし木原は怯えることなく、毅然とした態度で言い返した。




「今回の事件は特危獣、及びソウギが絡んでいる可能性が極めて高く、捜査の必要があると判断しました。そのため、彼にはどうしても動いて貰いたかったのです」




「……考えあってのことというわけか」




 木原の主張を理解し、火崎はひとまず怒りを収める。


 代わって金城が、普段よりやや低い声色で問い詰めた。




「ですが、言葉選びが少々不適切だったのでは? あれでは月岡さんの心を抉っているようにしか」




「抉ったよ。でなきゃ治せないからね」




 木原は悪びれず、しかしふざけた様子もなく言う。


 拳を握りしめながら、絞り出すように呟いた。




「『真影事件』の傷は……」




 ソウギの出現、死者を見た者たちの相次ぐ突然死、そして真影事件。


 多くの謎を抱えながら、木原は昇と月岡のバックアップを開始する。


 その頃、昇たちは手掛かりもなく街を彷徨っていた。




「ちょっと待って下さいよ月岡さん!」




 目を血走らせる月岡の肩を掴み、昇が彼を無理やり制止させる。


 荒い息をする月岡に、彼は心配そうに尋ねた。




「一体どうしたんですか。今日の月岡さん変ですよ」




 月岡の表情は暗く、何かに取り憑かれているような狂気さえ感じさせる。


 彼は俯き、懺悔の如く呟いた。




「俺は人を殺した」




 突然の告白に、昇はかける言葉を見失う。


 呆然と佇む二人の耳に、憎悪に満ちた声が届いた。




「ああそうだ。月岡静海は人殺しだ」




 昇たちは背中合わせになり、声の主の姿を探す。


 特撃班の制服に身を包んだ灰髪の男が、不敵な笑みを浮かべて言った。




「久しぶりだな、月岡」




 口ぶりこそ馴れ馴れしいが、男の目は全く笑っていない。


 彼は目線を昇に移すと、諭すような態度で語りかける。




「っと、お前が月岡の新しいバディか。悪いことは言わないからやめておけ。そいつはいとも簡単に人を殺す」




「また『人殺し』……あなたは何者なんですか!?」




 戦友を罵られ、昇が苛立ち気味に叫ぶ。


 男は弾丸の突き刺さった警察手帳を開き、自らの名を告げた。




「オレか? オレは月岡の初代バディにしてその裏切りに倒れた男……真影星也まかげせいやだ」




 真影は額に蜘蛛の巣を模した紋章を浮かべ、蜘蛛型の特危獣へと姿を変える。


 不気味に照りつける陽射しの下、昇と月岡は死者に会った。


———


奴の名はスパイダー






 月岡の元バディであり彼に殺されたと語る男、真影星也。


 彼は蜘蛛の特危獣スパイダーに変異すると、全身に殺意を漲らせて昇と月岡に突進してきた。




「今度は俺が殺してやるよ、月岡」




 月岡は側面に回って攻撃を躱し、スパイダーに銃撃を放つ。


 敵が怯んだ隙を突き、昇はショックブレスを起動した。




「超動!!」




 昇-–アライブはスパイダーの背中にしがみつき、持ち前の膂力で彼を月岡から引き離す。


 続けて繰り出したゴートブレードの一撃を、スパイダーが左手の爪で受け止めた。


 すかさず右手の爪を振るい、アライブの胴体を斬り裂く。


 猛攻を仕掛けるスパイダーに、アライブは武器を捨てて格闘戦を挑んだ。




「素人が」




 しかしスパイダーはアライブの拳を容易く受け止め、流れるような動きで上手投げを決める。


 背中から地面に叩きつけられたアライブの眼前で、スパイダーの爪が閃いた。




「喰らえ!」




 突き出される爪を咄嗟に躱し、アライブはスネークフェーズとなって後方に跳ぶ。


 そして遠距離から一方的にスネークヌンチャクを打ち込むが、スパイダーの頑強な肉体には傷一つつけられない。


 スパイダーは欠伸をすると、目を瞑ってヌンチャクを掴み取った。




「そぉらっ!」




 ヌンチャクごとアライブを引き寄せ、強烈な蹴りを見舞う。


 倒れたアライブを踏みつけながら、スパイダーが怒声をぶち撒けた。




「お前みたいなのが月岡のバディとは、とんだ笑い話だなぁ……なぁ!?」




 鮮血と肉片を飛び散らせて、スパイダーは笑いながらアライブを甚振り続ける。


 見かねた月岡がライフルを撃ち、スパイダーに向かって叫んだ。




「よせ! お前の狙いは俺だろう」




「……相変わらずつまらん男だ」




 スパイダーは攻撃の手を止め、月岡に顔を向ける。


 身構える月岡に、彼は演技指導をする映画監督のような調子で言った。




「そうじゃない。もっと情けなく、みっともない姿を見せろ。俺はそういうお前を殺したいんだ」




「真影……」




「興が醒めた。続きはまた今度にしてやる」




 スパイダーはアライブたちに背を向け、上空に白い糸を吐き出す。


 糸はドーム状の繭となり、スパイダーの体を少しずつ覆い隠していった。




「一つだけ聞かせろ。人々の突然死はお前の仕業か」




「ああ。この力の試し運転がしたくてな」




 月岡の問いにあっさりと答えると、スパイダーは全身を繭に包む。


 そして別れの言葉を残し、彼はその場から姿を消した。




「またな、俺のバディ」




 名残として残された絹糸の欠片を、そよ風が攫う。


 何も言えぬまま立ち尽くす昇と月岡の元に、火崎がようやく駆けつけた。




「……島先輩」




「何も言うな。帰るぞ」




 特撃班の本部に戻った三人を、木原と金城が暗い面持ちで出迎える。


 応急処置を受けながら、昇が月岡を問い詰めた。




「説明して下さい。あの人は何者なんですか。月岡さんは何を隠してるんですか」




「……お前には関係ないことだ」




「関係なくないですよ!」




 はぐらかす月岡に、昇が立ち上がる。


 弾みで痛んだ傷を押さえながら、震える声で訴えかけた。




「あの人はおれと同じく、進化の種を埋め込まれた人間です。だったらおれも、あの人について知る必要があります」




 正論をぶつけられ、月岡は反論できずに俯く。


 月岡の肩に手を置いて、火崎が言った。




「俺の口から話すぞ。いいな」




「……はい」




 火崎は月岡の承諾を得て、全員の前に立つ。


 彼は深く息をし、真影について、そして特撃班の抱える最大の闇について語り始めた。




「あれは、半年前のことだ」




 半年前の特撃班は、流刑地も同然の部署だった。


 成果も挙げられなければ犠牲者を減らすこともできず、殉職者も後を絶たない。


 当然予算も少なかったが、特危獣対策は必要不可欠である以上解体もできない。


 皆が志を失っていく中、真影と月岡はバディとして奮闘を続けていた。




「腕を上げたな、真影!」




「月岡こそ!」




 武道場で組み手に打ち込みながら、二人は互いを褒め称える。


 一進一退の攻防の末、真影が強烈な大外刈りを決めた。




「これで99戦中50勝。約束通り、昼飯奢って貰うぜ」




「分かってる。あんまり食い過ぎないでくれよ?」




 月岡たちは訓練を切り上げ、麻婆堂で昼食を摂る。


 ネギ抜きの塩ラーメンを啜る月岡の隣で、真影は既に麻婆豆腐を三杯平らげていた。




「美味いよ大将! 麻婆豆腐おかわり!」




「流石に食い過ぎじゃないか?」




「いいんだよ。腹が減っては戦はできないぜ? ほらネギやるよ」




「いらん!」




 二人は日増しに絆を深め、特危獣との戦いにも緻密な連携で挑んだ。


 しかし特危獣と人間の間にある残酷なまでの力量差を、彼らは埋めることができなかった。




「……くそっ!!」




 その日、真影と月岡は特危獣との戦いに敗北した。


 ベッドの手摺りを殴りつけて、全身に包帯を巻いた真影が叫ぶ。




「何で俺たちはこんなに弱いんだ。どうして誰も助けられないんだ!」




「落ち着け真影。今、木原さんが対特危獣用の特殊弾を開発してる。それさえ完成すれば」




「完成はいつになるんだ? いや、そもそも完成できるだけの予算があるのか!? 弾薬の補充だってままならないんだぞ!」




「それは……」




「上の連中は結果しか見てない。何とかして、奴らに認めさせないと」




 真影は月岡に背を向けて、逃げるように眠りに落ちる。


 その日から、二人の距離は少しずつ離れていった。




「そんなある日、街で人が食い殺される事件が起きた。特危獣の仕業だと判断した俺たちは、真影と月岡を捜査に向かわせた。それがあんな悲劇に繋がるとも知らずに……」




 捜査は順調すぎるほどトントン拍子に進んでいった。


 まるで誰かに誘導されているかのように。


 しかし久方ぶりの成功体験は、冷静な月岡の思考さえ麻痺させていた。




「夕方6時、地下発電所で待ってる」




「ああ。俺たちで平和を守るんだ」




 先んじて地下発電所に向かった真影を見送り、月岡は突入の準備を整える。


 そして約束の時間、地下発電所で月岡を待っていたのは凄惨極まる光景だった。




「時間ぴったりか。流石だな、月岡」




 体のあちこちが食い破られた老若男女の死体を侍らせて、真影が手を上げる。


 咽せ返るような腐乱臭と据わりきった友の目に驚愕しながら、月岡が叫んだ。




「何だこれは……一体どういうことだ!?」




「まだ分からないのか? 今まで追ってきた事件は、全部俺が起こしたものだったんだよ」




「バカな! じゃあ、ここに来る筈の特危獣は」




「そんなものハナからいないさ。まあ、『いたこと』にはなるがな」




 真影は拳銃を抜き、残虐な笑みを浮かべる。


 そして安全装置を外し、月岡目掛けて引き金を引いた。




「歴史に刻まれる事実はこうだ。俺たちは特危獣を倒したが、その代償に月岡は名誉の戦死を遂げる……!」




 放たれる鉛の弾丸を避けながら、月岡は真影に肉薄する。


 彼の腕を掴んだ月岡が、声を振り絞って叫んだ。




「どうしてだ! お前は、市民を守りたかったんじゃないのか!」




「だからだよ。市民を守るには金がいる。上から予算を貰うには、例え事件をでっちあげてでも結果を出す必要があるんだ!」




「そんなのは間違ってる!」




 互いの主張をぶつけ合いながら、二人は武道場の時と同じように組み手を繰り広げる。


 唯一違うのは、これが訓練ではなく実戦ということだ。


 真影の目を見据えながら、月岡が強く訴えかける。




「目を覚ませ真影。人を守るために人を殺すなんて理屈が、通っていい筈がない!」




「どうせ特危獣に沢山殺されてるんだ。何人死んでも一緒だ!」




 真影が月岡を投げ飛ばし、地に伏した彼を組み伏せた。


 馬乗りの状態で拳銃を突きつけ、引き金に指をかける。


 目を見開く月岡に、彼は涙を流して別れを告げた。




「さよなら、俺のバディ」




 勝利を確信した真影が、戦友を葬るための引き金を引く。


 しかしその弾丸が仕留めたのは、月岡ではなく真影の方だった。




「ぐあぁッ!!」




 拳銃が暴発し、真影の掌が血に染まる。


 吹き飛ばされたのたうち回る真影を、月岡は必死で取り押さえた。




「大人しくしろ! 罪を償うんだ!」




「うるさい! お前も、お前も道連れにしてやる!」




 真影は拘束を払いのけ、血塗れの手で月岡の首を締め上げる。


 纏わりつく血の感触と尋常ならざる殺意が、月岡の中に眠る恐怖を引き出した。


 目の前の脅威を排除しなければならないと、生存本能が叫ぶ。


 そして彼は拳銃を抜き、目の前の戦友を撃ち抜いた。




「う……うわぁあああッ!!」




 銃声が響いた時、月岡はそれが自分の手によるものだとすぐには気付けなかった。


 しかし自分が何をしたかは、目の前に横たわる真影の死体がどうしようもなく告げていた。




「真影……」




 ずっと一緒に戦ってきた戦友を、恐怖に駆られて殺した。


 逮捕して罪を償わせるべきだったのに、個人の感情を優先させた。


 心に空いた空洞に、罪悪感と後悔が満ちる。


 火崎たちが駆けつけるまで、月岡はずっと真影の死体に縋りついていた。




「これが、真影事件の真相だ」




 特撃班が抱えてきた闇の正体を知り、昇はちらりと月岡を見る。


 俯く彼の姿が、心なしか小さく見えた。




「事件は上層部の手によって揉み消され、俺たちは事なきを得た。だが、月岡の心は……」




 今も事件の日に囚われたまま、嘆きの雨に打たれ続けている。


 声をかけようとする昇を遮って、月岡はゆっくりと立ち上がった。




「少し、眠ります」




 覚束ない足取りで仮眠室に向かう月岡を、四人は黙って見送る。


 封じ込めていた黒い過去が、静かに蠢き始めた。



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