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第34話:噴水広場

§


 スイートルームの窓から朝日の光が差し込んでくる。10月半ばの柔らかな日差しだ。クォーツは眠い目をこすりながら、身体を起こす。


 ベッドの上で一度、大きく伸びをする。ふと、シュバルツくん人形を見つめる。結局、シュバルツはこの二日間、戻ってこなかった。


 共にベッドで寝てくれたのはベッドの上にあるシュバルツくん人形のみ。気持ちの良い朝だというのに、人形に八つ当たりしてしまいたくなる。


「ダメよ、ダメダメ。シュバルツ、おはよう」


 クォーツは気を取り直し、人形におはようのキスをする。


 今日は朝から皆でジャンゴーの森に行く予定だ。それなのにシュバルツはスイートルームには戻ってきていない。


「シュバルツが約束を破ることは無いと思うけど……」


 一抹の不安がよぎる。しかし、頭を振ることでその不安を掻き消した。


 ベッドの上から降りて、カーテンを開ける。朝日の光をたっぷり浴びて、身体を完全に目覚めさせた。


 今のクォーツはブラとショーツのみの姿である。昨夜、お風呂に入った時に着替えた下着であったが、今日はダンジョンに潜る日だ。


「うーん。下着……。新しくしておこうかな」


 汚れてはいないが、気持ちを前向きにするためにも、新しい下着に変えることに決めた。


 ブラのホックを外し、お淑やかな乳房を空気に触れさせる。ショーツを脱ぐことで天使の小尻も露わになる。


「やだ。ショーツの線がお尻にくっきり残っちゃってる……」


 新しく用意したピンク色で統一されたブラとショーツでそれらを覆い隠す。次に乳白色のストッキングを履く。足に伝わる寒さが和らいだ。


 先日、カイルに買ってもらった新しい白衣に袖を通す。今まではぶかぶかの白衣であったが、今回はシュッとしたスカート型の白衣であった。


 上着部分の二連ボタンを留める。腰の辺りで赤茶色のベルトを通す。ベルトの締め具合を調整する。


 ベッドの脇にある小テーブルの上に置いていた黒いチョーカーに手を伸ばす。


「どうしようかな……。シュバルツ、嫌な顔してくれるかな?」


 一瞬、戸惑った。これもカイルに買ってもらったものだ。チョーカーは『貴女は私のもの』という意味が込められている装飾品だ。


 指先が震えてしまう。これを着けることでシュバルツとの関係性が変わってしまう気がした。


 だが、その気持ちとは別に、シュバルツにやきもちを焼いてほしいという気持ちもある。


「うん。シュバルツに見せつけよう」


 クォーツは決意した。やきもちを焼かなければ、彼を蹴っ飛ばしてやろうと。チョーカーを手に取り、首に装着した。


 着替えはこれで終わりだ。姿見の鏡の前に立ち、どこかおかしいところは無いかと入念にチェックする。


「これでいいよね」


 最後にフード付きのマントを羽織る。こちらは新調しなかった。マントはシュバルツと一緒に買い物に出かけた時に買い替えようと決めていたからだ。


 ベッドの上で寝転がっているシュバルツくん人形を手にとる。それを何もない空間の向こう側へと置く。


 スイートルームの中を見渡す。忘れ物は無い……はずだ。


「よしっ! 頑張れ、私! まずは少しずつ身体を慣らしていくことからよ!」


 自分で自分に喝を入れる。スイートルームのドアを開けて、外へと出る。新しい1日が始まろうとしていた。


◆ ◆ ◆


 待ち合わせ場所である噴水広場にひとりでやってきた。現時刻は朝7時半だ。待ち合わせ時間は朝8時であったが、いつもより30分早く到着した。


 理由があった。メアリーとロビンが先に到着しているだろうと見越してだ。


「やっぱり……。おはようございます、メアリー」


「あら。早いのね? おはよう、クォーツ」


「クォーツさん、おはようございます。クォーツさんも紅茶を飲んでいかれますか?」


 噴水広場の一角にテーブル席が設けられていた。テーブルの上には朝食が入ったバスケットとティーカップが置かれている。


 そのバスケットからメアリーがサンドイッチを取り出し、食べている真っ最中だ。


 クォーツが30分も早く噴水広場にやってきたのは、メアリーと朝食を楽しむためであった。


 クォーツは噴水広場に向かう道中、屋台に寄ってサンドイッチとポテトスティックを購入していた。


「うん。朝食をメアリーと一緒に取りたくて」


 ロビンは椅子を用意してくれた。そこに着席し、テーブルの上に紙に包んでもらったサンドイッチとポテトスティックを置く。


「あら。それは何ですの?」


「うん? メアリーってポテトスティック、食べたこと無いの?」


「王宮ではそのような面白い形状の物は出されませんわね。1本、おすそ分けしてもらっても良いかしら?」


「うん! 食べてみて! 美味しいから!」


 メアリーが油でカリッと揚げられたそれを指で摘まんでいる。物珍しい顔になっている。カリッポキッと軽快な音を彼女が立てる。


 そして、ほくほくと熱さに耐えながら、口の中でその感触を楽しんでくれている。


「美味しいですわ。ロビン、知ってて黙ってたの?」


「いえ。朝食というよりはスナックに当たる物ですので。メアリー様のことを思って、お出ししておりませんでした」


 ロビンの言う通りであった。がっつりとお腹を満たすとなれば、ジャガイモのバター焼きとなる。しかしながら、クォーツはあえてポテトスティックをチョイスした。


 こういう庶民が好むスナックをメアリーは食べたことは無いと予想してだ。


「食が進みますわ。もう1本、いただきますわよ」


 彼女はサンドイッチを食べる手をすっかり止めていた。今度は味わい深くゆっくりとポテトスティックを齧っている。


「気に入ってくれたみたいで、よかった。こんな庶民が好むようなもの、お口に合いませんことよ! って断られるかと思ってた」


「あら。失礼な言い方ですこと。何事も体験してからですわよ、文句を言うにしても……ね?」


◆ ◆ ◆


 サンドイッチとポテトスティック全てを食べ終えると、ロビンは新たに紅茶をティーカップへと注いでくれた。


 ティーカップに口をつける。口の中を紅茶がさっぱりと洗い流してくれる。


 時刻はちょうど朝の8時になろうとしていた。噴水広場に数多くの冒険者たちが集まっている。


(シュバルツ、遅いなぁ……)


 クォーツの思いとは裏腹に、冒険者たちの間を縫うようにカイルが姿を現した。カイルには申し訳ないが、眉が下がってしまう。


 そんな自分に気づくことなく、カイルは挨拶してくれる。


「おはよう、皆。って、シュバルツはまだなのか」


「うん。別の仕事を請け負ったとか何かで、宿屋にも帰ってこなかったの。ほんと、ちゃんとしなさいよね!」


 表情が暗くなりかけたのを無理やり明るくして、カイルと受け答えする。


「そうか……。まあ、シュバルツが約束をすっぽかすことは無いだろ。それと……、チョーカー、着けてきてくれたんだな」


「う、うん。せっかく買ってもらったものだからね」


 カイルが照れくさそうにしている。そのせいでこっちも耳がほんのり赤くなってしまう。フードを頭に被って、耳を隠してしまおうか悩んでしまった。


(やっぱり着けてこなかったほうが良かったかな……)


 メアリーがニヤニヤとしている。ロビンはガリガリと音を立てながらメモ帳にペンで走り書きしている。


 この空間に居づらくなってしまった。早くシュバルツに助け船を出してもらいたくなってしまった。


 自然と視線をカイルから逸らして、他の冒険者たちの方へと向けてしまう。


(どうしたんだろう……シュバルツ)


 約束の時間から5分過ぎていた。ひょっとするとシュバルツがやってこないのではないかという不安がよぎる。


(早く来てほしいよ、シュバルツ)


 その祈りが通じたのか、シュバルツがひとの波をかき分けて、やっと皆の前へとやってくる。


「すまぬ! 別で入った仕事が思っていた以上に時間を取られてしまった!」


 シュバルツが肩で息をしている。珍しい姿を見てしまった。今日はかえでの葉では無く、昆布で股間を隠している。よっぽど慌ててやってきたのがひと目でわかる。


「んもう! なんで昆布なのよ!」


「うおっ!? なんで昆布なのだ!?」


「こっちが聞きたいわよっ!」


 シュバルツは恥ずかしいのか、こちらに背中を向けた。そして、何も無い空間の向こう側に手を突っ込み、ごそごそと探し物をしだした。


(股間の昆布は気にする割りにはお尻は隠さないのね)


 あの引き締まったお尻をパーン! と勢いよくスリッパで叩いたら、どんな反応をしてくれるのだろう? もしかしたら、その場で悶絶してくれるのではなかろうか。


 色んなことを思っていると、シュバルツがようやく身体の正面をこちらに向けてきた。


「ふぅ……。とんだ失態を見せてしまった」


かえでの葉1枚もそれはそれで失態そのものに見えるけど」


かえでの葉こそ、ニンジャの正装なのだよっ! って、おや? クォーツ……」


 シュバルツがまじまじと自分を見つめてくる。思わず、身体を後ろにのけぞってしまう。だが、逃すものかとばかりにシュバルツが身を乗り出してくる。


「イメチェンか、クォーツ。新しい白衣に新しいベルト。よく似合っている。だが、チョーカーはいただけんなっ」


 目を皿のようにしてしまった。シュバルツに言ってほしいこと全てを言われてしまった。驚きのほうが大きくて、言葉を返すことが出来ない。


「何にせよ……だ。新しい一面を見れたのは嬉しいぞ。拙者、仕事で疲れていたのが一気に吹っ飛んだ。クォーツのおかげだなっ」


 さらにシュバルツが追い打ちをかけてくる。今度こそ、耳が真っ赤に染め上がるのが自覚できた。鼓動が高鳴って仕方ない。


 これ以上は耐えきれない。フードを目深に被ってしまった。彼にもっと見てほしいと願いつつも……だ。


「んもう……。褒め過ぎ……」

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