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第29話:重い女

 お風呂からあがったクォーツは、この後、どうしようか悩んだ。


 スイートルームに戻って、そこでルームサービスを頼むべきか? それとも、シュバルツを気遣って、ひとりで食堂に向かうかをだ。


わらわたちはロイヤルスイートルームに戻りますわね。行くわよ、ロビン」


「はい、メアリー様」


 メアリーは迷うことなく、ルームサービスで朝食を取ることを決めている。メアリーとロビンがロイヤルスイートルームに戻っていく。


 彼女たちの後ろをついていく。しかし、クォーツはなかなかに決めきれない。ついには宿屋のエントランスにまで戻ってきたところで、完全に足が止まってしまう。


(どうしようかな……。シュバルツに重い女だと思われたくないし……)


 メアリーが一瞬、こちらを向いてくる。妖艶な彼女の笑みを見てしまう。それが余計に足を動かせなくなる原因となる。


 メアリーが『ふっ』と息を吐く。その途端、クォーツは緊張してしまう。それでもメアリーがこちらへと近づいてくる。クォーツは耐えきれずに目を閉じてしまう。


「そんなに気負ってどうするの?」


 メアリーが不思議そうな表情となっている。そして、どんどんこちらへと顔を近づけてくる。彼女が近づいてくるほど、後ずさりしたくなる。


 だが、逃がさぬとばかりにメアリーがクォーツの身体に腕を回してきた。


「重い女でいいじゃない。それで拒絶されたのなら、新しい男を探しなさいな」


「それは嫌だから……。私、どうしたらいいんだろう」


「貴女の気持ちを一番に優先するといいの。きっと応えてくれるわ」


 メアリーはクォーツから離れる。そして、軽く手を振りながら、ロイヤルスイートルームへとひとり戻っていく。


◆ ◆ ◆


 エントランスに残ったのはクォーツと撮影係のロビンだ。ロビンがこちらに撮影用の魔導器を向けている。


(もう! もしかして、どちらを選ぶかも賭けの対象になってないわよね!?)


 憤りを感じてしまう。恨めしそうにロビンの手の上にある魔導器を睨みつける。


 だが、魔導器についてる目が視線を合わさないようにと、あらぬ方向へと視線を向けだした。


 はぁぁぁとデカいため息が出てしまう。クォーツは一度、エントランスの天井を見る。視線の先にはシャンデリアがあった。


 キラキラと光っている。自分はあのように輝く存在ではない。


 もっと、ドロドロとしたニンゲンだ。シュバルツといっしょに底なし沼に落ちても良いと願ってしまった愚かで重い女だ。


 目に映るシャンデリアのような存在にはけっしてなれはしない。見ているだけでまぶしさで目と心が潰れてしまいそうになる。


「クォーツさん。気持ちからです」


「ありがとう、ロビン。私ってダメね。いちいち、気にしちゃう」


「それで良いと思います。正直、メアリー様を参考にしすぎると、しんどくなりますよ」


「それもそうね。私がなりたいのはメアリーそのものじゃないものね。ありがとう、ロビン」


 ロビンがペコリとこちらにお辞儀してくる。それに合わせて、こちらもお辞儀してしまう。


 なんだか笑えてきた。なんでこんなに自分の感情はすぐに揺れてしまうのだろうと。クォーツは自分に喝を入れるために頬っぺたをパンパンと両手で叩く。


「うん。決めた! 重い女と思われてもいいや!」


「その意気です。さあ、どんと部屋のドアを蹴っ飛ばしてやりましょう」


 ロビンがこちらにサムズアップしてくる。そこまではしないからと右手を軽く振って、その意思を伝える。ロビンがきょとんとした顔つきになった。


(何を期待されてるのかな?)


◆ ◆ ◆


 クォーツはロビンと共にスイートルームの前まで移動する。クォーツはドアを開ける前に、一度、大きく深呼吸する。


 胸の高鳴りが収まらない。次の一歩を踏み出すのに躊躇してしまう。このドアを開ければ、シュバルツが出迎えてくれる。


 またひとつ、関係が深まる。そう信じたい。でも、怖い。


「クォーツさん。こちらでドアを開けましょうか?」


「ううん。大丈夫。これは私の儀式だから」


 ロビンの顔はなるほどという表情になっている。次の瞬間には、柔和な笑みが映った。


 彼女の表情に勇気をもらえた。今なら、次の一歩を踏み出せる。ドアのノブに手を掛ける。グリっと時計回りに回す。


 カチャッと音が鳴る。それと共に心音が跳ね上がった。ドアが自分と同化してしまったかのように感じた。


 ドアを開ける行為がそのまま、心を開け放つ行為になるような気がした。だが、こちらがドアを開ける前に、そのドア自体が動いた。


「へっ!?」


 思わず、素っ頓狂な声を出してしまう。クォーツは自分の意思とは無関係に、スイートルームの中へと倒れ込んでいってしまう。


「すまぬ! ドアの向こうにひとの気配を感じたのだが、それがまさかクォーツとは思わなんだ!」


「んもう! 気付いてるなら、そっちから開けてよ!」


「不審者かもしれぬと用心したのだ。そちらこそ、怪しげな雰囲気を出さないでほしいぞ?」


 言われてみればその通りだ。ドアノブを回したまでは良いが、そこで10秒ほど固まっていた。


 状況がわからない室内のシュバルツから見たら、警戒して当たり前のことをしていた。彼はしっかりとニンジャ・マスクで顔を隠している。


「ごめん。冷静に考えたら、あたしのほうが変なことしてた」


「こちらこそ、責めるようなことを言ってすまぬ。怪我は無いか?」


 シュバルツが片膝をつき、クォーツの身体を支えている。彼が心配そうな顔になっている。目で身体を入念に調べてくれている。


 クォーツはつい噴き出した。可笑しくて涙が出てくる。目尻を指でこする。自分の仕草を見て、シュバルツの目には優しさが溢れてくる。


「朝ごはんにしよう? シュバルツはルームサービスと食堂、どっちがいい?」


 クォーツはシュバルツに支えられながら、自分の足で立つ。そうされながら、シュバルツに質問した。


 彼は首をひねっている。そして、一度、ちらりとクォーツの後ろに立つロビンへと視線を向けた。


「何やら、観客たちの視線を感じるな?」


 さすがはかえでの葉1枚だけのシュバルツである。遠く離れた場所から自分たちを見ている者たちの視線さえも察知したのだ。


「では、観客たちの裏をかいてやろう。食堂で朝食を取ろう」


「サービス精神、旺盛すぎよ。それでも忍ぶ職業?」


「正しくは心に刃を……だ。普段はただのニンジャ。油断を誘い、致命の一撃を入れるのが出来るニンジャだ」


「そっか。私、まだまだシュバルツのこと、わかってなかったね」


 新しい一面を見た。それがまたもや幸福感となって、クォーツの心を少しだけ満たす。


 クォーツはにこやかな笑顔で、シュバルツをスイートルームの外へと誘う。シュバルツは彼女に促される。二人は揃って、食堂へ向かった。


◆ ◆ ◆


 ローレンスの宿屋の1階には食堂があった。白いテーブルが6つ。そのテーブルに付随するように椅子が4つ並べられていた。


 朝の気持ちよい陽の光がたっぷりと入ってくるように大きな窓が設置されている。厨房には白い調理服を着た料理人たちが3名いた。料理人たちはせわしなく動いていた。


 カウンターに料理が盛られた皿を置いていく。そうした後、また厨房へと戻っていく。


 クォーツとシュバルツがそれぞれお盆を手にする。そのお盆の上にカウンターに置かれた皿を乗せていく。


「わたしは朝はフルーツなのよね」


「拙者は肉だな。肉を食べないとパワーが出ない」


 クォーツはカットされたフルーツ類が盛られた皿を手に取る。シュバルツは朝からがっつりと肉料理を選んでいる。


 さらにパンを空いた皿に乗せる。それをお盆の空いたスペースへと乗せた。最後に飲み物を選ぶ。


「シュバルツは牛乳派だっけ?」


「そうだな。健康にいいのだぞ?」


「私、あんまり得意じゃないのよね」


 何か一品くらいシュバルツと同じ物を選ぼうと思ったが、いかんせん、男女の違いがそのまま出てしまう。


(まあ、仕方ないかな。朝からがっつりお肉は無理だもん)


 クォーツは残念と思いながらも、それはそれでいいやと気を取り直した。


 二人で席を選ぶ。今はそれだけで良い。同じテーブルで一緒に朝食を食べる。それが大事なのだ。例え、食べる物が違っても。


「いただきます」


 二人の言葉が重なった。クォーツがはにかむ。シュバルツもほぼ同時にはにかむ。


「照れる……ね」


「うむ……。おい、こんなところもばっちり撮影するのか?」


 シュバルツが撮影真っ最中のロビンに左手を向けている。撮影はやめろと手で制止しようとする。


 だが、ロビンが巧みに両手を動かす。決して、彼に魔導器を取り上げられないようにした。

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