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第26話:スイートルーム

 シスター・フッドの修道院で手に入れた残りの戦利品を全て、ミサ・キックスに渡す。


「明日の昼くらいに受け取りにきてくれ。うちはずっとここにいるからさ」


 クォーツたちは苦笑する他無かった。酒場で待っているだけで、鑑定目的の客がやってくる。これほど美味しい職業は無い。それが司祭だ。


 馬鹿貴族の酒場も鑑定ついでに飲み食いしてくれる客が訪れる。ミサ・キックスと馬鹿貴族は良い付き合いをしていた。


◆ ◆ ◆


「同じ過ちは繰り返さない。今日はウーロン・ハイ3杯でしっかり止めた。えらいぞ、私!」


 昨夜はカイルに迷惑をかけた。今日は足が少しふらつく程度だ。疲れの上からアルコールが入っているせいもあるが、昨夜のような失態には陥らないという自信があった。


 クォーツたちは色彩豊かな魔術灯マジック・ライトで輝く繁華街を抜ける。


 現在時刻は夜7時を回ったところだ。10月も半ばということもあり、夜道はすっかり暗い。


 この先の道は、夜空に浮かぶ月と道の脇にある街灯の光だけが頼りになる。


「大丈夫か?」


 シュバルツが心配してくれている。それが心地よい。いっそ、彼に寄りかかってもいいのかもしれないと思えてくる。


「自分の足で歩きたい。今日はたくさんの経験をしたから」


 今日は数多くの魔物と戦った。それに見合うだけの戦利品も手に入れられた。そして、かつての自分を少しだけ取り戻せたという自負がある。


 それをしっかりと味わいたい。だからこそ、ふらつく足で寂しさのほうが強い道を歩いた。


◆ ◆ ◆


 馬鹿貴族の酒場を出てから20分もすると、クォーツたちは宿屋の前へとたどり着く。『ローレンスの宿屋』と書かれた看板が宿屋の正面、上の方に取り付けられている。


 宿屋の扉を開けると、赤い絨毯が敷かれたエントランスが広がる。


 この宿屋は4階建てだ。上の階に行くほど、質も料金も高い部屋がある。


 カウンターには禿げ頭の親父が立っている。足りない髪の毛の代わりに顎髭をたくわえている。


「いらっしゃい。馬小屋以外なら大歓迎だ」


 クォーツは「ぷっ」と噴き出す。この宿屋の親父のいつもの台詞だ。馬小屋は宿泊料金が無料だ。


 出来るなら良い部屋に泊まってほしいという雰囲気が彼の台詞から伝わってくる。


わらわはロイヤルスイートルームに泊まらせてもらいますわ」


「おお! ありがとうございます!」


 カウンターの禿げ親父が満面の笑みだ。従業員を呼び出す。ロイヤルスイートルームへ案内するのにふさわしい恰好をした従業員たちだ。


 その従業員にメアリーとロビンを案内させている。


 残されたクォーツたちはどの部屋に泊まろうかと思案する。


「俺はエコノミーに泊まらせてもらう」


 カイルはエコノミー使用のためにカウンターに銀貨を1枚置く。禿げ親父は軽く肩をすくめる。部屋番号の札がついている真鍮製の鍵をカイルに手渡す。


 カイルはあくびを大きくする。「お先に」と告げて、ひとり、1階にあるエコノミーの寝室へと向かって行ってしまう。


 クォーツはカイルの背中を自然と追いかけてしまう。だが、カイルはこちらに振り向くそぶりすら見せなかった。


「では、スイートルームを頼む。もちろん2人部屋でよろしくな」


「えっ? ちょっと待ってよ」


「ん? 色々あって、疲れているんだろ? それに誰かに話しを聞いてほしそうにしていたでは無いか」


「もう……。何もしてこないでよ?」


 クォーツは色々と諦めた。今日は本当にたくさんのことが自分の身に起きた。それを誰かと共有したかった。シュバルツの言っていることは半分、当たっていた。


「ほう……。何かわけありですかな?」


「余計な詮索は寿命を縮めるぞ?」


 シュバルツが鋭い視線を禿げ親父に向けた。だが禿げ親父はニヤニヤとした顔つきを崩さない。


 2人部屋のスイートルームの代金をシュバルツが払う。禿げ親父がその代わりと言わんばかりの態度で、従業員をひとり呼ぶ。


「防音はばっちりな部屋ですぜ」


「それに感謝しよう。彼女は寝言がうるさくてな?」


 禿げ親父がウインクしてくる。シュバルツはサムズアップで答える。


 スイートルームということだけはあり、案内役の従業員をひとりつけられる。従業員が「どうぞこちらへ」とクォーツたちを促す。


 クォーツは眉間に皺を寄せてしまう。不安になっているとシュバルツが肩に手を優しく置いてくれる。


 クォーツはシュバルツの手に自分の右手を少し触れさせる。彼の手はほんのりと温かい。不安が少しだけやわらいだ。


「では参ろう。我らの楽園へ!」


「ちょっと、変な期待をされても困るからね!?」


 こちらを見ている禿げ親父は満面の笑みだ。先ほどのニヤニヤとした顔つきなど、どこかに吹き飛ばされたかのように嘘くさい。


◆ ◆ ◆


 クォーツはしぶしぶであるが、部屋まで案内してくれる従業員とシュバルツの後ろをついていく。


 赤い絨毯が敷かれた階段を上る。目的のスイートルームはこの宿屋の3階にある。階段を上れば上るほど、クォーツの足取りが重くなる。


(こんな形でスイートルームを利用する日がくるなんて……)


 クォーツはスイートルームを利用したことは無い。その前にシュバルツと別れたからだ。


 元カレと元カノの関係になった後で、スイートルームに泊まることになるとは、考えもしなかった。


(気にしないようにするのが無理じゃないの?)


 クォーツは口をアヒルのように尖らす。前を行くシュバルツがこちらへと少しだけ顔を向けてくる。その優しさが余計に腹立たしくなる。


 剥き出しの尻に前蹴りを喰らわせてやりたくなる。


◆ ◆ ◆


 そうこうしているうちに目的の部屋の前へとやってくる。従業員が鍵を使って、扉を開けてくれる。さらには「どうぞ中へ」と促してくれる。


「へえ……。ビジネスルームとはまた別で雰囲気があるわね」


 壁紙の色合いが柔らかい。エコノミールームやビジネスルーム特有の安っぽさをまったく感じない。


 部屋の天井には3本の長細い魔術灯マジック・ライトが取り付けられている。そこから溢れる光自体が優しい。


「そうだな……。拙者も初めて来たのだが、どうも身体がむずがゆい」


「なら、ビジネスルームで良かったじゃない」


「いや……。少しは見栄を張っても良いかと思ってな?」


 クォーツは「ぷっ」と噴き出した。


(そこはしっかりあなたが主導権を握っていなさいよ)


 さすがに男の面子を潰してしまう台詞だ。クォーツは思っていることが口に出ないようにと注意する。


「ルームサービスを承っております。何かあれば、そこの魔導器でお知らせください」


 従業員の差し出す手に視線を誘導させられた。彼が指し示す先には小さなテーブルがある。


 その上に1辺15センチュミャートルの大きすぎない三角錐の紫色の物体があった。その三角錐のてっぺんがボタンとなっているのが見てわかる。


 クォーツはこれが呼び鈴の類なのだろうと推測した。


「あとで呼び出すのもアレだ。ことの最中だと困るしな」


「そうでしたか。では、ことが終わり次第、それとなくお持ちいたしますよ?」


 従業員の対応はあくまでも丁寧であった。二人の時間の邪魔は決してしないという矜持すら、漂わせている。


「悩ましいな。おっぱじめる前にルームサービスを頼んでおくか……。クォーツ。何か腹に収めておくか?」


「うーん。ピラフ?」


 クォーツは冗談半分で言ってみた。これから夜20時を回るというのに、米でどうにかしろとは無茶が過ぎる。従業員もさすがに苦笑していた。


「お酒のアテとなるものなら、すぐにご用意できます。ピラフとなりますと、明日の朝食になりますね」


「ごめんなさい。じゃあ、軽めのお酒とおつまみを」


「こちらで見積もっておきます。それではごゆっくり……」


 従業員は礼儀正しくお辞儀をする。静かに部屋のドアを閉める。シュバルツは彼が退室した後、肩がこったとばかりにゴキゴキと首を鳴らす。


 クォーツはまたしても「ぷっ」と噴き出してしまう。


「もう! 身の丈に合わない部屋を借りないでよ」


「すまん。二人でゆっくりしゃべる機会が欲しくてな。それで雰囲気もそれにふさわしいものにしたくなった……。反省はしている」


 2人部屋のスイートルームに改めて、視線を向ける。寝るだけのためのエコノミーやビジネスルームとは明らかに違っていた。


 ベッドがふたつある部屋に隣接するように別の部屋がある。そこには背の低いテーブルとソファーが用意されていた。


「どっちでしゃべる? ベッドの上?」


 シュバルツは明らかに動揺している。ベッドがある部屋とソファーがある部屋を交互に見ている。さらには、むむむ……と彼らしくなく、困っているのが手にとるようにわかる。


 クォーツの思っている以上にシュバルツが緊張している。


「じゃあ、ソファーのほうで話を聞いてほしい。ベッドの上ではまたあとでね?」


「お、おう……。よろしく頼む」


 クォーツは彼に変わって、主導権を握る。クォーツはシュバルツの脇を通り、ソファーへと腰掛ける。


 シュバルツは彼女に遅れて、ソファーへと尻を乗せた。だが、まだまだ緊張は解けていないのか、部屋のあちこちに視線を向けている。


 クォーツはそんな彼に苦笑してしまうしかなかった。

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