クォーツは目を覚ます。あたまをハンマーで軽く叩かれたようにガンガンする。
洗濯が行き届いた真っ白なシーツ。固いながらも身体を休ませるのに十分なベッド。秋の涼しい夜を快適に過ごすのに十分な厚さの毛布。
そのベッドの上でクォーツは少しづつだが覚醒していく。
「うーーー。飲み過ぎた……」
クォーツは額に手を当てながら、馬鹿貴族の酒場でのことを思い出す。
「なんだっけ。縦髪ロールの……。ああそうだ。メアリー皇女」
メアリー皇女の勢いに飲まれた。いつもなら
5杯以上、飲んだところで記憶がかなりあいまいになっている。
クォーツは頭の中の記憶をスコップでほじくり返すように辿った。
「うーーーんと。なんか、カイルに絡んだような気がする」
クォーツはベッドから足を出す。床に足をつけると、夜の冷気が足を襲った。
「寒い……。って、あれ!?」
クォーツは今更ながらに気づいた。自分が下着姿であることを。ブラとショーツは身に着けている。だが、肝心のいつも着ている白衣が無い。
「ど、ど、どういうこと!? 私、もしかして、知らずにニンジャに転職した!?
」
――ニンジャ。着てる服が薄くなればなるほど、身体の感覚が鋭敏になる。
ニンジャ・マスターともなれば、衣服はほとんど身に着けない。
それが行き過ぎたニンジャと言えば、シュバルツ・バルト。彼のような股間を
クォーツは両手の人差し指でぐりぐりとこめかみを押し込んだ。冒険者が転職のために通うことになる冒険者訓練所のことをイメージした。
しかし、酒場から宿屋にたどり着くまでの断片的な記憶の中に冒険者訓練所は出てこない。
「えっと。ちょっと待って? 落ち着いて、私。こういうときは素数を数えるの」
クォーツは深呼吸しつつ、ゆっくりと素数を数え始めた。おぼろげではあるが、酔いつぶれたカイルが背中におぶってくれたことを思い出す。
クォーツは指をこめかみに置いたまま、赤面しはじめた。
「私、バカ?」
段々と記憶が鮮明になっていく。カイルに背負われている時に飲み過ぎたことで気持ち悪くなったことを。
その後、道端で思いっ切り、胃の中のものを吐き出したことを……。
「私、自分の吐しゃ物で服を汚しちゃったってことね。で、カイルが私を脱がしてくれたと……」
自分が今、下着姿である理由は明白だった。
「今度からきちんと酒量を守ろう。うん、絶対に守ろう」
クォーツはきれいさっぱり忘れた。忘れようとしたというのが正しい。
しかし、その行為の真っ最中に、寝室のドアが開かれた。カイルが薄茶色のバスローブ姿で寝室に入ってきた。
「あーーー。寝てると思ってたんだ。悪気は無い」
カイルは目の行き場に困ると言った感じでクォーツから目を逸らしてくれた。
クォーツはその紳士な行為に感謝した。彼が向こうを向いてくれているうちに毛布で身体を隠す。
「うーーー。こちらこそ、迷惑かけてごめん」
「いや。ノックもせずに入った俺のほうが悪い」
どちらもバツが悪そうな顔になっていた。寝室には沈黙が流れる。その沈黙を破るようにカイルが先に言葉を発してくれた。
「吐しゃ物で汚れていたから、宿屋のサービスでクリーニングしてもらってる」
「ありがとう」
「俺の服も汚れたから、ついでだよ」
「うーーー。それはごめん」
クォーツは穴があれば入りたい気持ちであった。身体をくるんでいる毛布の中へとミノムシのように身体だけでなく顔も隠してしまう。
「明日の朝には乾くとおもう」
「うん」
「それまで部屋に備え付けの寝巻を着ればいいんじゃないかな」
カイルはそう言うと寝室のクローゼットから寝巻を取り出してくれる。それをベッドの空いたスペースに置いてくれた。
クォーツは毛布の中にその寝巻を巻き込んでいく。冒険者稼業をやっていれば、男女混合のパーティを組むことなぞ、日常になる。
着替えとかでいちいち、男の視線を気にする余裕など無い。
だが、それはダンジョンという特殊な空間だからこそ、致し方ないと割り切れる部分だ。
しかし、ここは宿屋の寝室だ。ベッド、ソファー、クローゼット。そして、取ってつけたかのような小さい机。
殺風景と言えども立派な寝室だ。
そんな寝室であったとしてもだ。その寝室でクォーツは下着姿。カイルは裸の上から直接、バスローブを羽織っている。
ダンジョン内でのシチュエーションとはまったく異なっている状況だ。
「まあ、慣れているとはいえ、寝室となると少し恥ずかしいな。向こう向いててくれるか?」
「うん」
カイルはそう告げると、クォーツに背中を向ける。クォーツは軽く顔を横に背ける。クォーツの耳にカイルの身体とバスローブが擦れる音が聞こえた。
それだけで、クォーツは耳まで真っ赤になってしまう。そして、見てはいけないとは思いつつ、そーーーとカイルの方をチラ見する。
カイルはただいま、トランクス型のパンツを履いている真っ最中だ。尻から背中、首筋のラインがクォーツの目に焼き付く。
無駄の無い筋肉の付き具合だ。まるでそれ自体が芸術品でもあるかのようにクォーツの目に映る。
カイルが視線を感じたのか、軽く身震いした。それに合わせて、クォーツはカイルから視線を外す。そうしている間にもカイルの身体と寝巻が擦れ合う音が聞こえる。
静かな寝室の中は彼が立てる音と、クォーツの跳ね上がる鼓動のみだ。クォーツは耳自体が心臓になったかのようにドキドキという音が耳に突き刺さる。
「さてと……。まだ朝には時間がある。俺はソファーで寝させてもらうぞ」
「いいの? ベッドを占有しちゃって」
「妹以外と同衾してるってバレたら、俺がミゲルに殺される。それこそ、ロストするくらいに引き裂かれるだろうな」
クォーツはカイルの冗談を受けて、クスクスと笑ってしまった。
(そうよ。カイルの目には妹しか見えてなかったわ)
クォーツは安心感を得つつも、同時に残念という感情が湧き上がってくる。
クォーツは気にし過ぎたとばかりにカイルが向こうを向いているうちに、自分も寝巻に着替えてしまう。
寝巻に着替え終わったクォーツはカイルにひとつだけ聞く。
「ソファーで寝ると、身体の疲れが取れないよ?」
「いや、いいさ。ベッドで眠っても、今夜はうなされそうだったから」
「そう……よね。ごめん、カイルの気も知らずに」
「そんな、申し訳ない顔しないでくれ」
「わかってるけど」
「わかってくれてるだけいいさ。シュバルツなんて、クォーツのことは任せた! 拙者は娼館に行ってくる! とか言ってたんだぜ?」
「シュバルツらしいわね」
クォーツとカイルはどちらともなく笑い始めた。ひとしきり笑い終えると、カイルはソファーの上に寝ころび、毛布を頭からかぶる。
「おやすみ。クォーツ」
「あっ。ちょっと待って。カイル」
「どうしたんだ?」
「魔物を遠ざける御香を焚く? もしかしたら悪夢も追い払ってくれるかもだし」
クォーツの提案にカイルは首を捻る。どうしたものかという表情をクォーツに見せてくる。
「ああ、頼むよ。でも、これでまたクォーツに借りを作ってしまったな」
「そうね。この御香、1000ゴリアテよ。これも帳簿につけとくね?」
「まったく……。俺はカオス・ゲートに辿りつく頃にはクォーツにどうやっても返し切れない借りができそうだ」
カイルはそう言うと、身体全体に毛布を巻き付けた。その様はミノムシのようにも見える。
「頼むよ、クォーツ。俺に安眠を与えてくれ」
「うん、わかった」
クォーツはそう言うと、何もない空間に手をつっこむ。空間の向こう側で手を動かす。そして、こちら側に手を戻す。
彼女の手の上には香炉があった。その香炉の上にあるボタンを押す。その途端、安らぎを覚える匂いが寝室の中を泳ぎ出す。
寝室の中に充満した安らぎがカイルを深い眠りに誘う。
クォーツはカイルの寝姿をしばらくボーっと見ていた。10分ほど眺めたあと、カイルは起きそうにもなかったので、クォーツはホッとする。
「おやすみ、カイル。良い夢を」
クォーツはベッドに背中をつける。そして、彼女もまたミノムシのように毛布にくるまれる。
◆ ◆ ◆
クォーツは夢を見た。カイルの隣に立ち、勇壮に魔物と戦う姿を。
だが、夢は幸せをクォーツには運んでこなかった。
夢の中のクォーツが突然、金縛りにあったかのように固まってしまった。
クォーツが見たものは甘い夢では無かった。現実世界のようにクォーツを縛り付けた。
クォーツは身体を跳ねあがらせて、目を覚ます。そして、寝室にカイルがいることをしっかりと視認する。そうすることで安心感を無理やり得ようとする。
「私、カイルのためなら戦えると勘違いしてるのかな……」
カイルに尋ねるようにクォーツは独白する。だが、眠っているカイルからは何も返事はなかった……。