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第6話:馬鹿貴族

 カイルはしばらく悩んだ末に、肩をすくめてため息をついた。


「仕方ないか。今日は飲むだけにしておこう」


 カイルの言を受けてシュバルツがうんうんと頷く。


「それがいい。こういう時こそ、リスクは避けた方がいい」


「……ああ、そうだな。リスクを冒すのは妹相手で十分だ」


 シュバルツはその言葉に、少しだけ微笑んだ。


「うむ。クォーツはああ見えて、感情豊かな女性だ」


 シュバルツが昔の情景を思い浮かべる雰囲気を出す。それを見たカイルは笑みを浮かべた。


「じゃあ、今日はひとまず飲んで休んで、明日に備えよう」


「おうよ!」


 そう言いながら、彼らは静かに街の喧騒の中へと消えていった。明日という未来に向けて、彼らの冒険はまだ続いていく……。


◆ ◆ ◆


 クォーツを先頭にボルドーの街を歩くカイル一行であった。夕方から夜に向かっていく時間帯であり、街の喧噪はいっそう激しいものとなっていた。


 通りのあちこちで客引きたちが懸命に冒険者たちに声をかけていた。その騒がしすぎる繁華街を縫うように進むクォーツたち。


 クォーツ一行は行きつけの酒場へとやってくる。店の入り口の上にはおおきな木製の看板がある。そこにはでかでかと店名が書いてあった。


『馬鹿貴族』


 馬肉と鹿肉が自慢の酒場だ。


 ボルドーの街の外は、なだらかな平地が広がっている。そこには広大な耕地がある。


 さらに向こう側には山々がある。鹿がその山に数多く、生息していた。鹿は作物を狙う害獣として名高い。山から下りてきては作物を食い荒らす。


 狩人はその鹿を退治し、ボルドーの街の市場へ卸していた。


 馬は貴族たちの間で流行っている競馬という賭け事を通じて、国を挙げて繁殖が行われている。


 その副産物として馬肉を仕入れやすい国だ。市場に卸された馬肉を使った料理も出している酒場がこの『馬鹿貴族』だ。


 クォーツ一行は馬鹿貴族の酒場の扉を開ける。カランコロンと入り口の鈴が鳴る。彼女たちは中に入る。


 店内の壁には鹿の頭と馬の頭のはく製がところどころに飾られている。


(我が家に帰ってきたって感じがする)


 クォーツはフードを脱ぐ。フードに隠された顔があらわになる。浅葱あさぎ色のナチュラルボブが酒場の空気に触れる。


 カウンターの奥には麦酒ビールが入った大樽がいくつも並べられている。そのもっと奥には調理場がある。調理場の奥からは怒声が届いてくる。


 食器と食器が擦れ合い奏でる音。ジョッキとジョッキがぶつかる音。注文を受ける店員のはつらつとした声。


 そこに冒険の自慢話をでかでかと発表する男女たちが混ざる。


 それらの音が見事に調和して、ひとつの音楽を作り出す。


 ようこそ馬鹿貴族。あなたも今宵、一緒にバカになりませんか? とお誘いしてくる。


 どこのテーブルも冒険者たちが席を埋めていた。


「いらっしゃいませー! 何名ですか!」


「3名よ」


「3名様ですね! 少々お待ちをー!」


 店員は3名が座れる席を探しに行く。


 その間、空いてる席は無いかとクォーツが顔をきょろきょろと左右に振る。


 クォーツの目に映った。こちらに向かって大きく手を振ってくる女性を。その女性を見つけるや否や、クォーツはゲゲーといやそうな顔になる。


「お疲れさーん! いやあ、今日は思いっ切り外したわー、あんたらのせいで!」


「うるさいわね。あんたを損させようと思ってやったことじゃなわいよ」


 いきつけの酒場にいつもの破戒女司祭がいた。彼女は麦酒ビールが入った木製のジョッキを右手で大きく振り上げて、クォーツたちを歓迎してくれる。


 他に空いてる席もなさそうなので相席させてもらうクォーツたちだ。


「先に一杯やらせてもらってるよ。今日はさすがにおごってもらうって雰囲気じゃなさそうだけどなっ!」


「ほんと、その通りね。すいません、生チュウ3つお願いします」


 クォーツは席につくなり、カイルとシュバルツの分を含めて、飲み物を注文する。


 店員はそれを了承するなりカウンターに向かって「生チュウ3つでーす!」と元気な声でカウンターの向こうがわに注文を届ける。


 そして、他に注文は無いのかとばかりにテーブルに張り付いてた。


 シュバルツは木製のメニュー表を広げる。シュバルツは馬鹿貴族の酒場にはあまり来たことがなかったので、すぐには注文を決められなかった。


 見かねて、彼の隣に座るクォーツがシュバルツを手助けする。


「馬肉ソーセージとかお勧めよ。マスタードとすごく相性が良いの」


「ふーーーむ。馬肉ソーセージか……。麦酒ビールが進みそうだな! お姉さん、これで!」


「じゃあ、俺も馬肉ソーセージを。あと馬刺しを3人前。みんな、いけるよな?」


「私は食べ慣れてるけど、シュバルツはどうなんだろ?」


「何事も挑戦だ。冒険のようにな?」


 シュバルツがクォーツたちに向かって、サムズアップしてくる。それを了承と受け取り、シュバルツとカイルは注文をさくっと終える。


 クォーツはお肉だけではちょっと物足りないかもと思い、まだメニュー表とにらめっこしていた。


「そろそろ新米が入る時期だから……。ねえ、新米は入っている?」


「はーーーい! ゴモラ産のふっくら炊き立て新米、入ってますよー!」


「じゃあ、若鹿の唐揚げとふっくら炊き立て新米で!」


「ずるいな! 俺も若鹿のから揚げを! シュバルツもどうだ?」


「いただこう!」


 ボルドーの街はいわば、商業都市と言えた。交通のかなめとなる場所に築かれた街である。それゆえ、南のゴモラ地方で盛んに栽培されている米と呼ばれる作物も入荷されている。


 クォーツは南出身であるため、小麦よりも米が好きだ。そして、肉とパンという食文化よりも、肉には米でしょと強く主張していた。


 注文を取り終えた店員がカウンターの方へと歩いていく。そしてカウンターの向こう側に取ってきたばかりの注文をメモした紙切れを置く。


 その代わりに麦酒ビールが並々と入った木製のジョッキを3つ手に取り、先ほどのテーブルへと運んでいく。


「お待たせしました! ご注文の麦酒ビールでございまーす!」


 目の前にどかんと置かれた麦酒ビールの木製のジョッキを目の前にクォーツたちの眼はきらきらと輝いていた。


 まるで宝石箱に詰まった金色の宝石を眺めているようでもある。


 3人はそれぞれに木製のジョッキを手に持ち、何も言わずにそれに口をつける。


 麦酒ビールならではの酸っぱさとほろ苦さと炭酸が口の中いっぱいに広がる。それを口の中で楽しむ前に一気に喉の奥へと流し込む。


「生きてるーーー。ほんと、この瞬間が本当の意味でダンジョンから生きて帰ってきたって感じがするーーー」


 クォーツは破顔していた。今まで誰にも見せたこともない蕩けた顔であった。カイルが意外なものを見たなと言う感じでクォーツのほうへと見てくる。


 クォーツはしまった! という顔つきになってしまう。そして、気恥ずかしさからかフードを目深にかぶった。


 さらにはジョッキを静かにテーブルの上へと置いて、縮こまってしまう。


 そんなクォーツに対して、彼女の隣に座るすでに出来上がった女司祭がバンバンと強めに彼女の肩を叩く。


「そんなうら若き乙女でーーーす! って主張しなくていいだろうが! あっ? そういや21歳になったっていうてのに、まだ処女おとめだった……け?」


「う、うるさい! こんなおおやけの場で個人情報をばらまかないでよ!」


「いやあ、すまんすまん。ほら、お姉さん、酔っぱらってるからさぁ! おおめにみてちょーーーだいっ!」


 司祭の身でありながら、麦酒ビールをたらふく飲んでいる酒豪。


 彼女の名前はミサ・キックス。司祭と呼ぶよりも破戒僧と呼んだほうがよっぽどふさわしい。


 清廉とはほど遠いおっぱいの大きさ。淑女とは言い難いスリットが入った司祭服のスカート。


 スリットからは肉付きが良すぎる太ももが見え隠れしている。足を組み直すたびに太ももからお尻のラインが覗きみることができる。


 教会関係者とは思えない健康的でふくよかな身体つきのミサ・キックスであった。


(ミサはほんと、いらないことを口走るわね。てか、よく破門されないわよ。不思議で堪らない)


 ミサ・キックスは教会に出入りしている道に迷える可愛い男の子を一人前の大人へと導く手助けもしていたりする。もちろん、教会に黙ってだが……。


◆ ◆ ◆


 それはさておき、テーブルには先ほど注文した料理が所狭しと置かれている。


 シュバルツは馬肉ソーセージを歯でかみ切り、気持ちが良い音を酒場の中へと響き渡らせる。


 酒場の音楽隊の一員となるべく、カイルも馬刺しに箸をつける。


 さらにはクォーツが若鹿のから揚げにマヨネーズをたっぷりとかけ、それをごはんと一緒に口の中へと入れる。


「うーーーん! おいひぃ!」というこれまた満足げな彼女の喜びの声が音楽に花を添えた。


 そんなカイルたちを痴女のくせにまるで聖女のような微笑みでミサ・キックスが話しかける。


「パーティが全滅したっていうから、戻ってきたカイルに慰めの言葉のひとつでもとしんみりひとりで飲んでたんだが……。心配無用だったみたいでよかったわ!」


 ガハハ! と聖女丸捨ての豪快な笑いでカイルたちを歓迎するミサ・キックス。カイルがふと箸を止め、真摯なまなざしで彼女に告げる。


「心配してくれてありがとう、ミサさん。大丈夫。妹たちは石化しただけだから……な。ロストしたわけじゃない」


「あー、まあそうだな。ロストしてないだけ遥かにマシだもんな」


「その通り。そして配信で見てただろ? 俺がアビス・ゲートに行って、伝説のムラマサを手に入れるってくだりを」


 カイルの表情には悲しみの色が浮かんできていた。そんな彼を元気づけさせてやろうとミサ・キックスは思ってしまう。


「どうだ? 今夜は私が一緒に寝てやろうか?」


 ミサ・キックスは下品な冗談を言って見せる。カイルは「ぷっ」と軽く噴き出す。


「俺はそこまでガキじゃねえよ。でも、ありがとう、元気づけてくれて」


 少しばかり気がまぎれたのか、カイルの顔には悲しみの色が少し薄れていく。その表情に見惚れそうになって、いかんいかんとばかりにミサ・キックスは頭を左右に振る。


(私は司祭、司祭。敬虔な神の使徒……。あーーー、ぱくっと食べちゃいたいなんて神を冒涜するような考えはいかんいかん)


 カイルは端正な顔つきで髪も腰あたりまである女性顔負けの容姿であった。それでいておっちょこちょいなところがあり、大人の女性を引きつけてならない。


 ミサ・キックスはごまかすように麦酒ビールを飲み干し、ジョッキの中をからにする。


 そして、店員に向かって「生チュウおかわり!」と威勢よく言ってみせた。


 カイルはいつもと変わらぬ雰囲気で迎えてくれるミサ・キックスに感謝している様子だ。ミサ・キックスは困ったなあという表情になる。


 しかし、その和やかな雰囲気を今すぐ蹴り飛ばしてでもぶち壊そうとしている人物がいた。


 その者たちはすでに馬鹿貴族の酒場の前にまでやってきていた。そのことをまだカイルたちは知らないでいた……。

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