カイルは意識が戻ると、激しい頭痛に襲われた。痛みに耐えながらゆっくりと瞼を開けると、見慣れない光景が広がっていた。
「ここはどこだ? 草原がただただ広がっている……」
カイルが目を覚ました場所。そこは背の低い草地が広がっていた。遠くには森が見える。そして、近くには天まで届かんとする太すぎる石柱があった。
かつてヒューマンが神を侮り、天まで届く塔を創ったといわれる。その一部だったと思わせるような石柱だ。
「この石柱は……。神の背骨か? いや。今はそれよりも、俺たちはどうなった!?」
カイルはあたりを見回す。自分たちに何が起きたのか、しばらく状況が飲み込めない。そして、ふと思い出した。
自分たちを襲うヘルハウンド。そいつらを倒して出てきた宝箱。
そして……まばゆい光に包まれていく仲間たち。
「あれはテレポートの罠だ。そうに違いない」
石のように重い身体を無理やりに起こそうとする。だが、身体のあちこちが痺れて、まともに身体が動かない。
不思議な感覚に包まれながら、カイルはゆっくりと両腕だけで草むらを張っていく。カイルがなんとか石柱の近くまでやってくる。
その時であった。石柱の一部が剥がれ落ちた。草むらを這っているカイルの頭の上へと降ってくる。
カイルは無情なる
カイルは痛みを草むらに押し付けるように悶絶した。
「いったたたた……」
頭を両手で抑えるカイルに駆け足で近づく人物がいた。ところどころ汚れた白衣に身を包んでいた。
「大丈夫? 頭、割れてない?」
フードを深く被っている人物。そいつはカイルの今の状況を魔導器を用いて円形闘技場へと映像を送っている。
「クォーツ! こんな時になんで映像を送っているんだ!
カイルは痛む頭頂部を両手で抑えながらも、怒りをその人物に向ける。いたたまれない気持ちになったのか、そのクォーツはカイルから目を背ける。
「これも冒険者の務めだから」
「それはそうだけどさ。おい、教えてくれ……、クォーツ」
「なに?」
「俺たちはどうなった? 妹のミゲル、ワットソン、そしてポマードは!?」
カイルは慈悲を求める子羊のような表情で答えを聞いた。だが、クォーツは余計にカイルから目を背ける。
カイルは下半身が麻痺したままだったが、上半身を巧みに動かす。両手でクォーツの白衣を掴む。
フードの奥には憂いに満ちた表情になっている顔が見えた。
クォーツは何を聞いても何も教えてくれそうにない。いや、違う。言いたくないのではない。残酷な真実を告げるにはカイルの状態が良くないからだ。
カイルはうなだれる。クォーツの着る白衣から手を離しながら。
「ああ……。俺たちは全滅したんだな」
「うん……」
クォーツはただ静かにコクリと頷く。それを合図にカイルは赤子のように泣きだす。
「うわあああああ! 俺は失ったんだ……。最愛の妹。俺の背中を預けている戦士。いつもおどけた表情で俺と妹をおちょくってくる盗賊……。俺は全部、失ったんだな!?」
「そう……ね」
カイルはもう二度と戻らぬ者たちを哀悼するかのように泣いた。
クォーツはそんなカイルを愛おしい恋人を慰めるかのように彼の頭を両腕で抱きしめる。
その温かさが余計にカイルを泣かせた。その泣き声に感化されたのか、クォーツの右目からも一筋の涙が流れだす。
しかし、カイルたちの下へと音もなく近づいてきた人物がいた。
その者は股間を
「ふん。男がめそめそと」
「なん……だと……」
カイルは怒りをその顔に思いっ切り浮かべる。泣いたことで目が真っ赤になっていた。
だが、その目ちからだけで呪い殺さんとばかりにカイルの隣に静かに立っている男を睨みつける。
歯をむき出しにして、今にも噛みつかんとばかりにガルル……と
「ミゲルたちが死んだんだぞ! それをあざ笑うつもりか!」
カイルはゾンビのようにゆっくりと起き上がる。そこからまるで獣のように四つん這いになった。
その姿勢で葉っぱ1枚で股間だけを隠している男へとじりじりと接近していく。
適切な距離を測る。男の頸動脈をかみ切るのに十分な距離をだ。間合いに入ったと同時にカイルは飛び掛かった。
「笑止!」
カイルは顎を下側からかちあげられる。
それと同時にカイルの目からはいくつもの星が火花のように飛び散る。殴り飛ばされたカイルだが、その一撃で倒れなかった。
よろよろと上半身を大きく振り回す。長い黒髪を歌舞伎役者のように振り回す。カイルのその様は狂人のようだ。
その様を見て、葉っぱ1枚の男は「ふふっ」と軽く笑って見せる。それにつられてカイルは獣のように口角をあげてみせる。
今のカイルは自分の不甲斐なさからくる怒りをぶつけられる相手なら誰でも良かった。
「てめーには悪いが、八つ当たりさせてもらうぞ……」
「それで気が済むのなら、どれだけでも相手をしてやろう」
自責の念に自らが潰されそうになったヒトがする行為。それは自傷行為だ。
カイルが右のストレートを放つ。それに合わせて
カイルはよろめきながらも体勢を立て直す。折れそうになる心に喝を入れる。
そしてまたもや
「元気があってよろしい。だが、素手でニンジャ・マスターに勝てると思わないことだ!」
ニンジャと名乗った男はカイルの5度目の突撃に右ひざを合わせた。みぞおちを思いっ切り蹴り込まれたカイルはついに草地へと倒れ込む。
そんなカイルの髪の毛を右手で引っ張る。さらには上半身を無理やり起こすニンジャ。カイルはニンジャ・マスクの奥から光る目でじっくりと見られる。
「良いツラになったではないか。それでこそ男よな」
「けっ。俺が万全だったなら、一撃くらいはいれてやれてったのによ……」
「それは楽しみだ。さあ、今は休め。休みながらキミのパーティがどうなったか教えてやろう」
獣への躾は終わったとばかりに
自分と同じ背丈のこの男が軽々と自分をお姫様抱っこしたことに。
「シュバルツ。ベッドを用意したわ」
「うむ、ありがとう。さあ、カイル。休みたまえ」
お姫様をベッドに寝かせるといった優しげな感じでカイルを、洗い立てのシーツの匂いがするベッドの上へと丁寧に運んでくれる。
ニンジャはカイルをベッドの上へと運び終える。クォーツが何もない空間からテーブルを取り出した。
ニンジャは何もない空間から食料を取り出す。さらにテーブルの上に食料を置く。カイルはただ黙って、クォーツとニンジャの動きをベッドの上から見る。
しかしながら、ニンジャはその食料を前にして、ふとそこで考えるような素振りを見せる。カイルはいったいどうしたというような顔つきになってしまう。
「クォーツ。お前がカイルに食わせろ。
(いや、たしかに変態そのままだが。変態でもそこはちゃんと気をつかうんだな……)
カイルはこころの声が口から出ないように注意した。
しかし、ニンジャはこちらに向かって、「お前もそう思うだろう?」という雰囲気を言葉を使わずに伝えてくる。
さすがはニンジャだと思ってしまうカイルだ。
――ニンジャ。盗賊の上位職である。
盗賊は気配に敏感でなければならない。パーティの哨戒役と言えば盗賊だ。
その盗賊の上位職となれば、気配だけでなく相手のこころを読むことくらい出来て当たり前だと思ってしまう。
「なんで私が……」
「そう言うな。男を宥めるのは女の役目。いつまでも撮影係だけに甘んじているわけにはいかないだろう?」
「それはそうだけど……。でも、私はこういうのは苦手なの」
「わかっている。だが、そうは言ってられんだろう?」
「わたしがどんな女か知ってるでしょ? なんで私にこれ以上させるわけ?」
「ひとは変わる。お前も成長せねばならん」
ニンジャに説得されたクォーツと呼ばれた人物がカボチャスープ入りのお椀を手に持つ。その彼女が恐る恐るカイルに近づいてくる。
カイルは身を起こしていいのか、逡巡する。今の2人のやり取りを見ている限り、2人は知見の仲以上の親しい間柄だということはバカでもわかる。
(クォーツの昔の男? いや、どうなんだろう。深く聞くのは野暮な気がする)
ニンジャが自分とクォーツの前に現れた理由は不明だ。だが彼の親切を無下にするわけにもいかない。
クォーツはベッドの横にある丸椅子に座った。そしてお椀をカイルの顔へと近づけてくる。カイルは痛みが走る身体を起こそうとする。
だが、先ほどまでは動いてくれた下半身に痺れが走る。カイルは体勢を崩す。差し出されたお椀をひっくり返しながらクォーツに抱き着くことになる。
「す、すまん。てか、胸あったんだな」
「うっさい! 見てわかるほどの胸じゃなくて悪かったわね!」
カイルはクォーツの右手でバチーンと思いっ切り叩かれる。クォーツは顔を真っ赤にしている。そしてすぐさま胸元を自分の両腕で隠す。
恥をかかせてしまったとカイルはすまなそうな顔をする。そんな2人のコントじみた行動に
「あーーー。ぶかぶかの白衣の上からだと、クォーツの胸のサイズはわからぬからな!」
「あんた、火に油を注ぐ気か?」
「すまぬ。つい、ふたりを見ているとからたいたくなった」
ニンジャがそう言って、カイルの方へと手を差し出してくる。カイルは「ふっ……」と軽く微笑む。
「ったく……。俺はカイル」
「うむ。拙者はシュバルツ。クォーツとは特別な関係だ」
「やっぱり、そうなんだな。二人は付き合っているのか?」
「ちがうわよ。今はただの幼馴染。んで、私がカイルのパーティに入る前に所属してたところの元メンバー」
「なるほどな。んでも、なんで、俺たちのところへ?」
カイルの疑問を受けて、ニンジャはカイルから視線を外す。ニンジャは天まで届く石柱に目を向けていた。
その石柱は『神の背骨』と呼ばれていた。この世界を支えている柱の1本と言われている。
その神の背骨をどこか懐かしむような目でニンジャは見ていた。カイルは聞いてはいけないことを聞いた気がした。
「あとでゆっくり話してやろう。まずは気付けの一杯でも飲んでおけ」
シュバルツはそう言うとテーブルに乗っている別のお椀をカイルに差し出してくる。
カイルはそれを受け取り、そのお椀を満たしている黄色いスープに口をつける。
口の中にカボチャの温かい濃厚な味わいがぶわっと広がったその瞬間、カイルは言い知れぬ感情に包まれる。
カイルは無意識に涙を零す……。