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第40話 幕間 泡沫の夢

 仙石線を降りると、日が暮れ始めていた。

 夕闇が迫り、空が濃い藍色に染まり始めている。昼の光が、藍色に押し潰され、地平線に最後の足掻きの光を放っている。


 仙台駅前の雑踏の中、懐かしい顔に出くわした。

 女学校の恩師・山辺先生だ。当時よりやや肉付きが良くなっていたが、少し下がり気味の優しい目元は、確かに先生だった。

「山辺先生?」

 先生もこちらに気づき、顔を綻ばせて近づいてきた。

「菅野さん! 懐かしいなぁ! お元気でしたか?」

「ご無沙汰しております。私、今は朝田あさだと申しますの」

「これは失礼した」


 久子が、五年前に結婚したことや近況を話す間、山辺先生は何度も頷きながら、目を細めて聞いていた。微笑むたびに、目尻の皺が深くなる。近くで見ると、頬に茶色いシミがいくつも散っていた。先生は、こんな、父親のような容貌だっただろうか。当時、ほんのりとした憧憬を抱いていたのが気恥ずかしくなった。


 女学校を卒業してから七年。月日が流れるのは早い。

「――そうですか。朝田さんは夢を叶えたというわけですね」

 山辺先生が、満足げに頷いた。

「はぁ。……夢?」

「おや、忘れましたか? 学校で、将来の夢は何か? と尋ねた時、朝田さんは『立派なお家に嫁いで夫を支える妻になりたい』と仰ってましたよ?」

 そんなことを言っていただろうか? たった七年前のことなのに、全く思い出せない。学生時代に自分が何を望んでいたのか、どうなりたいと思い描いていたのか、当時の心持ちになってみようとした。――だがうまくいかなかった。心に何も浮かばない。

「おめでとう。夢を叶えたんですね。朝田さんが立派にやっていて、私も安心しました」

「――ええ」


 良吾からも、恩師からも、「立派になって」と褒められる。近所の人たちからは金持ちの家と、羨ましがられる。けれど久子自身は、いつまでたっても満たされる気がしない。いつになったら、どんなふうになったら、自分は夢を叶えたのだと満足できるのだろう。

 永遠とも思える渇望感に、息が苦しくなった。


「仲の良かった伊藤さんとは、今も連絡を取り合っているの?」

「……静ちゃんですか? ――――いいえ」

 咄嵯に嘘を吐いていた。特に意味はなかった。立ち話も長くなり、そろそろ疲れを感じ始めてていただけだ。遠出もして、足が熱を持ち始めている。

「伊藤さんはどうかな。夢を叶えたでしょうか」

「――どうでしょう」

 静に夢なんかあったのだろうか。何もかもが自然とうまくいく人だから、きっと何も考えていなかったに違いない。


 それに静は何もかもを手にしている。これ以上望むものがあるとしたら、贅沢すぎる。


 気付けば、すっかり日が暮れていた。

 空は、藍色を越えて、黒一色に染まっている。



泡沫の夢(了)


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