仙石線を降りると、日が暮れ始めていた。
夕闇が迫り、空が濃い藍色に染まり始めている。昼の光が、藍色に押し潰され、地平線に最後の足掻きの光を放っている。
仙台駅前の雑踏の中、懐かしい顔に出くわした。
女学校の恩師・山辺先生だ。当時よりやや肉付きが良くなっていたが、少し下がり気味の優しい目元は、確かに先生だった。
「山辺先生?」
先生もこちらに気づき、顔を綻ばせて近づいてきた。
「菅野さん! 懐かしいなぁ! お元気でしたか?」
「ご無沙汰しております。私、今は
「これは失礼した」
久子が、五年前に結婚したことや近況を話す間、山辺先生は何度も頷きながら、目を細めて聞いていた。微笑むたびに、目尻の皺が深くなる。近くで見ると、頬に茶色いシミがいくつも散っていた。先生は、こんな、父親のような容貌だっただろうか。当時、ほんのりとした憧憬を抱いていたのが気恥ずかしくなった。
女学校を卒業してから七年。月日が流れるのは早い。
「――そうですか。朝田さんは夢を叶えたというわけですね」
山辺先生が、満足げに頷いた。
「はぁ。……夢?」
「おや、忘れましたか? 学校で、将来の夢は何か? と尋ねた時、朝田さんは『立派なお家に嫁いで夫を支える妻になりたい』と仰ってましたよ?」
そんなことを言っていただろうか? たった七年前のことなのに、全く思い出せない。学生時代に自分が何を望んでいたのか、どうなりたいと思い描いていたのか、当時の心持ちになってみようとした。――だがうまくいかなかった。心に何も浮かばない。
「おめでとう。夢を叶えたんですね。朝田さんが立派にやっていて、私も安心しました」
「――ええ」
良吾からも、恩師からも、「立派になって」と褒められる。近所の人たちからは金持ちの家と、羨ましがられる。けれど久子自身は、いつまでたっても満たされる気がしない。いつになったら、どんなふうになったら、自分は夢を叶えたのだと満足できるのだろう。
永遠とも思える渇望感に、息が苦しくなった。
「仲の良かった伊藤さんとは、今も連絡を取り合っているの?」
「……静ちゃんですか? ――――いいえ」
咄嵯に嘘を吐いていた。特に意味はなかった。立ち話も長くなり、そろそろ疲れを感じ始めてていただけだ。遠出もして、足が熱を持ち始めている。
「伊藤さんはどうかな。夢を叶えたでしょうか」
「――どうでしょう」
静に夢なんかあったのだろうか。何もかもが自然とうまくいく人だから、きっと何も考えていなかったに違いない。
それに静は何もかもを手にしている。これ以上望むものがあるとしたら、贅沢すぎる。
気付けば、すっかり日が暮れていた。
空は、藍色を越えて、黒一色に染まっている。
泡沫の夢(了)