ああ、やはり、リボンは青にすればよかった。
濃紺のセーラー服に赤いリボンでは、少し子供っぽい。
前を歩く同級生の後ろ頭を見て、
つい先日、制服がセーラー服に変わった。これまで着ていた
セーラー服を初めて見た時は、全体的に暗く、西洋の女中のようだと思った。だが、袖を通してみると、存外に軽く動きやすい。デザインもモダンで、しかも、心なしか身体全体がほっそりと見えた。久子は、新しい制服がすぐに好きになった。
風呂敷で包んだ教材を小脇にすれば、道ゆく人々の眼差しを一心に浴びた。
子供たちや女中たちの羨望の眼差し、青年たちの熱の籠った視線。中には、女性の社会進出を良しとしない、中年男性の冷ややかな視線もあった。しかしどれも久子にとっては、心地の良いものだった。注目されるのが好きだ。どんな種類の視線でも、浴びれば浴びるほど気分が高揚した。
今朝も多くの視線を浴び、久子の足取りは軽やかだ。
登校する女学生の群れの中に、地味なひっつめ髪の後頭部が見えた。きつく一つに束ねた髪を、ただ背中に垂らしている。編んでもおらず、リボンをつけてもいない。寝坊でもしたのかと思うほど質素な様子だが、あの子にとってはいつも通りのスタイルだ。髪や身なりに、ほとんど気を配らない。
「
久子は、栗色の頭に向かって呼びかけた。が、
小さな形の良い後頭部。静の髪は色素が薄く、日を返して、茶色に光っていた。この前旅行で訪れた、小布施市の栗を思い出した。破れた殻から飛び出す栗の実は、油を塗っているわけでもないのに、磨いたように艶々と光り輝いていた。静も同じだ。静にも、飾り立てる必要などない、自然の美が備わっている。
「静ちゃん!」
二度目の呼びかけで、ようやく静が振り向いた。
「おはよう、久子ちゃん」
質素なひっつめ髪に、矢絣の着物に袴。静はまだ、新しい制服を購入していない。それでも、振り返った笑顔は誰よりも美しかった。
雛人形のような小さな白い顔、滑らかな線を描く頬。瞳はいつも、今にも泣き出しそうに潤っていて、今は陽光を返してキラキラと光っている。微笑むと、ふっくらとした頬に笑窪が出来た。
美人は三日で飽きるというが、毎日静に会っているのに、飽きることなく見惚れてしまう。自慢の親友だ。
しかし、静の白い顔には、ひどく目立つ
「静ちゃん、ひどいクマ。また、夜遅くまで勉強をしていたんでしょう?」
静は、ふふふ、と小首を傾げて笑った。
「違うの。昨晩は
そう言って、静は着物の袖を摘まんで見せた。
上手に矢絣の模様に紛らわせ、赤い糸で縫った跡がある。
「――新しい制服、買わないの?」
「あと二年だし、私はいいわ」
静は繕った部分を撫でながら、首を振った。
静の家は決して裕福ではない。村の外れに狭い畑を持つ、小さな大豆農家だ。
静とは、小学校で出会い仲良くなった。小学校を卒業したら、お別れになるだろうと覚悟していたのだが、静も女学校に進学して驚いた。嬉しかったが、まさか静の両親が、静を女学校にまで行かせるとは思わなかった。
(無理をしてでも、静ちゃんを女学校に行かせたかったのね)
静は美しい。きっと静の両親は、静を良家に嫁がせるため「女学校卒業」の箔をつけたいのだ。
静の静謐な横顔を見ていると、久子はいつも複雑な気持ちになった。
天は二物を与えない。
静は「美」と「頭の良さ」を与えられたが、貧乏だ。着物はいつも着古したもので、文房具も誰かのお古だ。ノートは隅から隅までびっしり書き込み、なおかつ、なかなか新しいページを使おうとしない。
きっと静の両親は、静が良家に嫁ぐのを運命を賭する気持ちで願っている。静が金持ちに嫁ぎさえすれば、家はひとまず安泰だ。
一方、久子は大きな材木問屋の一人娘だ。家は裕福で、新しいセーラー服もすぐに買ってもらえた。今日は徒歩で登校しているが、自転車も持っている。だが、勉学には自信がない。
……「美」については、静ほどではないが、並以上の容姿であるとは自負している。つい先日にも、近所の青年に熱っぽい視線を向けられたばかりだ。
どちらが幸せだろうと比べ、馬鹿なことを考えるのはよそうと頭を振った。
違う人間を比べて何になる。
右肩にふと、春風のような温もりを感じて、久子は顔を上げた。
担任の
「二人とも、早いですね」
「先生、おはようございます」
静と声を合わせて挨拶をする。山辺はにっこりと微笑んで「おはよう」と返した。
低く穏やかな声に見合った、優しい目元。それとは真逆に、背広に包まれた広い肩。背広からは、日を浴びた畳のような懐かしい匂いがした。
今日は良い日だ。朝から先生と並んで歩けた。
山辺の背広に触れそうで触れない、セーラーの右肩がじわりと熱くなる。