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第31話 幾星霜の呪いの子・下

「いろいろあったんですね」

 司が静かに同意すると、老人は我に返り「そうだ。写真があるよ」と膝を打った。


 老人は、引き戸で仕切られた隣の部屋に入ると、押し入れの中を引っ掻き回し始めた。手伝うべきか、他人の家で勝手をすべきではないかと迷っていると、隣室から老人が声を張り上げる。

「昔のアルバムに松永味噌の写真が残ってたと思うから、ちょっと待ってな!」

「すみません」

 部屋を見渡す限り、老人は一人暮らしだろう。久しぶりの会話で記憶を刺激されたのか、昔語りをできるのが嬉しいのか、どこか張り切った様子だ。


「あった、あった」

 やがて、色褪せたビロードのアルバムを二冊ほど抱えて、老人が戻ってきた。

 糊が茶色く変色したアルバムのページには、白黒モノクロ写真がいくつも収められていた。どの写真にも写っている、坊主頭の丸顔の少年が幼少期の彼だろう。

 大きな日本家屋の前で、幼少期の老人と、髪をお下げにした美しい少女が並んで写っている。「これが芳子ちゃん。別嬪べっぴんだろ」と老人が得意げ指さした。

「本当だ。すごく美人」

 司が大きく頷いて同意すると、老人は張り切ってページをめくり始めた。

「これが味噌蔵。こっちが松永のお屋敷。ね、大っきいだろ? この、家の前のひろーい庭でよく芳子ちゃんと遊んだんだ」

 アルバムは老人の家のものなのに、松永味噌の仕事風景、季節折々の行事での様子、松永家の団らんや、松永家の子供たちが遊ぶ姿など、隣家の写真ばかりだった。一家そろって、裕福な隣家と繋がりがあることを誇りに思っていたのだろう。

「わ、お餅ついてる! これはお正月?」

 司が指さした写真は、広い庭先で餅つきをしている写真だった。

 杵を振るのはおそらく正太郎。臼を支えているのは、正男と老人の父親を含む、ベテランの従業員たちだろう。

 芳子と、赤子を背にくくった正男の妻らしき女性が、そばで餅を丸めている。離れたところから斜に構えて眺めている細面の青年は清二か。

「そうだよ。こっちは花見」

 こちらも松永家での写真だ。庭先の立派な桜を囲んで、一家と従業員が顔を揃えている。中心に、酒で顔を赤くした正太郎が座り、その周りを家族が取り囲んでいる。たくさんの茣蓙ござが敷かれ、従業員たちも、おのおの弁当を食べたり酒を飲んだりしていた。


 芳子と老人がままごとに興じる写真、軒先で花火をする写真、豆まきで正太郎が鬼を演じる写真。ほとんどの写真が、中心に正太郎を据え、家族と、一家にお邪魔している老人がそれを取り囲んでいる。


「ねえ」

 アルバムをめくりながら司が首を傾げる。

「お母さん、全然写ってないね? 正太郎さんの奥さん」

 司に言われ、はたと気づく。

 どの写真にも正太郎の妻が写っていない。正太郎とその子どもたち、長男の嫁、まだ乳児の長男の息子。斜に構えた清二ですら、何枚かの写真に映っているのに、一家の母である正太郎の妻の姿がまったくない。

「ああ、しずさん? 静さんの写真はないんでねえかな」

 老人がけろりと答える。

「どうして? 写真嫌いだったんですか?」

 違う、違うと老人が首を振る。

「本人が嫌っているんじゃない。正太郎さんが、静さんを写真さ写させないんだよ」

「……どうして?」

 おそろしく別嬪さんだったからね、と老人はうっとりと目を細めた。

「一度、若い職人が静さんに入れあげて、一緒に松永家から逃げようって唆したらしいんだ。それを知った正太郎さんは激怒して、職人をすぐに解雇クビにして、静さんを一週間離れの小部屋さ閉じ込めたんだ。それから、一週間を過ぎても、静さんを表に出さなくなっちゃったんだよね。家族が揃うような場所にも」

「閉じ込めたって……」

 芳子ら三兄弟の母親で、正太郎の妻――。これまでの調べの中で、ほとんど名前が挙がらなかった人物だ。夫に裏切られ、愛人には最も恨まれていただろう人物。なのに、どうして今まで思い至らなかったのだろう――。


 何度も思い描いた味噌屋の一家に、突然亡霊のような女が湧いて出てきた。  

 背筋が、ぞくりと震える。


松永静まつながしず……」


 静と正太郎は、一回りも年の離れた夫婦だった。

「松永家のことならなんでも知っている」と豪語する老人も、静については、正太郎と年が離れていること、たいそう美人であったことぐらいしか知らなかった。会話を交わしたこともないと言う。

 静の器量の良さは近所でも評判になり、近くに住む子どもや年頃の青年たちが、松永家の竹垣添いに覗きにきた。正太郎は彼らを追い払いながら、静が素性も知れないどこかの若者に奪い去られるのではと気が気でなかったようだ。先の、職人が静を唆す事件もあった。

 作業場所への出入りは禁止、従業員が休憩や食事を取る本宅への出入りも時間を制限、ほとんど静を離れから出さなかった。当然、皆が集まる季節の催し事にも、顔を出さないようきつく言っていた。

「朝早く新聞を取りに門さ行った時、静さんが庭先を散歩しているのを見かけたことがあったな。朝靄の中に立つ姿は天女様みたいで、それはそれは綺麗だったよ。ぼうっと見惚れていたら正太郎さんが飛んできて、俺はまだ十歳かそこらだってのに頬を思いっきり張られた」

 思いっきりだよ? と老人は笑う。

「色が抜けるように白くて、目がガラス玉みたいに濡れて光って……。ここらじゃお目にかかれない、女優さんみたいな顔だったなぁ。そうそう、お嬢ちゃんさ少し似てる」

 老人は、今気づいたとでも言うように、司の顔をまじまじと覗き込んだ。

「あれ、ほんとに似てるな」

「――そうですか?」

 似ているのも無理はない。司は静の曾孫なのだから。

 司の、澄んだ瞳や色の白さは曾祖母からきているのかと思うと、血の繋がりを感じずにはいられなかった。

 やはり司は、松永家の血を引く人間なのだ。 

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