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第28話 幾星霜の呪いの子・下

「私は! 呪われているかもしれないって思ったことはある! もしかしたら、本当に松永家の男子は呪われてるんじゃないかって」

「うん」

「お父さんとお母さんとお兄ちゃん……三人が死んだ車の事故、後で聞いたら居眠り運転が原因だったんだって。居眠り運転のトラックが、うちの車に突っ込んできたって」

 居眠り運転のワードに背筋が凍る。さっきの運転手も、居眠りだったと白状している。

「お父さんは速度も信号も守って安全運転していた。なんの問題もなかったんだって。それなのに、みんな死んじゃうなんて呪われてんのかなって思った。お母さんのお兄さん、実おじさんもそう。なんにも悪いことしてないのに誘拐されて殺された。なんにも、なんにも悪いことしてないのに……。おかしいよね……。私自身も呪われてるのかな、やっぱり呪いはあるのかなって思ってきた」

「うん」

「でも、怖いと思ったことはなかった。何かあったら、絶対に崇文が助けてくれると思ってたから」

 涙ぐんだ目で司が見つめてくる。

「うん。もちろん」

 安心させようとすぐに頷いたのに、司の目は、さらに悲しそうに歪んだ。

「事故や事件に巻き込まれたら、崇文が助けてくれるって思ってる。もしも急に病気になったら、崇文が治してくれるって思ってる」

「もちろん、助けるよ絶対に」

「小さい子供じゃないのに、馬鹿みたいでしょ」

「馬鹿じゃないよ。俺は司のためだったら、なんだってやる」

 天才医師になることは不可能だが、特効薬か、どんな病も治す優秀な医者を見つけてくる覚悟はある。

 司の両手を取って目線を合わせる。絶対に助けると伝えているのに、司の目はますます歪んで涙の膜が張る。

「たとえ私が本当に呪われてたとしても、崇文が守ってくれるって信じてる。崇文はいつだって、私を優先してくれるって思ってる。現に崇文は、坊さんになんてならないって言ってたのに、得度(とくど)を受けてお寺を継いだ」


 司が呪われた松永家の生き残りだと聞いたあの日、父の跡を継ごうと決意した。仏門に入ることにどれだけ意味があるのかわからないが、一般人でいるよりは司を呪いから守れるのではないかと思ったからだ。仏教系の大学に進むと言うと、父も母も喜んだ。


 呪いなんか信じないと口では言いつつ、自ら司の呪いを「肯定」してしまっていた。

「私のせいで崇文の将来が決まっちゃった。崇文は、本当はなにになりたかったの? 将来の夢はなんだったの? 小学校の頃は消防士になりたいって言ってたよね?」

「……司」


 そんな昔の話、よく覚えていたな。俺自身すっかり忘れていた。

 俺がいつも司を気にしているように、司も俺のことを考えていてくれたんだな。

 小学校一、二年の頃だろうか。特殊能力を持った消防士が、火を操る悪魔と戦うアニメにはまっていた。将来は消防士になりたいと、たしかに言っていた。クラスの男子の大半が、同じような夢を口にしていた。

「消防士になりたいって言ってたじゃない! 坊さんなんて、着物がダサいからやだって!」

 ついに司の目から涙が転げ落ちる。一粒落ちると、あとはとめどなく滝のように流れた。

「私がいなかったら、お坊さんにならなかったよね? 私がいなかったら、崇文は何になりたかったの? 私がいなかったら……」

「司」

「いつも崇文に悪いって思ってた。なのに、一方では当たり前のように崇文が助けてくれるって思ってる。お寺を継いで住職になるって聞いたときも、頭のどこかで『やっぱり』って思った」

 私はひどい、と司が泣きじゃくる。

「私の身になにかあったら崇文がなんとかしてくれる、崇文が助けてくれるって疑ったことがない。お父さんやお母さんが、崇文が、私が呪われてるって信じているのと同じように、私も崇文がどうにかしてくれるって信じてる」

「もちろんだ! 信じていいよ。なんで泣くんだ」

「それじゃあ、だめなんだよ!」

 司がシャツにしがみついてくる。

「呪いなんてありもしないものを信じて、私たちはお互いの人生を台無しにしてる。お互いにお互いの行動を縛って……これじゃあ、まるで呪い合ってるようなものだよ!」

「司……」

「これ以上、私に崇文を呪わせないで」

 司が、子どものように泣きじゃくる。涙はあとからあとから溢れ、顎を伝って白いニットに消えてゆく。親指で涙を拭ってやる。そのうち垂れてくるだろう鼻の下にティッシュを当ててやると、自分で拭く、と言ってティッシュを奪い取られた。


 ――ずっとそんな風に考えていたのか。

 この前言いかけたのは、このことだったんだな。

 崇文は「司は呪われている」と思い込み、女のふりをさせてでも司を生かそうとしてきた。

 司は、呪われていても、崇文が助けると信じて疑わず、だがその考えが崇文を束縛していると悩んできた。

 同じ目的を持っているようで考えがまるで違い、想い合っているようですれ違っている。

 自分たちの関係は、愛情と信頼と、互いを想いやる気持ちが複雑に絡み合い、そばにいるのに何もわかり合えていなかった。

「三峰の家に迷惑をかけてる……崇文の人生を台無しにしてる……。私は大丈夫だから。大丈夫だから、もう放っておいて。崇文も自由に生きて」

「放っておくわけないだろう」

 自由に生きていいと言うのなら、司がずっと健康に楽しく暮らせるよう、そばについている。――大切な妹……弟だから。

「消防士なんて忘れてたよ。よく憶えてたな」

「……」

「それに、小学校の社会科見学で消防署に行って、消防士にはなりたくないって思ったんだ。夜勤が無理だ。俺、夜の十二時過ぎると起きていられないの、知ってるだろ?」

「……ふ」

 ふはっと司が吹き出し、崇文のシャツに洟だか涎だかが飛んだ。

「医者、看護師、土木作業員。コンビニの店員もだめだな。起きていられる自信がない」

「……崇文、十二時前に眠くなって、朝五時に起きちゃうんだよね。おじいちゃんだもんね」

「小学校の頃から、朝の鐘突いているんだから仕方ないだろ。習慣だよ」

「ふふふ」

 小首を傾げて笑う、見慣れた笑い方。

 これは司の自然な仕草なのだろうか。それとも母が「女らしくいろ」と厳しく躾けた賜物だろうか。

 本当はどんな風に笑うのだろう。 

 涙や洟水で濡れそぼってもなお、綺麗な顔。見ていると物悲しくなった。命さえあれば良いと、性別まで偽った不憫な子。

 司の呪いがなければ、と願ったことはあるけれど、司と出会わなければと思ったことはない。


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