「大丈夫だってば!」
嫌がる司の手を引っ張り、片手で端末を操作してまだ開いている病院を探した。夜も更け、診てくれそうな病院は、ホテルから離れた夜間救急病院しかなさそうだった。
二人分の上着を掴んで部屋を出ようとすると、後ろで司が急ブレーキをかけた。
「痛いっ」
悲痛な声に、心臓が縮み上がる。
「どこが!?」
振り返ると司が顔を
「背中か? 骨、いってそうか!?」
「崇文が引っ張る手が痛いんだって! 大丈夫だから、ちょっと落ち着いて!」
焦るあまり強く引っ張り過ぎていたようで、慌てて司の手を離した。手を解放された司は、水分を切るように手を振りながら、「腕がもげるかと思った」と文句を言っている。
「心配し過ぎだよ」
司が頬を膨らませ不服を訴える。
「だっておまえ……車に轢かれたんだぞ?」
「轢かれてはないよ。鞄がぶつかっただけ」
そう言って、司は、車に擦られて黒い汚れのついたボディバッグを掲げて見せた。
横断歩道を渡り終え、
信号が変わり、停車していた車が続々と発進し始めた。はじめはゆっくりと、次第にスピードを上げて。その車の群れの中の一台が、急に軌道を変えて、歩道に乗り上げてきた。
「なんで急に歩道に……」
歩道側に一番近い車線を走っていた車だった。ゆっくりと境界線を越えて、しゃがむ司の背中に接近してきた。青信号で動き出した直後だったので、スピードはそれほど出ていなかったが、咄嗟に引っ張り上げていなければ危なかった。そのまま、車の下敷きにでもなっていたら、と血の気が引く。
「なんで、司だけ」
車から、血相を変えた運転手が転がり出てきた。疲労のあまり、居眠りをしてしまったと言う。赤信号で停車している間に意識が朦朧としてきたらしく、自分でも信じられないと、狼狽していた。
運転手のほうから救急車を呼ぼうと提案してきたが、怪我はないから必要ないと、司が頑なに断った。
運転手の通報で警察が駆けつけたが、被害は、立て看板を一つ倒しただけだとわかると、あとは両者で話し合ってくださいとすぐに帰って行った。
「私、しゃがみ込んでたから」
「俺たち、ちゃんと歩道にいたじゃないか! 車が歩道に突っ込んでくるなんて……そんなことってあるか?」
「ちょっとびっくりしたけどね。大丈夫、怪我はしてないし」
ほら、と司はニットと下着のTシャツをまとめて捲り上げた。真っ白い脇腹が覗く。傷もなければ、痣や赤みも見当たらなかった。
「――しまって」
ニットを下ろしてやり、まだ興奮の収まらない気持ちでベッドへ腰かけた。
「鞄がクッションになったからなんともないよ。それより崇文こそ思いっきり転がったけど大丈夫だった?」
司を抱え込んで歩道の端まで転がった。百八十を超す男が、同じく高長身の女を抱きかかえて転がってきたのだから、たまたまそこを通りかかった歩行者はひどく驚いただろう。
「俺はなんとも」
「手のひら、擦りむいてる……。ちょっと待ってて、フロントで消毒液もらってくる」
キーを持って部屋を出ようとするので、崇文は再び司の腕を掴んだ。
「行くな!」
激しい制止に、司が目を見開いた。
「……びっくりしたー。なに、」
「一人で行くなっ! 俺が取りに行く。ついでにメシも買ってくるからおまえは部屋で待ってろ!」
心配顔だった司の目が、次第に剣呑な色を帯びてくる。
「また! また始まった!」
司が目を吊り上げる。
「外に出るな、中にいろ、危ないことには近づくな。崇文はいつもそう! 過保護過ぎる!」
「過保護にもなるだろう!? 車に轢かれかけたんだぞ!」
たくさんの人間が歩道にいたのに、おまえだけ、という言葉は飲み込んだ。
「……やっぱり呪われてるとか思ってんでしょ」
「……」
「西延寺のご住職が言ってたじゃない! 呪いなんかないって。呪いを作り出しているのは『呪われてる』って思い込んでる側だって!」
「そうは言ってたけど、ここ最近、あまりにも多いじゃないか! なんでおまえばっかり殺人犯にニアミスしてたり、歩道にいたのに轢かれかけたりするんだ! 司は、司はおかしいって思わないのか!」
「――思わない」
ふてくされた顔で低く司が答える。
「嘘つけよ。どう考えたっておかしいだろ。……頼む、俺には本当のことを言ってくれ。そのためにここまで来たんだろう?」
「……」
長い沈黙が流れた。
急激に感情が冷めてゆく、司の暗い瞳。真一文字に結ばれた唇。さっきまで毛を逆立てた猫のように瞳を光らせていたのに、急に能面のような表情のない顔になる。
司が殻に閉じこもる、前触れだ。
「――司。ここで黙り込むのは、なしだ」
「……」
「俺たちは呪いの決着をつけにここまで来たんだろう? 思っていることがあるならここで言って」
「……」
「――俺は明日、一人で松永家のあった場所に行ってみる。そこで何かないか調べて、」
「私は!」
司が突然大声を上げた。しばらくは口をきかないだろうと諦めていたが、珍しく自分から口火を切った。殻に閉じこもる時間としては、最短を記録したかもしれない。