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第27話 幾星霜の呪いの子・下

「大丈夫だってば!」

 嫌がる司の手を引っ張り、片手で端末を操作してまだ開いている病院を探した。夜も更け、診てくれそうな病院は、ホテルから離れた夜間救急病院しかなさそうだった。

 二人分の上着を掴んで部屋を出ようとすると、後ろで司が急ブレーキをかけた。

「痛いっ」

 悲痛な声に、心臓が縮み上がる。

「どこが!?」

 振り返ると司が顔をしかめている。

「背中か? 骨、いってそうか!?」

「崇文が引っ張る手が痛いんだって! 大丈夫だから、ちょっと落ち着いて!」

 焦るあまり強く引っ張り過ぎていたようで、慌てて司の手を離した。手を解放された司は、水分を切るように手を振りながら、「腕がもげるかと思った」と文句を言っている。

「心配し過ぎだよ」

 司が頬を膨らませ不服を訴える。

「だっておまえ……車に轢かれたんだぞ?」

「轢かれてはないよ。鞄がぶつかっただけ」

 そう言って、司は、車に擦られて黒い汚れのついたボディバッグを掲げて見せた。


 横断歩道を渡り終え、母娘おやこを見送っていたときだ。

 信号が変わり、停車していた車が続々と発進し始めた。はじめはゆっくりと、次第にスピードを上げて。その車の群れの中の一台が、急に軌道を変えて、歩道に乗り上げてきた。

「なんで急に歩道に……」

 歩道側に一番近い車線を走っていた車だった。ゆっくりと境界線を越えて、しゃがむ司の背中に接近してきた。青信号で動き出した直後だったので、スピードはそれほど出ていなかったが、咄嗟に引っ張り上げていなければ危なかった。そのまま、車の下敷きにでもなっていたら、と血の気が引く。

「なんで、司だけ」

 車から、血相を変えた運転手が転がり出てきた。疲労のあまり、居眠りをしてしまったと言う。赤信号で停車している間に意識が朦朧としてきたらしく、自分でも信じられないと、狼狽していた。

 運転手のほうから救急車を呼ぼうと提案してきたが、怪我はないから必要ないと、司が頑なに断った。

 運転手の通報で警察が駆けつけたが、被害は、立て看板を一つ倒しただけだとわかると、あとは両者で話し合ってくださいとすぐに帰って行った。

「私、しゃがみ込んでたから」

「俺たち、ちゃんと歩道にいたじゃないか! 車が歩道に突っ込んでくるなんて……そんなことってあるか?」

「ちょっとびっくりしたけどね。大丈夫、怪我はしてないし」

 ほら、と司はニットと下着のTシャツをまとめて捲り上げた。真っ白い脇腹が覗く。傷もなければ、痣や赤みも見当たらなかった。

「――しまって」

 ニットを下ろしてやり、まだ興奮の収まらない気持ちでベッドへ腰かけた。

「鞄がクッションになったからなんともないよ。それより崇文こそ思いっきり転がったけど大丈夫だった?」

 司を抱え込んで歩道の端まで転がった。百八十を超す男が、同じく高長身の女を抱きかかえて転がってきたのだから、たまたまそこを通りかかった歩行者はひどく驚いただろう。

「俺はなんとも」

「手のひら、擦りむいてる……。ちょっと待ってて、フロントで消毒液もらってくる」

 キーを持って部屋を出ようとするので、崇文は再び司の腕を掴んだ。

「行くな!」

 激しい制止に、司が目を見開いた。

「……びっくりしたー。なに、」

「一人で行くなっ! 俺が取りに行く。ついでにメシも買ってくるからおまえは部屋で待ってろ!」

 心配顔だった司の目が、次第に剣呑な色を帯びてくる。

「また! また始まった!」

 司が目を吊り上げる。

「外に出るな、中にいろ、危ないことには近づくな。崇文はいつもそう! 過保護過ぎる!」

「過保護にもなるだろう!? 車に轢かれかけたんだぞ!」

 たくさんの人間が歩道にいたのに、おまえだけ、という言葉は飲み込んだ。

「……やっぱり呪われてるとか思ってんでしょ」

「……」

「西延寺のご住職が言ってたじゃない! 呪いなんかないって。呪いを作り出しているのは『呪われてる』って思い込んでる側だって!」

「そうは言ってたけど、ここ最近、あまりにも多いじゃないか! なんでおまえばっかり殺人犯にニアミスしてたり、歩道にいたのに轢かれかけたりするんだ! 司は、司はおかしいって思わないのか!」

「――思わない」

 ふてくされた顔で低く司が答える。

「嘘つけよ。どう考えたっておかしいだろ。……頼む、俺には本当のことを言ってくれ。そのためにここまで来たんだろう?」

「……」

 長い沈黙が流れた。

 急激に感情が冷めてゆく、司の暗い瞳。真一文字に結ばれた唇。さっきまで毛を逆立てた猫のように瞳を光らせていたのに、急に能面のような表情のない顔になる。

 司が殻に閉じこもる、前触れだ。

「――司。ここで黙り込むのは、なしだ」

「……」

「俺たちは呪いの決着をつけにここまで来たんだろう? 思っていることがあるならここで言って」

「……」

「――俺は明日、一人で松永家のあった場所に行ってみる。そこで何かないか調べて、」

「私は!」

 司が突然大声を上げた。しばらくは口をきかないだろうと諦めていたが、珍しく自分から口火を切った。殻に閉じこもる時間としては、最短を記録したかもしれない。


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