奥から顔をのぞかせたのは、生真面目そうな顔をした中年の住職だった。銀縁の眼鏡のフレームから、吊り上がった細い眉がのぞいている。作務衣の下には白いワイシャツとネクタイを身に着けており、剃髪していなければ、会社の経理部長でもしていそうな風貌だ。
「はい? 御用でしょうか」
発する声もきびきびとしており、神経質そうな顔の印象そのままだ。話の切り出し方によってはこじれそうだと、崇文は気を引き締めた。
「お忙しいところ申し訳ありません。ある、お墓を参らせていただきたくお呼びしました」
「墓地は裏手になります。どちらのお墓ですか?」
「はい、あの……。仙台市
「松永」の名を出すと、それまで無表情だった住職の顔に、わずかな緊張が走った――ように見えた。
「松永味噌醸造の敷地内で縊死した仏さまがいらっしゃいましたよね。その方がこちらにいると聞いて参りました」
「……貴方たちは、どういったご関係で?」
住職は気難しそうな顔をさらに曇らせ、崇文と司の顔を代わる代わる見た。
先の事件にもあったように、心霊スポット巡りやオカルト動画を録ろうと、寺院や神社に撮影に来る者が増えていた。もちろん許可を取ってマナーを守る者もいるが、無許可で、しかも時間外に忍び込んで撮影する不届き者も、中にはいた。寺院側はそういった侵入者に困り果てていた。それに、たとえマナーを守っていたとしても、故人が眠る静かな場所を、無暗に撮影させたくないのが本音だろう。おそらく、この住職もそのタイプだ。
「私、松永家の人間です」
それまで、静かに控えていた司が、一歩前へと進み出た。
「松永正太郎の曾孫です」
――司が自ら「松永」と名乗ったのを、初めて聞いた。呪われた松永の姓を、しかも、千代が眠るこの場所で口にしたことに、崇文は静かにショックを受けていた。
司は、経理部長顔の住職に頭を下げると、丁寧な口調でここにきた目的を説明した。
「こちらで供養されている五条千代さんをお参りしに来ました。曾祖父と……、松永家と関係のあった女性だとお聞きしていましたので」
住職はしばらく司の顔を見ていたが、真剣な様子を感じ取ったのか、講堂から出て「こちらへ」と先に立って歩き出した。
目の前には鬱蒼と茂る緑の山肌。ひと気のない境内。
先を歩く住職の背中には、我々を歓迎していない、拒絶の雰囲気が感じられた。
寺の裏手に、墓地とは別の中庭のような場所があった。竹垣に囲われ、様々な樹木が植えられている。そこで住職は、一画を指さした。
「お探しの墓はこちらです」
住職が示したのは、枝ぶりのよいヤマツツジの木だった。今はまだ、蕾もない、葉だけの状態だ。だが、きれいに手入れをされ、もう少し暖かくなったら見事に花をつけるのが目に浮かぶ。
「これが……?」
司と二人で木を見上げていると、住職がぐるりと中庭を見渡した。
「ここは身寄りのない方や、家族が見つからない方々のお墓です。いわゆる、樹木葬という形を取っています」
ここにたくさんの仏様が眠っていると知らされ、崇文は知らず知らずのうちに数珠を握り締めていた。
風が吹き抜け、樹木の葉が乾いた音を立てて揺れた。大小さまざまな葉が擦れあい、屋根を叩く小雨のような心地のよい音楽を奏でている。
「気持ちのよいところですね」
思わず呟いていた。
「ええ。南向きですので。風通りもいい。――ここなら、」
住職は一旦言葉を切ると、先ほどまでより、やや穏やかな顔つきでこちらを振り返った。
「ここなら、皆さん寂しくないでしょう」
崇文は、かねてより自分が死んだら海に散骨してもらおうと考えていた。だが、ここを訪れ、樹木葬もいいなと思った。まさに「死んだら土に還る」そのものだし、散骨と同じように、自然の一部になった気になれる。理想的な埋葬方法だと思った。
死んだら立派な墓などいらないから、こんな場所に埋めてほしい。
「五条千代さんが、……松永家の当主の愛人で、敷地内で首を吊ったというのはご存じですか?」
住職の人柄を信用して尋ねた。
「ええ」
「その際、松永一族を呪って死んだと言われていまして。実際にその後の松永家に不幸が続出したものですから、一度千代さんを参らなければならないと思いました」
住職は表情を変えずに頷いた。「――なるほど」
「失礼を承知で申し上げます。もしも千代さんの供養が足りてないのであれば、懇ろに弔ってほしいとお願いするつもりでした。私たち自身も、きちんと祈ろうと――。けれど、無用な心配でした」
豊かな自然に囲まれ、住職に丁寧に弔われている。おそらくここで眠る仏様たちは、すでにここを去り自然の一部に――輪廻転生の輪に乗っている。
「自分たちが一度も墓参りをしていないというのに、ひと様の供養の仕方を疑うなど言語道断でした。本当に、失礼を致しました」
住職に頭を下げてから、改めてヤマツツジに向かって頭を垂れた。手を合わせ、自分の名と司の名を名乗ってから、これまで訪れなかったことを千代に詫びた。まだ、司の名を名乗るのは少し怖かった。
目を開けたタイミングで、住職が口を開いた。
「松永家の、そちらのお嬢さんも、呪われていると思ってこちらにいらしたんですね?」
「……はい、そう思っていました」
正直、住職の前で呪いを信じていると告白するのが恥ずかしかった。だが、恥を晒すのを恐れて、住職の話を聞き逃すのはもっと嫌だ。
「不幸なことが続いた、と。お嬢さんご自身も、自分は呪われていると思いますか?」
住職が司に向き直った。
「私は……」
司は目の前のヤマツツジの木を見上げると、一言一言、言葉を選んで語り出した。
「正直、わかりません。何度か、死が間近に迫ったと感じる瞬間はありました。けど、それは誰の身にも起こり得ますよね? 事故や天災、運が悪かったとしか言いようのないこと……。誰だって、いつ死ぬかなんてわからない。自分の身に起こる不運が、たまたまなのか、呪いのせいなのか、よくわからないです」
以前、稲荷の祟りを恐れてうちにきた女性に対して、崇文が諭した話と同じだった。事故や空き巣が稲荷の祟りのせいだと言うのなら、この世は祟りを受けた人間で溢れ返ってしまうではないか、と。かつて自分が口にした言葉が、ブーメランのように返ってくる。
「そういう危険な目に遭うことが、他人より多いのかどうかも、わかりません。ただ……家族がみんな死んでしまったのは事実です。兄も両親も、伯父も、みんな早死にしてしまうなっていうのは感じます」
「……」
崇文は、住職に手帳をつきつけ、一族のほとんどが早死にしているんです! と、訴えたい気持ちをぐっと堪えた。
ふむ、と頷き、住職もヤマツツジを見上げた。
「
一言も聞き漏らすまいと、司が大きな目を見開いて住職を見ている。
「たいていの方は、死の間際、なにか思い残すことがあるでしょう。恨みつらみを抱えて亡くなる人もいると思います。ただ、その思いが、現世に残って、長く他人の人生に影響を及ぼすでしょうか? ……失礼。あなたのご先祖にどんな不幸が起こったかはわかりませんが」
そこで住職は一旦言葉を切ると、こちらを振り返った。
「『呪い』は、呪おうとする者があって存在するのではなく、呪われたと信じる者がいて初めて成り立つものではないでしょうか?」
住職にそう言われ、崇文は返す言葉が見つからなかった。
「――貴方のお寺でも、相談に来た方に、そういうお話をするのではないですか?」
同業と見抜かれていたのだとわかり、崇文は顔から火の出る思いだった。初めから、名乗るべきだった。
「――はい。仰る通りです」
「逆を返せば、『呪われている』と思っていなければ、死はただの死でしかないということです。さっきお嬢さんが言っていた通り、事故や天災、まさに『運が悪かったとしかいいようのないこと』は誰の身にも起こりえるのです。私にも、貴方たちにも」
「……」
「恐れるあまり『呪い』を自ら作り出していませんか?」
そう問われ、何も答えられなかった。