正男、清二、芳子の三兄弟を繋いだ線を、上へと伸ばす。
この異常な死の連鎖の原因となったのが、三人の父、
正太郎は、松永味噌醸造の三代目当主である。
正太郎の代で、松永味噌醸造は事業の拡大に成功しており、正太郎の商売の手腕が優れていたことが窺える。このとき従業員の数が百人近くにも上り、松永味噌醸造の最盛期であった。商品の味噌が天皇家御用達となった時期もあり、地元の史料館には松永家の写真が多く残っていた。松永家は、地域では知らない者がいない、裕福な商家であったようだ。
数年前、単身で仙台入りしたときに、祖父が松永味噌と同業者だったという男から話を聞くことができた。食品加工業を営む男で、男の祖父が、正太郎と面識があったそうだ。
「子どもの頃、祖父が『松永さんとこの正太郎さん』と噂しているのを、何度か聞いたことがあります。祖父の話す正太郎さんは、豪快なひと、という印象でしたね」
松永味噌の三代目と言えば、仕事を終えると従業員を引き連れて朝方まで飲み明かす、豪放磊落な男という印象だったそうだ。飲みに行った先で、店にいる客全員の勘定を払ってやったなどの逸話もあり、気前の良い男と有名だった。
気前の良さは金払いだけに留まらず、正妻の他に何人もの愛人がいて、夜な夜な
やがて、愛人のうちの一人が、松永味噌の敷地内で自殺する悲惨な事件が起きた。
女の名は
千代は夫を病で亡くし、町のはずれで小さな畑を維持して暮らしていた。どういう経緯か正太郎と知り合い、愛人関係となった。二人は細々と関係を続けていたようだが、正太郎にすげなく縁を切られると、千代は激昂した。もともと気性の激しい女だったのか、まじないでも嗜む女だったのか、一方的な別れの腹いせに、松永家の男子を末代まで呪うと書き残し、松永家の味噌蔵で首を吊ってしまった。
翌日、松永味噌醸造は上へ下への大騒ぎとなった。
梁からぶら下がる、異様に首が伸びた千代の遺体。遺体の真下には、味噌とも体液とも判らぬ液だまりができていた。蔵中に漂う麹と汚物が入り混じった凄まじい臭気。あまりの光景に、数人の丁稚奉公が逃げ出した。
遺体を運び出す際、千代の指先が欠損しているのを従業員の一人が発見している。見ると、千代の足元にあった味噌桶に、血文字で「末代呪」と書かれていた――。
このとき仕込んでいた味噌はすべて廃棄。味噌づくりに菌はご法度で、少しでも余計なものが混ざれば味噌は完成しないからだ。
この一件に関して、厳しい箝口令が敷かれた。世間体ももちろん、衛生面を危ぶまれ、味噌が売れなくなったら大ごとだ。
しかし、崇文が出会った男の祖父は、松永味噌の若い職人からこの事件の仔細を聞いたらしい。
「お喋りな奴ってのは、どこの世界にもいますから」
この事件をきっかけに、松永味噌醸造は衰退の一途を辿る。
千代の自殺の数日後、正太郎が味噌蔵で遺体となって発見された。第一発酵の大桶をかき混ぜていたら、底から正太郎の遺体があがってきたのだ。
味噌づくりに使われる木桶は、高さがおよそ二メートルもある。作業をするには、桶に立て掛けられた梯子を昇らねばならない。
当初、正太郎は桶の
正太郎の死を皮切りに、先述の通り、一族の男子が事故や病気、自死など、皆、異様な死に方で命を落としていった。
ペンを止め、崇文はあらためて司の家系図を眺めてみた。
司と誠を起点に枝葉のように伸ばされた家系図は、司以外の人間がみな死んでいた。
もちろん、何代も上の先祖が亡くなっているのは当然なのだが、その下に続く親族の誰もが亡くなっている異常さが際立った。寿命を全うしたと言えるのは司の祖母・芳子一人。中年まで生き伸びたのが司の母・香苗。男子はみな、三十歳を前に不審な死を遂げている。
「……」
崇文は完成した家系図の外側に「千代」と名前を書き、何度も丸でなぞった。
千代は今、ちゃんと供養されているのだろうか。長年の代替わりを経て、打ち捨てられているのではないか。千代を弔いさえすれば、呪いの連鎖は止まるのではないだろうか。
「見事にみんな死んじゃってるね」
はっと顔を上げると、司が手帳を覗き込んでいた。表情の抜け落ちた顔で千代と書かれた部分を凝視している。
「……そりゃあ、家系図ってそんなもんだろう。ご先祖様が全員生きてたら、何歳になるんだ」
「お父さんとお母さんの代くらいまでは、普通、まだ生きているでしょ?」
「――まあ、な」
ついこの前まで、司の前で「生きる」「死ぬ」という単語を口にするのさえ躊躇われた。けれど恐れているだけでは何も変わらない。自分たちはこれから、呪いの大元に接触しに行こうとしているのだ。崇文は自分に言い聞かせるように口を開いた。
「ちゃんと調べよう。俺はまだ、呪いなんてないって信じてるよ」