「お父さんとお母さんは『一親等』、おじいちゃんは『二親等』って言うんだ。わかる?」
大きな模造紙の中央に「崇文」と書き、丸で囲む。
隣には兄の名を、兄と自分の名前の上には、父と母の名を書いてそれぞれ丸で囲む。すべてを線で繋ぎ、両親の名前の横のあたりに、「一親等」と書き込んだ。
模造紙を覗き込んだ姿勢のまま、司が首を横に振る。
柔らかく細い髪の毛束がうなじで割れ、二つの束になって首から垂れていた。司が首を振るたび、白い紙の上でふわふわと揺れる。
両親の名の上に、さらに祖父と、今は亡き祖母の名を書き足す。
「おばあちゃんが生きていたら、おばあちゃんも二親等。
「
司の小さい手が、崇文の隣の兄の名前を指さす。
「お
答えに窮し、崇文はさりげなく話を終わらせた。まだ熱心に模造紙を覗き込んでいる司の髪を撫でてやり、余白に「司」と書いて丸で囲んだ。
「こっちには司のファミリーツリーを書こう。この丸が司。で、隣が、」
司のお兄ちゃんの
誠は死んだ。
誠だけでなく、司の両親も、そろって死んでしまった。司以外の家族全員が乗った車が事故に遭い、司を残してみんな死んでしまったのだ。司は天涯孤独の身となってうちに来た。それをすっかり忘れて家系図を書こうとするなんて……自分の軽率さを悔やんだ。
「お兄ちゃんは死んだ」
乾いた声で司が言う。
「――うん」
ぎこちない手つきで誠、と書き、急いで上へと線を繋げる。素早い筆運びで司の両親の名前を書いていると、司が「お父さんとお母さんも死んだ」と言うので、顔が上げられなくなった。
「知ってるよ」
さりげなさを装って、素早く線を上へと伸ばす。
「おじいちゃんとおばあちゃんは?」
「お父さんのほうのおじいちゃんとおばあちゃんには会ったことない。お母さんのほうのおばあちゃんは……よく覚えていない」
司は、小さく首を傾げた。唇に指を当て「一回しか会ったことない」と呟いた。
やっとまともな会話ができたのに安堵し、「おじいちゃんは?」と訊ねた。
「死んだ」
「……」
崇文のクラスでも、すでに祖父母を亡くしている子は多い。動揺を悟られないよう手元を見たまま、唾を一つ飲み込んだ。
「じゃあ、おじさんかおばさんは?」
司の両親の名の横に線を伸ばし、今まで訊いたことのない、
「お父さんとお母さん、兄弟はいた?」
「いた」
ようやく生きた親族の話を聞けるかと、こっそり胸を撫で下ろしていると、司がまた「でも、死んだ」と繰り返した。
「え?」
「死んだ」
「……え」
「
司の口から「死んだ」と繰り返されるたび、指先が冷たくなってくる。手先は冷えてゆくのに、背中にはじっとりと汗をかき、下着のTシャツが不快に濡れた。早く、早く話題を変えないと、と息苦しくなってくる。
あてどなく紙の上でペンを彷徨わせていると、「書くもの、なんにもないね」と司がぽつりと呟いた。
「……」
息の詰まるような沈黙が流れた。
司のファミリーツリーは、雑に描かれた丸が四つ、中央に寂しく並んでいるだけだった。
「司、」
なんと声をかけていいのかわからない。家族を亡くしてうちに預けられた司に、どうしてファミリーツリーを描こうなんて提案したのだろう。
「司」
顔を上げると、いつの間にか司が姿を消していた。部屋のどこにもいなく、崇文は慌てて廊下へ飛び出した。
階段を駆け降りると、一階の居間には父が、台所には母が立っていた。
「お母さん、司は? 司、降りてこなかった?」
「司?」
洗い物をしていた母が振り返り、手を拭いながら「死んだわよ」と応えた。
「え?」
「司でしょ? 死んだわよ」
――背中にびっしょりと汗をかいて目が覚めた。
枕元のスマホを取ると時刻は午前三時、カーテンの裏側には、まだ夜が黒く張り付いている。
最悪な夢だ。耳にまだ「死んだ」という乾いた声の響きがこびりついている。
途中までは現実の、小学校の頃の記憶をなぞった夢だった。社会の授業で、各自の家系図、ファミリーツリーを書いてこいとの宿題が出た。
部屋で宿題をしていると司が来て、一生懸命に覗き込んでいたところまでは事実だ。司の家族のことを訊いたのだが、司は「わからない」と言うばかりで、そのときは、司のファミリーツリーを書くことなく終わった。
今、同じような状況になったら、自分の隣に司の名前を書き、兄と全部繋げて三人兄弟にする。
(女子高生の事件があってから――)
若者の死を目の当たりにして、ショックは思いのほか大きかった。仕事上、人の死には慣れていると思っていたのに、加藤優花の死が残した心の傷は、癒えるどころか、膿んで悪夢と不安を長く残した。
膿はなかなか癒えず、司との関係にも軋轢を生んだ。
「ねえ。心配してくれるのはありがたいけど、私、店を辞める気はないから」
心配のあまり、カフェを辞めて長栄寺での仕事を手伝うのはどうかと提案したところ、司の顔色が一変した。
「お寺の手伝いが必要なんだったら、見習いを募集すればいいじゃん。そろそろ大学三年生が春休みに入る頃でしょ? なんで私が店を辞めなくちゃいけないの」
「司、違うんだ。カフェを辞めてほしいわけじゃなくて……。ここらも決して安全ってわけじゃないんだ。この前の女子高生の事件があっただろ?」
「私は女子高生じゃない」
「清水さんに声をかけられていたじゃないか」
「だから私はずっと寺にいろって? 外に出るなって?」
「そんなことは言ってない。ただ、」
誤魔化していては余計に司の怒りの火に油を注ぐと思い、崇文は本音を包み隠さず話した。
「目の届くところにいてほしいんだ」
「はじめっからそう言えばいいじゃん! 心配だから仕事を辞めろって。目の届くところにいろって!」
「――そうしてくれ。頼む」
「い、や、だ!」
正直に話せというからそうしたのに、司は一音一音切るようにして吐き捨てた。「だ」を言うときなんか、目を剥いていた。
作戦は失敗、ますます司を怒らせる結果になった。
それから数日は、司が夕飯を作りにきてくれることはなかった。