「あれ、来てたんだ」
四戸しか部屋のない小さなアパートの前に佇んでいると、司に肩を叩かれた。
連絡もせずにアパートを訪ねてきて、どれくらいこうしていただろう。長く待った気もするし、すぐに司が現れた気もする。時間の経過が、よくわからない。
「いつから待ってたの? 中に入っていれば良かったのに」
一人暮らしを始めた当初から、いつでも使っていいと合鍵を渡されていた。だが、司の不在時にアパートに上がり込んだことはなかった。司には司のプライベートがあるだろうし、妹の部屋に勝手に踏み込むようで躊躇われた。
「――うん」
言葉少なに返すのを、事件のショックだと思っているのか、司は何も言わずに崇文の手を引いた。二階の部屋の扉に鍵を差すと、室内へと招き入れる。
「寒かったでしょ。入って」
部屋を暖めようとリビングに向かう司の腕を捕まえ、背後から抱きしめた。
「ぐえ」
ふざけた声を発して、司がわざと身体の力を抜いた。全体重で
普段はしないような無様な転倒に、司が笑い出した。
「ごめん、大丈夫? 本気で倒れると思わなかった」
「……大丈夫」
一緒に笑って、今回の事件は酷かったな、などと話したかった。けれど、まだうまく笑えない。何かが喉を塞いで、ただ言葉を発するのも辛い。
二人でコートを着たまま、冷えたフローリングに転がっていた。
呆れたような、慰めるような声で「どうしたの」と司に訊かれ、答えようとしたが声が出なかった。
「……」
回した腕をぽんぽんと叩かれる。「誰のせいでもないよ」
掠れた声で、司が繰り返す。
「誰のせいでもない。大丈夫」
――何が大丈夫なのか。どこが大丈夫なのか。
何一つ大丈夫ではない。
怖かった。
今度こそ司が死んでしまうのではないかと、怖かった。
清水は、司にも声をかけていた。
司が仕事中でなかったら、誘いを受けて清水の家に入っていただろう。殺されていたのは、司だったかもしれないのだ。
瓦礫の下に遺棄されたのが司だったらと思うと、焼却炉に残された焼けた遺体の一部が、司のものだったらと思うと、足先からすべての血が抜け出て、もう二度と立てなくなるような気がした。
ただこうして抱きしめることでしか、司をこの世に留めておくことができない気がして、腕を解けなかった。
震える手で、さらにきつく司の身体を抱きしめた。
「苦しいって」
笑みを含んだ司の声を聞いて、安堵と焦燥感が入り混じる。
司の母方の血筋「松永家」の男子は、みな若くして亡くなっていた。
早い者で生まれてすぐ、長く生きた者でも三十になる前に命死んでいる。病気や事故、時には自らの手で、一族の男子は皆、漏れなく命を落としていた。
かつて松永家の当主と関係していた、
司が男子だと視覚で認識したあの日、母からその話を聞いた。
「松永家の男子は呪われている」と。
だから、司が男子であることを隠し通し、なんとか呪いを避けようとしているのだと。
『司が男の子だってことは、外では言っちゃだめ。家の中でもだめよ。できれば頭の中でも考えないでほしいの。呪いの力がどこまで及ぶのかわからないから』
崇文と同じく、母は幽霊の類をまったく信じない
『家族で力を合わせて司を守るの。松永家の一族でも、女性ならば生き伸びられるらしいから』
呪いなんて馬鹿らしい。そんなものあるわけない。――そう言いたかったのだが、母の様子に気圧され、何も言えなかった。普段は、寺の仕事を手伝えとか、早く宿題を済ませろ、などと小言ばかり言う母が、真剣な様子で呪いについて語るのがかえって怖かった。
それまで否定してきたお化けや幽霊、呪いや祟りといったものが、急に現実味を帯びて迫ってきた。
とにかく、司が男だと外部に漏れるのは、まずいのだ。司の命にかかわるようだ。
話の内容は半信半疑だったが、それからは、家族以外には司が男の子だということを一貫して隠してきた。
そうしていれば、司が不慮の事故で死んだり、病気になって突然死したりしないのだと信じてきた。
けれど、他者から強引に命を奪われるという可能性もあるのだ。
司が、清水の誘いに乗らなくてよかった。
清水の家を訪ねる機会がなくてよかった。
呪いは本物かもしれない――。
いくら寺を継いで僧侶になったところで、幾星霜の月日の呪いからは、司を守りきれないのではないか――――。
火事現場からの心霊レポート(了)