その時、隣の家の玄関が勢いよく開いた。
「何やってる!」
清水の主人が、サンダル履きで飛び出してきた。着の身着のまま、ものすごい形相でこちらに向かってくる。伸びきった白髪まじりの前髪から、異様にぎらつく両目が覗いていた。
「何を騒いでる!」
拳を振り上げて喚き散らす姿に、丸顔の女子がきゃあと悲鳴を上げた。高校生たちは団子のように一つに固まり、停めてある自転車の方へと後ずさった。
「お騒がせしてすみません。すぐに帰らせますので」
崇文が割って入ると、清水はよりいっそう目を吊り上げ、体当たりでもしそうな勢いで詰め寄ってきた。崇文も二、三歩後退る。
「大人が一緒になって……何をやっている! 迷惑だ! さっさと帰れ!」
あまりの剣幕に、思わず言葉を飲む。たしかに数人で喋ってはいたが、みな声のボリュームは抑えていた。隣家の内部にまで聞こえる喧騒だっただろうか。
釈然としないが、清水の怒りを収めるため、崇文は頭を下げた。
「――申し訳ありません」
「ごめんなさい」
はしゃいでいた高校生たちも、すっかり意気消沈して頭を下げている。
夜になると人通りが少なくなる住宅街とは言え、バイクや車が通り過ぎたりはするだろう。車両の走行音に比べたらほんの些細な喋り声だったのに……。逆によく聞きつけてきたものだ。
――まるで、常から隣家を気にしていたようではないか。
「あっ!」
凍りつく雰囲気をものともせず、一人の男子が声を上げた。
自分たちは火事跡の物音を確かめにきただけだと、はじめに口火を切った少年だ。怒りで顔を赤くする清水さえも手で制し、口の前で人差し指を立てている。
「しっ! なにか聞こえた」
「いい加減にっ」
「しっ!」
しんと静まり返った夜気の中、落合邸の中から、ガタ、と物の動く音がした。小雪が静かに舞い落ちてくるばかりで、風はまったく吹いていない。
「なに……?」
もう一度、ガタ、と音がした。奥の暗がりの、真っ黒く焦げた
みな、耳だけに神経を集中させ、奥の暗がりを凝視していた。怒り狂っていた清水さえ、瞬きもせず見つめている。
目を凝らすが何も見えない。家の奥は闇に沈み、
「なんの音?」
「……野良猫だよ」
「猫なら……出られなくなって苦しんでいるのかも。助けないと……」
次の瞬間、ガリガリガリガリガリ! と、床材を掻く耳障りな音がはっきりと聞こえてきた。
「キャーッ!」
「なにっ?! 今の、何の音っ?!」
高校生たちがパニックになる中、崇文は大声で司に呼びかけた。
「司! 110番して!」
「うん!」
「
犬や猫などの小動物のたてる音ではなかった。
風で物が動く音でもない。
力強く意図的で、あきらかに助けを求めていた。火事跡を探索に来た誰かが、奥で出られなくなってしまったとか、小さな子どもが迷い込んでしまったとか、とにかく何者かが奥にいるのは確かだった。
(助け出さないと……!)
警察が来るのを待っていられず、崇文は立ち入り禁止のテープを引きちぎった。スマホのライトで中を照らしてみる。奥の積み重なる
「行くなっ!」
それまで銅像のように固まっていた清水が、突然、背中に覆いかぶさってきた。それ以上進ませまいとするように、四肢を絡みつかせ、背後から羽交い絞めにしてくる。
「待て、行くなっ、行くんじゃない!」
「清水さん! ふざけているわけじゃありません! さっきの音、聞いたでしょう?! 中に誰か、」
「だ、駄目だっ」
筋張った細い腕が首に絡みついてくる。
「ちょっ、離してくださいっ! 早く助けないと」
腕をほどこうと振り返ると、清水の顔に、先ほどとはまるで違う、怯えの色が浮かんでいた。
「行っちゃ駄目だっ……」
「――清水さん?」
体勢を変えようと片足に重みをかけた途端、乾いた音をたてて床が抜け落ちた。足元を照らすと、木製の上がり框を踏み抜いたようだ。咄嗟に手をついた先の壁も、炭化していてぱらぱらと破片が落ちる。焼け残っている柱や屋根も、今にも崩れ落ちそうなほど脆い状態だった。
「危ない」
絡みついてくる清水を抱え上げ、崇文は一旦外に出た。
「一旦出ましょう! 警察が来るまで待つしかない」
家が崩れでもしたら元も子もない。中にいる者も、助け出すことができなくなる――
テープの外に出ると、清水はもう言葉も発さなかった。まだ襟元にしがみついている指が、痛いほどに鎖骨に食い込んだ。