いつものように三峰家で夕食を済ませ、帰ろうと玄関で靴を履く司の隣に並んだ。
「送る」
「え、なんで?」
「走りに行くから。そのついでに送る」
司の返事を待たず、先に玄関を出る。すぐに刺すような冷たい空気が顔を包み込んできて、上着のファスナーを口元まで引き上げた。顔を上げると、濃紺の空から小雪が舞い落ちてきていた。吐く息が真っ白に染まる。
スニーカーを履き終えた司が、追いついてきた。
「近いから平気だよ」
司の住むアパートは長栄寺から歩いて五分ほどの場所にある。近くには隅田川が流れ、普段は、ジョギングや犬の散歩をする人が川沿いを多く通る。だが、悪天候だと途端にひと気が途絶えた。
住宅街の中なので、店も少なく道も暗い。
「最近、物騒だから。送る」
女子高生が姿を消してから二週間が経とうとしていた。目撃証言や遺留品も出てこず、捜査は手詰まりになっているようだった。忙しく飛び回っているのだろう、ここ数日は、佐々木の姿も見ていない。
二週間――。誰も口にはしないが、諦観の空気が漂い始めている。
「しばらくの間は仕事あがったらすぐ家に帰れ。うちは大丈夫だから」
料理にも慣れ、時間はかかるが、簡単なものなら作れるようになっていた。
「相変わらず崇文は過保護だね」
私、もう二十七だよ? と隣から司が覗き込んでくる。
メイクをしなくても豊かな睫毛、整った眉。くっきりとした二重の瞳は、昔よりわずかに切れ長になった。
頬の輪郭だけは子どもの頃と変わらず滑らかだ。その頬に、髭の気配は全くない。ずっと女性として育てられてきた
もう二十七歳。――いや、まだたったの二十七歳だ。
もしも今司が死んだら、まだ二十七歳だったのにと誰もが言うだろう。絶対そんなことにはさせない。崇文は真剣な表情で司に言い聞かせた。
「過保護じゃない」
「はいはい」
女のふりまでして必死で生き伸びてきたのだ。些細なことで司を死なせたりしたくなかった。
住宅街の中を並んで歩いていると、背後から、細いタイヤの走行音が聞こえてきた。二台の自転車が崇文たちを追い越して行く。二台とも、制服姿の女子高生が乗っていた。二人は走行しながら言葉を交わし、どこか目的地に向かっているようだ。間髪置かず、クロスバイクに乗った男子高校生も、同じ方向へと走り去って行く。
「みんなどこ行くんだろう? こんな時間に」
司が腕時計に目を落とした。
「もうすぐ十一時だよ」
女子高生の事件も解決していない今、放ってはおけなかった。崇文は小走りに駆け出した。
「ちょっと行ってみよう」
「うん」
司が後ろをついてきた。
自転車を追いかけていると、すぐに彼らの行く先の見当がついた。うっすらと焦げ臭いにおいが漂って来る。案の定、少し先に落合邸の火事跡が見えてきた。
住宅と住宅の間に、突然焼け焦げた廃屋が現れる。どこもかしこも黒く焦げ、闇に溶け込むように存在していた。何重にも巻かれた立ち入り禁止テープの黄色だけが、鮮やかに浮かび上がっている。だがそれも、巻かれてからだいぶ時間が経ち、ところどころ千切れて垂れ下がっていた。
四人の男女が、火事跡の前でスマホを構えたり、内部を覗き込んだりしている。
「こら、なにやってんの」
声をかけると、いっせいに全員が振り返った。男子と女子が二人ずつ、みな制服を着た高校生だ。そばには自転車が止めてあり、それぞれが自宅からここへ集合したようだった。
「動画の撮影?」
「あ、違います。俺たち撮影とか、そんなんじゃないです」
ひょろりと背の高い男子が、顔の前で大きく手を振る。
「この火事跡から変な音が聞こえるって噂を聞いて、ほんとかな? って見に来ただけです」
な、と長身の男子が仲間を振り返る。友人たちもみな、悪びれもせず大きく頷いている。
無邪気な少年たちの様子に、思わず力が抜ける。
「肝試し? 撮影じゃないとしても、こんな時間まで外にいたら、家のひとが心配するよ」
「すみません」
思いのほか素直に頭を下げる様子に、崇文は説教の言葉を飲み込んだ。おそらく近所に住む友人同士で、夜になったら、噂の真相を確かめに行こうと盛り上がってしまったのだろう。悪気はないようなので、崇文も厳しい表情を和らげた。
「噂はデマだよ。ここで亡くなったひとはいないんだから」
「それは知ってます」と、高校生たちが声を揃える。
「でも夜になると、焼け跡から物音が聞こえるって」
丸顔の女子が主張すると、別の女子が「ユーレイじゃない?」とはしゃいだ声をあげた。司が「静かに、静かに」と二人を宥めている。
ユーチューブで話題になっていたと、みな頷き合っている。
崇文は抑えた声で、少年たちを諭した。
「ここの住人はちゃんと生きてて今は別のところに住んでるの、みんな知っているよね? ユーレイなんか出ないよ」
「でも……」