目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
幾星霜の呪いの子 ~下町駆け込み寺の怪異譚~
北浦のい
ホラー怪談
2024年10月21日
公開日
103,563文字
完結
東京下町の寺・長栄寺(ちょうえいじ)。寺には様々な悩みを抱えた人間がやってくる。
長栄寺の住職の三峰崇文(みつみねたかふみ)と、崇文の相棒で妹分の高野司(たかのつかさ)は、彼らの悩みに寄り添い、解決するため、日々奔走している。

強面だが頼りがいのある崇文と、美しく気立てのよい司。常に共に行動し、周囲に恋人同士だと思われている二人だが、実は司には秘密があって……?

超現実主義者の寺の坊主&世話焼き美人。
正反対の二人が織りなす、日常巻き込まれ系ミステリー。

第1話 稲荷の祟りを恐れる女

 ずいぶんと長い時間、祈っている。

 ひと気のない境内に、一人、本堂に向かって手を合わせる女性がいた。もう二十分はたっているだろうか、同じ姿勢のまま微動だにしない。


 三峰崇文みつみねたかふみほうきを操る手を止めず、視界のすみでこっそりと女性を観察した。

 ほっそりとした体形の女性だ。合掌した手を鼻先に押しつけ、折れそうなほどこうべを垂れて祈っている。

 まっすぐな黒髪が簾のように垂れ下がり、女性の横顔を隠していた。手入れの行き届いた黒髪なのだが、鬼気迫る祈り姿のせいか、合掌した手指の病的な細さのせいか、どことなく薄気味悪く見えた。

(いけない)

 熱心に祈る女性に対して失礼ではないか。

 崇文はおろそかになっていた手元に視線を戻した。


 落ち葉を掃き終え、閉門の時間が迫っても、女性はまだ祈っていた。

 風に吹かれて黒髪が揺れ、青白い横顔がかすかに覗く。眉根を寄せ、硬く瞳を閉じて祈っている。あまりにも真剣な姿に、閉門を告げるのが憚られた。

(いったい、なにをそんなに……)

 箒を片付けようと横を過ぎると、砂利を踏みしめる音でようやく女性が顔を上げた。

「あ、」

 ここらでは見たことのない顔だった。顔のパーツのすべてが小さく、大人しそうな印象を受ける。祈っている姿と、顔立ちの印象が百八十度違って見えた。

 そばにひとがいるとは思わなかったのだろう、女性は、驚きに目を瞠っている。

「すみません、驚かせましたか」

 崇文は精一杯穏やかな発声を心掛け、女性をおびえさせないよう好意的な笑みを作った。無理に口角を上げたので頬が引き攣る。常々、周囲に「黙っていると、筋ものに見える」と言われるきつい目元が、妙な形に歪んでいるのが自分でもわかった。

「箒を片付けようと通っただけです。お祈りの邪魔をしてすみません」

「……いえ」

 女性は顔を俯け、小さく首を振った。二人の間に木枯らしが吹き抜け、掃いたばかりの参道に枯れ葉がまた舞い落ちる。女性が立ち去る気配はない。

「――ずいぶんと熱心にお祈りされていましたね。きっと仏様も喜ぶでしょう」

 何を祈っていたのかさりげなく水を向けると、女性が弾かれたように顔を上げた。つぶらな瞳に光が灯る。

「あの、あの、私……」

 何度か言い淀むと、女性が突然目を潤ませた。やばい、と思う間もなく、ぼろりと大粒の涙が零れ落ちる。

「私、どうしたらいいかわからなくて」

 そう言って、両手で顔を覆って泣き始めた。

「――落ち着いてください」

 顔は無表情のまま、崇文は内心で盛大に冷や汗をかいた。

 早く泣き止んでくれ。家族や隣人にこんなところを見られたら――。

 日頃から、「顔は悪くないのに、なぜか恋人ができない」と周囲に訝しまれている。女性を泣かせていたなんて噂が立ったら、どんな尾ひれがつくかわからない。

(勘弁してくれ! 俺が泣かせたみたいじゃないか!)

 内心叫び出しそうになりながら、崇文は女性を宥めた。精一杯の優しさを込め、一切の性的な雰囲気を排除して女性の肩に手を置く。

「よければお話を聞きますので……。お堂は寒いので、どうぞこちらへ」

 寺の敷地内にある自宅を示しても、女性は顔を覆ったまま、その場を動こうとしない。

「熱いお茶でも淹れますから」

 頼み込むように言うと、ようやく女性が顔を上げた。

「私、やっぱりこの結婚、やめたほうがいいんでしょうか?」

 ――結婚。

 いったい、なんの話だ。

 そう思った瞬間、心の声が現実の音声となって耳に届いた。


「結婚? なんの話?」

 女性にしては低めの、よく通る声。

「結婚すんの、崇文」

 ……最悪の相手に聞かれてしまった。

 崇文は、ぎくしゃくと声のしたほうを振り返った。

 山門さんもんを背に、すらりと背の高い女性が立っていた。ゆったりとした白いニットに細身のデニム。タートルネックの上に乗る顔は、ウズラの卵のように小さい。形の良いアーモンド型の瞳を見開き、驚いた表情でこちらを見ている。

 幼馴染の高野司たかのつかさだ。

「司、これは……」

 司は、崇文と女性との顔を交互に見ながら、小走りに近づいてきた。傍まで来ると、心底驚いたというよう息を吐き出した。

「ぜんっぜん知らなかった! 崇文、付き合ってる人いたんだ!」

 長い睫毛に縁どられた瞳を大いに見開き、遠慮のない力で肩を叩いてくる。司の顔には怒りや嫉妬はまったく見て取れず、ただただ、興奮していた。今にも「おめでとう!」と言い出しそうで、崇文は慌てて遮った。

「違うんだ、」

 言ってからひどく後悔した。違うんだ、だなんて、まるで修羅場の浮気男の言い訳ではないか。

 それでも弁解は止められず、この女性とは初対面であること、寺にお参りにきた客であることを必死に説明した。勘違いされては堪らない。

「この女性とは、今! たった今、会ったばかりだ! 話しかけたら急に泣き出して、」

 隣でびくりと肩を震わせるのが伝わってきて、崇文は慌てて女性に向き直った。

「いえ、違うんです、迷惑とかそんなんじゃなくて。あの、ほんとに突然泣き出したからびっくりしただけで……」

 針の筵にいる心地で喋り続け、最後に司の目を見つめて訴える。

「やましいことなんて、本当にないんだ」

「やましいなんて、一言も言ってないじゃん」

 司がついに吹き出した。少し落ち着いてよ、と笑いながら背を叩かれ、崇文はようやく口を噤んだ。

「なにか泣くほど辛いことがあったんでしょう?」

 司は、女性に優しく微笑みかけると、肩を抱くようにして住居のほうへと促した。

「よければお話聞きますんで、中でコーヒーでも飲みませんか?」

 女性が小さく頷く。だいぶ落ち着いたのか、同性に対しての安心感なのか、さっきまで、てこでも動かなかったのが嘘のように素直に歩き出した。

 どっと押し寄せる疲労を感じながら、崇文も二人の後をついて行った。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?