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4-4.ライラと、嫉妬

♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 夕食の声掛けに導かれダイニングルームへ向かうも、そこにいたのはジュリエットだけ。アルの姿はない。

「あの……アルくんはどこにいるんですか?」

「……アルヴィン様は、自室でお食事を召し上がっておられます」


 立派な長方形のテーブルに不相応な一人分の椅子。アルと食事が摂れるものと思っていただけに、思わず肩がガックリと下がってしまう。けれど、目の前に並べられた色とりどりの料理を前に、暗い顔なんてしていられなかった。


「本日は前菜にラディッシュのビネガーソース添え、ポタージュスープ。メインに白身魚の香草焼き。ミルクジンジャーリゾット。食後にデザートとブレンドティーをご用意しております」

 テーブルマナーなどなにひとつ知らないライラは、左右のナイフとフォークを交互に見つめてしまう。ライラが困惑しているのを察したのだろう、

「ここには私しかおりませんから、どうぞご自由にお召し上がりください」

 控えめな笑みを浮かべながら、ジュリエットはそう言ってくれた。


 食事を口に運ぶスピードはゆっくり、を最初は心構えていたのに、徐々に忘れてしまった。さっぱりしていたり、甘かったり、優しいくちどけがあったり、パンチの効いた味付けがあったり。見た目も色鮮やかなのにどれも調和が取れていて、放っておけばほっぺたがボタボタ落ちてしまいそうで。

「……! どれも、すっごく美味しいです! これ、全部ジュリエットさんが作ったんですか⁉」

「ええ。喜んでいただけて光栄ですわ」

 こんな品数を、たった一人で。その手腕に心の中で拍手を送りながらも、ライラはどこか心が沈んでいた。アルも同じものを、別の部屋で口にしているのだろうと思うと。


 こんなに美味しいものを食べ慣れている彼に、山中で摘んだハーブ粥を振舞おうとしていた自分が恥ずかしく思えたのはもちろん──、彼はジュリエットの作ったものなら、食べるらしいので。


「ライラ様。デザートをお持ちしました」

 目の前に置かれた、パンにもケーキにも見えるそれにライラの目は釘付けになった。

「これは……?」

「アップルパイでございます」

 ……キッドが以前に言っていた、「アップルパイを上手に作れる子」。あれはどうやらジュリエットのことを指していたらしい。

「アルヴィン様が遠征からお戻りになられた日はいつも、アップルパイを焼くことになっているんです」

「そうなんですか。どうして、ですか?」

「アップルパイは、アルヴィン様の好物でございますから」


 口に運べばサクサクの生地に、とろりと舌に乗るリンゴの感触。こんなに甘い物を食べたのは初めてで、感激で思わず涙が出てきそうだった、けれど、

「……初めて食べました、これもすっごく美味しいです!」

 ライラは精一杯微笑んでみせた。


(ボクは、アルくんの好物なんて一つも知らない)


 初めて口にしたアップルパイは甘かった。とても甘かったのに、それなのに。不思議と喉の奥は苦かった。


 ブレンドティーを飲み干して、間もなく。皿を片付けながら、ジュリエットが静かに口を開く。

「……ライラ様。ご無礼を承知で申し上げますが、アルヴィン様を気安く呼ぶのはお控えになったほうがよろしいかと存じます」

「え?」

「『アルヴィン様』、もしくは『王子殿下』と呼ばれませんと」

「え……? で、でもそれは、アルくんが──」


 「様付け以外なら好きにしろ」と、アルに言われたから。そう告げようとした瞬間。ふっと。ジュリエットの人形のような顔に、感情の読めない笑みが浮かんだ。

「左様でございますか。では、引き続きお好きなように呼ばれたらよろしいかと。出過ぎた真似を、失礼いたしました」


 その時……ライラの背中に、悪寒が走った。

 ジュリエットの言葉は丁寧で、態度にも大きな変化は見られない。表情にも特別、不自然な点はない。

 それなのに、この部屋の空気が急に重たくなったのがわかったから。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 ライラは部屋に戻ると、シュシュに蒸した鶏肉と野菜を混ぜたものを与えた。ガツガツと食べる様子は見ていて微笑ましかった……が、ジュリエットからは、シュシュと同じように自分も見られていたかもしれないと思うと、あまりほのぼのとした気持ちではいられなかった。


「ジュリエットさん……か」


(あんなに綺麗で。アルくんから笑いかけてもらえて。料理だって食べてもらえるくらいに信頼されてて。きっとアルくんにとって、ジュリエットさんは特別な人なんだ。きっと手を振り払われることだってなくて。……ボクなんて、まだ名前を呼んでもらったことだってないのに。ジュリエットさんは、あだ名で呼んでもらえて……)


 考えれば考えるほどに、心の声は暗くなっていった。そしてその声は、ついに喉から溢れ出る。


「………………ずる、い」


 ……声に出した途端、全身から熱が逃げていく感覚がした。そのくせ頬は火傷でもしたかのように熱を広げていく。ライラは、自分で自分の発した言葉が信じられなかった。

「ち……違う! 何言ってるんだろう、『ずるい』じゃないよねボクってば! こういうのは、こういうのは『ずるい』じゃなくって、えっと……!」


 広い部屋に、独り言は空しく響くだけ。


「……『羨ましい』、っていうんだ。きっと」


 ジュリエットが羨ましい。

 ずるい、なんて的外れなことを口にしてしまうほどには。そんな自分が恥ずかしくて、思わず枕に顔をうずめてしまう。


 そのせいで、気づくのが遅れた。いつの間にか食事を終えたらしいシュシュが、ライラのカバンを漁っていたのだ。

「ちょっ……、ダメだよ、シュシュ! めっ!」

 シュシュが口に咥えていたものを取り上げると、それは消毒液の入った小瓶だった。シュシュの足の怪我を消毒するのに使ったものだ。

「……そういえばアルくん、ちゃんと消毒したかなぁ」

 シュシュに噛まれた傷は、血の量からして深いように見えた。もし化膿でもしてしまったら──。しかし、ライラが部屋を訪れても、アルは良い顔をしてくれなさそうではある。


 迷いはした。けれど迷っている時間はさほど長くはなかった。


 シュシュに「待て」と命じ、ライラは消毒液の入った小瓶を手に、静かな廊下へ足を進めた。アルの部屋がどこにあるかは知らなかったが、それでも彼の元へ行きたかった。手を振り払われたあの瞬間からライラは、アルと一度も会話をしていないのだ。目を合わせることすらなく。


 消毒液を持って行ったところで、「余計なことをするな」と言われて終わりかもしれない。それでもせめて、昼間の件の謝罪がしたい。仲直りがしたい。


 明日を迎える前に。

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