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4-3.ライラと、ジュリエット

 城を出て、広い芝生をいくつも乗り越えた先にアルの屋敷はあった。

 赤いレンガ造りの三階建てのその屋敷は、すべての窓が閉め切っていて閉鎖的だ。けれども、よく手入れされた庭園の色鮮やかな花々が、その頑なな印象をふわりと和らげてくれているように感じた。背後を振り返れば、城がずいぶん遠くにある。なぜ城から離れたところに屋敷があるのかと問えば、答えてくれるのはやはりキッドだった。


「さっきの話で分かったと思うけど、アルくんにとってあのお城は、ゆっくり公務ができるところじゃないんだ。いつ刺客に襲われるか、毒を盛られるかわかったもんじゃないし。だからアルくんは、お城から少し離れたところに自分のお屋敷を建てちゃったんだよ。寝室も執務室もダイニングルームも完備されてるから、アルくんは基本的にこのお屋敷で過ごしてるのさ。実質、ここがアルくんのお家だね」

 聞けば、元々はただの倉庫だったらしい。増築し改築を重ね、モンブラン隊の隊員たちが常駐できる程度の部屋と設備も確保しているとのことだった。その一室に、ライラを住まわせてくれるという。


「あ、あの……綺麗なお屋敷、だね、……ですね」

 アルに声をかけようと思って、けれど再び拒絶されたらもう立ち直れそうににない。後半はキッドに同意を求める形でごまかした。

「そうねえ……いつもお手入れしてくれてる人がいるからね」

 にこやかに答えるキッドを尻目に、アルがドアノッカーを鳴らす。


 間もなく出迎えてくれたのは、ブロンドヘアーを後ろにまとめ上げた、ライラも息を呑むほど美しい女性だった。どこかのお姫様かと最初は思ったが、本の挿絵でしか見たことがないメイド服に身を包んでいる。

「おかえりなさいませ、アルヴィン様」

 静かに耳に響く上品な声。ほんのり口角の上がった笑み。長い前髪の隙間から覗く琥珀の瞳は、まっすぐにアルを見つめている。

「お荷物をお持ちいたします」

「ああ」


 たった一言。

 アルのその短い返事に、なぜかライラの心臓は締め付けられた。今までに聞いたことのないような優しいトーン。背後からでもなんとなくわかる。彼の表情までわずかに柔らかくなっているのが、わかる。


 そんな人はいないのではないかと思っていたのに──唐突に、目の前に。アルの「特別」が現れたように思えた。


「ジュリ。こいつは竜人族の生き残りだ。しばらくモンブラン隊で面倒を見ることになった。部屋の用意を頼む」

「かしこまりました」

 いきなりのアルの要求にも、ジュリと呼ばれたその人は戸惑うことなく二つ返事だ。

 ふっと和らぐ優しい琥珀と目が合う。その色合いは、どこかアルのそれと似ているように感じた。

「ジュリエットと申します。アルヴィン様より、お屋敷に関する一切を任されている者です。……お名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」

「はっ……はい! ライラといいます」

「ライラ様でございますね。どうぞ身の回りのお世話はすべて、私にお任せくださいませ。さ、こちらへどうぞ」


 屋敷の中は、華やかな城に比べていたってシンプルだった。調度品が廊下のそこかしこに飾られてはいるが数は少ない。

燭台から漏れる光が、ジュリエットの綺麗に結い上げた髪を照らす。

 歳の頃はアルとそう変わらないように見える。すらりと伸びた長い手足。定規でも当てたかのようなまっすぐな背筋。優しく揺れるロングスカートに揃えられた指先。所作のひとつひとつが洗練されていて、思わずライラはドキドキしてしまっていた。


 案内された部屋には大きな天蓋付きのベッドと、傷一つないクローゼットが一つ。なんとシャワールームまで併設されている。ここにキッチンが追加されれば一切の不便なく生活ができてしまいそうだ。

「もし別のお部屋をご希望でしたら仰ってください。すぐにご用意いたします」

「い、いえ、そんな! ベッドも大きいですし、前に住んでたところよりずっと綺麗で、綺麗すぎて緊張するくらいです!」


 言い終えてから気付く。そう、綺麗すぎて緊張するのは部屋だけじゃない、ジュリエットに対しても同じだ。

 竜人族の里にも時々、こういう女性がいた。まるで名画から出てきたかのような完璧な造形。キャンバスの中から語り掛けてくるような透明感。物静かで上品な立ち居振る舞いをしていても、どこか妖艶な雰囲気を隠せていない──大人の女性だ。


「ディナーの時間帯になりましたらお声掛けいたします。それまでどうぞ、ごゆっくりお寛ぎください」

 お辞儀をしたジュリエットが部屋から出て行った瞬間。ライラは思わず、ほう、と息を吐いた。

「綺麗な人だったな……」

 こんなにも女性という存在に対して緊張感を抱いたのは、ライラにとって初めてのことだった。


 おもむろに、まるで慰めでもするかのように、シュシュに鼻を舐められて。この屋敷に来て初めて、ライラはくすりと笑うことができた。


 部屋に響く軽快なノックの音。続けてキッドの声だ。

「ライラちゃーん。いま、開けても平気かい?」

 部屋の扉を開いても、キッドは「すぐに済むから」と言って、中に入ることはなかった。

「今後の予定を軽く説明しておこうと思ってね。アルくんとも相談したんだけど、今日と明日は丸一日、休息に充てるとして。明後日からはジャノメイル教会に向けて出発することになったのよ」

「ジャノメイル教会ってたしか、神官が引き籠って出てこないっていう?」


 アルとふたりで馬車に乗り込み、その道すがら教えてもらった情報だ。


 本来、次期国王は神官による神託で決まる。それなのに肝心の神官は神託を口にすることなく、国の要求にも応じず姿を見せることもないのだと。


「狼人族と魚人族の代表が、二人ともクセの強い人たちみたいでさ。国としては、神官に頼ってさっさと次期国王陛下を選出したいってのが本音なのよね。だからどうにかして、神託をもらえないかって交渉しに行くんだよ。まあ、失敗続きなんだけどねえ」

「……もし、交渉がうまくいったら、神託がもらえたら」


 もし、三種族による選挙が行われなくなったら。


「そのときは、ボクってお払い箱ですか?」

 自分で言っていて悲しくなる。「お払い箱」。なんて空しい響きだろう。

 キッドはすぐに首を横に振り、

「まさか。忘れちゃった? アルくんがライラちゃんを必要としているのは、選挙のことだけじゃないってこと」

 そう言って、ライラの胸元に向けて指を差す。

「……そう、でした。羽根のこともありましたね」

「アルくんはずっと捜してきたんだから。唯一の手掛かりというか証人であるライラちゃんを、そう簡単に手放したりしないよ。だから安心して、ね」


 キッドはこのまま自宅へ帰り、ヒルダに代わりアンジュの世話をするのだという。くしゃりと目尻に皺を刻んで、彼はライラに手を振った。


 胸に下がる羽根を掴む。

 もともと遠い存在だったアル。本来なら会話することはおろか道ですれ違うこともなかった相手。存在を認識されている現状だけでも奇跡みたいなものだ。

 その奇跡を引き起こしてくれたのは、間違いなくこの羽根、その持ち主である名前も知らない天使。どこにいるかも知らないあの少年に、やはりライラはお礼を言いたかった。命を救ってくれてありがとう、と。アルに出会わせてくれてありがとう、と。


「……けど、もし会えたら……会えちゃったら、それこそ『お払い箱』だなぁ……」

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