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3-10.ライラと、王妃

 人通りの少ない早朝。店先まで馬車の迎えがやってきたのだが、その煌びやかな装飾の多さに目が潰れかけてしまう。乗り込めば真っ先に目に入るワインレッドのソファもふかふかで、腰を痛める心配もなさそうだ。香水を振り撒いているわけでもないだろうに、ほんのり甘い香りもする──それも、どこかで嗅いだことのあるような。


 馬車が走り出してからしばらくしても、こんな高待遇を受けていいものかとライラは恐縮してしまうのに、一方のアルはやはり堂々としていて、なんならサマになってすらいる。この馬車の持ち主は俺だが? なんて言われても驚かないほどに。


「あの……この馬車って、お城の馬車なの?」

 アルに問いかけたのに、彼は顎で指示を出すだけ。指示を受け取ったキッドは、やれやれといった調子で代わりに答えてくれる。

「第三王子の馬車だよ。いくつか所有しているうちの一つだね」

「そうなんですね。もし会えたら、ちゃんと馬車のお礼を言わなくちゃいけませんね」


 そういえば、とライラは改めてキッドを見上げた。

「近衛騎士団って、それぞれの王子様に隊がつくんですよね? ずっと聞きそびれていたんですけど、モンブラン隊は三人の王子様の中で、誰に従事しているんですか?」

「あー……と、言ってなかったね。第三王子だよ」


 第三王子、つまりは末弟だ。モンブラン隊の二人にはお世話になったし、なにより、アルが在籍している。このまま投票日を迎えたとしたら、真っ先に第三王子に投票してしまいそうな予感がする。贔屓は良くない、そう思いつつも。


「ちなみに第三王子ってどんな人なんですか?」

 きらきらと目を瞬かせながらのその問いに、キッドはにっこりと笑みを深くして、

「んー、会ってからのお楽しみ、かな?」

 なぜかアルに視線を送るのだった。

 当の彼は城を睨みつけるように見つめるだけで、何も答えはしなかったのだけれど。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 巨大な門を抜けると、馬車はアーチ状の石橋を進む。橋に沿うように整然と並ぶ騎士たちのその姿勢の美しさには目を引く……馬車を下りたライラたちに膝をついて、敬礼の意を示す姿にも。自分は竜人族の里からたまたま出てこられただけの、何も知らない田舎者なのに、とライラは複雑な気持ちでいた。

 けれどそんな気持ちも、城を間近で目の当たりにした瞬間に何処へやら飛んで行ってしまった。


 石造りのその城は、馬車ごと内部に入り込んでもまったく問題がないほど入り口が大きく天井も高かった。天窓から差し込む陽光がベルベットの絨毯を鮮やかに照らす。吹き抜ける風の行く先を見ても、どれだけ奥行きがあるのか想像もつかない。寒いわけでもないのに奥歯がガタガタ音を立てて震えるのは、

「ち……近くで見てもすごく素敵なお城ですけど、やっぱり緊張しちゃいますね」


 そう、緊張のせいだ。これから王妃、つまりは事実上の国のトップと謁見するのだ。失礼があってはいけない。そう思えば思うほど、まるで崖の上で逆立ちでもしているかのような心地になる。


「ええっと、ええっと、王妃様のことは、王妃殿下とお呼びすればいいんですよね? あれ、違いましたっけ⁉」

「大丈夫よライラちゃん、おっさんが傍に付いててあげるから。海賊の青年はああ言っていたけど、王妃殿下はきっとライラちゃんのこと、優しく迎えてくれるはずだから」

「本当ですか?」

 キッドは人好きのする笑顔を向ける。

「そりゃあもう。ライラちゃんは国の行く末の鍵を握る重要人物なわけだから。手厚い歓迎になるはずだよ」


 “国の行く末の鍵を握る重要人物”──決して過言ではないのだろう。

 三人の王子の中から、次期国王を選出する。限られた選挙権の三票のうちの一票は、ライラの手の内にあるのだから。

 事の重大さを、ライラは今になってようやく実感できたような気がしていた。


 いくつもの階段を乗り越え、広く長い廊下を抜け、再び階段を乗り越え……動悸が激しくなるごとに、窓から覗く視界の高さが増していく。

 そしてようやく辿り着く、巨躯の双騎士が守る扉。見た目にも重そうな扉だ。


 緊張のピークが最高潮に達した瞬間、

「こいつを預かっておく」

 胸に抱いていたシュシュを、ひょい、とアルに取り上げられてしまった。

「え、どうして? ……あ、そっか」

 見た目は愛らしい子犬にしか見えないが、シュシュは呪いの象徴とも言われる種の狼、“ホネクルミ”だ。王妃との謁見の場には相応しくないのだろう。


「ごめんね、アルくん。シュシュのことよろしくね」

「ああ。……後でな」

 シュシュを抱えたまま、アルは長い廊下の奥へと消えてしまった。シュシュはアルに懐いている様子があまり見られないので、少し心配ではある。しかし、

「ライラちゃん。王妃殿下がお待ちだよ」

 そう、いまは自分のことで手いっぱいだ。


 キッドが双騎士に合図をすると、彼らはその巨大な腕で扉を開いていく。


「王妃殿下。竜人族の里より、ライラ様がお越しです」


 白い花。白い、花。白。白。視界が白で埋め尽くされていく。

縦に伸びたステンドグラスは、白い花をときおり青に染め上げている。眺めるように進んでいくと、自ずと空間の奥にいる女性に視線が吸い寄せられていった。


「王妃殿下。モンブラン隊はキドリーが、ライラ様を伴い帰還いたしました」

 キッドが恭しく、玉座の前に膝を折り頭を下げる。つられるようにライラも倣うと、王妃は玉座から立ち上がった。ゆっくりライラに近づくとその手を取り、

「……よくお顔を見せてくださいな」

 白魚のような指で、ライラの輪郭に触れた。


 おそるおそる顔を上げれば、灰色の強い目力。ふわりと香る花の匂い。いくつか刻まれた目尻とほうれい線の皺が、優しい笑みを形作る。

 ライラとの歳の開きは四十はあるだろうか。美しい女性だ、とライラは思った。同じくらい華奢な肩幅にもかかわらず、見上げるほどの背丈に身の竦む思いだ。


「……まだお若いのに、辛い思いをなさったわね」

 ゆっくりと紡がれる言葉は、静かなのにやたら重厚に脳に響いてくる。威厳の文字が頭に浮かんで離れなくて、ライラは返事をすることもできなかった。


「ライラさん、とお呼びしてもよろしいかしら」

「……は、はい。光栄です、王妃殿下」

 どうにか絞り出した声に、王妃は上品な笑みを浮かべる。

「ふふ、そんなに堅くなさらないで」


 テーブルに導かれ、ハーブティを差し出された。決して小さくはないが同じテーブルを挟んだ向こう側に、王妃がいる。その事実が、なかなかカップに手を伸ばさせてくれない。キッドが後方に控えてくれているのでどうにかこの程度の緊張で済んでいる。もし彼がいなかったら、泡を吹いて倒れていたかもしれない。

「ここまで来るのに疲れたでしょう。さあ、いただきましょ」

 王妃がカップを手に取り、優雅な所作で口に運ぶ。ライラも震える指で追従すると、乾いた喉に清涼な味が染み渡っていく。

「と……とても美味しいです。ありがとうございます」

「それはよかったわ」


 王妃が不意に、白い花々を見渡す。

「この花たちは、亡くなられた竜人族の方々への捧げものなの。本来であれば直接、里に出向いて安らかな眠りをお祈りしたいところではあるのだけれど……足が悪いので、ウォール山脈を越えるのは無理そうなの、ごめんなさいね。せめてものお悔やみをさせてちょうだい」


 ライラは驚いた。謁見の間には常に花があるわけではないのだ。わざわざ里の者たちに祈るために、用意してくれた。なにより足が不自由だという王妃が、先ほどライラのところまで足を運んで手を導いてくれたことに。

「あ、ありがとうございます。里の皆も……きっと喜んでくれていると思います」

 王妃は微笑んだ。女神様を思わせる、慈愛に満ちた笑みだ。

「竜人族は二五〇年という長きに渡り、主に他国との争いにおいてリームンヘルトに多大な貢献をしてくれたわ。戦争が終わり平和な世界になって十数年……それでも我々はたしかな友好関係にあった。今回の事件が起きてしまったこと、非常に残念に感じているの。心より、哀悼の意を表します」


 表情をさらに和らげ、ライラに諭すように語り掛ける。

「里の方々が亡くなられて、さぞやライラさんも辛かったことだろうと思うわ。……けれど嘆いてばかりもいられない。ライラさん、未来の話をしましょう」


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