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2-8.ライラと、交渉

 ふと、部屋の棚にある皿の数を数えてみる。……同じ種類の皿がどれも十四枚ずつ。隣のグラスも十四個。これがこの船の乗組員の総数だとするなら、まだ見かけていない者がいるはずだ。一人は操縦席にいると仮定して、最後の一人はどこにいるのだろう。


 部屋にあるベッドの数は十三床。食器の数に一つ足りない。一人だけ、自室を使っているということか。


 そこでライラが思い当たったのは、先ほど鍵がかかっていたせいで入れなかった部屋だった。


 弓を構え、短剣をいつでも取り出せるようにしておくと、壁にかかっていた鍵束を拝借。

 通路に出れば、再び強い風に髪が暴れる。緑色の夜空の向こうもだんだん白んできている。そろそろ日の出も近そうだ。強風に耐えながら向かうのは、先ほどの鍵のかかっていた部屋。

 冷たい空気に指がかじかむ。風が邪魔をして、鍵は大人しく鍵穴に入ってくれない。それでもどうにか押し込み、手首を捻る。カチャ、と音を立てた瞬間に扉を開き、ライラはすぐさま部屋に侵入した。


 扉を閉めた後も、寒さと緊張で震える肩。浅い呼吸を何度か繰り返すも、長いため息をつくことでどうにか心臓を落ち着かせた──その時。


「……誰だ、おめえは?」


 地を這うような声に、ライラは動けなくなってしまった。部屋の明かりは点いていない。けれど小窓から差し込む朝焼けが、部屋の奥にいる人物をぼんやりとだが映し出す。


 ベッドの上。ゆっくり蠢く大きな影。ずんぐりむっくりとした巨体が緩慢に上半身を起こし、鋭い眼光でライラを睨みつけていた。薄明りでも隠し切れない、蛇のような眼で。

 小動物よろしく、ライラは動けないままだ。闖入者のライラに対して男は、その姿を上から下まで眺めると、途端にふっと目力を弱めた。


「なあんだ、ガキか。てっきり、お迎えでも来たのかと思ったぜ……。おめえ、なんでこの船にいる?」


 幾重にも重ねてきた年齢を感じさせる、ゆったりとした口調。そのまま彼は再び横になると、片手で頭を抱えてしまった。


 不思議と敵意を感じない。というよりも、覇気が感じられない。ライラは震える唇を悟られないよう、静かな呼吸を努めた。


「初めまして、ライラといいます。あなたの仲間に攫われて、それで……」

「──ああ? 攫われた、だぁ? ……っち、あいつら、一丁前に海賊のなんぞしやがって。そんで、おめえは命からがら逃げ出してきたってところか? あ?」

 凄みを含んだ問いにこくこくと頷くと、男はハア、と長い溜め息をついた。何を考えているのか知りたくてライラが一歩近づいたところを、彼は手で制してくる。


「ああ、悪ぃこたあ言わねえ。あまり俺に近づくんじゃねえ。こりゃあ、だいぶん悪ぃ病気だ。おめえみてえな、余所者の若いのに伝染しでもしたら、さすがに死ぬに死にきれねえからよ」

 乾いた、力のない笑みを浮かべ、男は再び頭を抱え込んだ。推論はどうやら当たっていたようだ。きっと乗組員の彼らは、この男の不調を直したくて自分を攫ったのだとライラは理解した。


「た、体調が優れないのですか、大丈夫ですか、どんなふうに?」

「……もう、一週間になるか。頭が痛くって仕方ねえ。食欲もねえし、無理やり食っても吐いちまう。それに息苦しくって眠れやしねえ……」


 頭痛、食欲不振。吐き気、息苦しさ……。

 ライラは息を呑んだ。覚えのある症状だったのだ。竜人族の里で何度か目にしたこともある。

もし勘が当たっていたとしたら──とてつもなく簡単な方法で治せる症状だ。


 ライラは頭の中をフル回転させた。初めて会った時、アルはあの闇オークションの男に何と言っていたっけ、どんな切り口で物事を有利に進めていたっけ。

 まずは強気で。あくまで立場はこちらが上なのだと理解させたうえで、条件を突き付けていたはず。

 彼と同じようにできる自信なんてなかった。けれどライラの口は、本人の思考よりも早くに動き始めていた。

「ボク……それ、な、治せるかも、しれません! あなたに治し方を教えます! だから……」


 ちょっとの間だけ、人質になってくれませんか?


 思い切ってそう言うと、男は不愉快そうに眉を顰める。


「あ? 人質、だぁ?」

「ボクは、あなたのその症状の治し方を知っています。でも、タダで教えることはできません! ボクともうひとり、この船に乗っている仲間の身の安全。それが保証されない限り、教えることはできません! そ、そちらに拒否権はないと思ってください! 今のあなたなら、ボクでも絶対負けない気がします!」

 ライラの強気な……ようでいて後半は消極的な宣言に、男はしばらくして弱々しくも笑みをこぼした。

「っは、なるほどなあ。交換条件ってぇわけかい」

「あっ……、そうです交換条件ってやつです!」


 訝し気な視線が、ライラに突き刺さる。

「本当に治せるんだろうな?」

「はい、必ず、たぶん! いえ恐らく! もしかしたら!」

「……不安になってきたぞ、おい」

 口ではそう言いながら、今度はにやりと口角を上げる。ずいぶん凶悪な笑み──アルと良い勝負だ──に怯まされつつも、ライラは口を開いた。

「そういえば聞き忘れていました、あなたの名前は?」

「俺か? 俺ぁドラルゴってんだ。ライラ、とか言ったな。治療のほうはよろしく頼んだぜ。……ここまで来たら、賭けだぁな」

 差し出された、無骨で巨大なドラルゴの手。躊躇しながらも迷いは一瞬。ライラは固く握りしめた。


 「賭け」なのはむしろライラのほうだ。

 もし勘が外れていたら。ライラの思うようにドラルゴの症状が改善されなかったら……その後のことはもう、想像するのも恐ろしかったので、ライラは一旦、思考を放棄した。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 ライラとドラルゴの交渉が進んでいた頃、隣の部屋でアルは軽い眩暈を起こしていた。ここ数日ろくに眠れていないうえ、ライラを攫った男たちを追うのに、数時間にも及ぶ登山を強いられたのだから無理もない。

 ライラを救助した際に五人を縛り付けはしたものの、追加で現れた七人も同じような要領で……とは、さすがにいかなかった。


 戦闘の末、床に転がっているのは三人の男たち。残りの四人、しかも得物を手にした相手に立ち向かうには、さすがにスタミナ切れも間近だ。


 穏やかでない呼吸により上下する肩。これまでの大立ち回りで相手だって相当疲弊はしているが、アルが呼吸を整え終えるまで待ってはくれないだろう。

 せいぜい残り十数秒。それが経過した時点で目の前にいる四人のうちの誰かが、再び挑んでくるに違いない。

 どうにか情報を聞き出したい。その一心で誰一人絶命させることなく、せいぜい気絶する程度までに留めておいたが、そんな甘いことも言っていられなくなりそうだ。

 死なない程度に相手を無力化させることの難しさを、改めて思い知らされる。


 その時だった。部屋の上部に取り付けられていたパイプから、濁声が轟いたのは。


『……おめえら、よく聞け! 俺ぁいま、人質に取られている』


 アルと対峙していた面々は顔面蒼白。続々と「ボス⁉」と口を滑らしている。


『俺の命が惜しかったら、犯人の要求には全部応えてやるこった。いいか、余計な手出しはするんじゃねぇぞ! わかったな⁉』


 アルはといえば、何が起きているのか複数のケースを考えていたが──考えられうる中で、最も実現可能性の低いはずのそれが、なぜか脳裏をよぎっていた。

 するとまるで答え合わせでもするかのように、濁声とは程遠い、アルトボイスが紡がれる。


『……あ。こ、これで喋るんですか? っす、すみません、シャンとします! ……よ、要求を言います。要求は二つあります!』


 アルは人知れず、にやりと笑った。隠れていろと命じたはずの相手が、きっと言うことを素直に聞くだろうと思っていた相手が、勝手な行動を秘密裏に取っていたらしいので。

 しかもどうやら、事態は最善の方向に進みつつあると悟ったから。


『乗組員の人たちへ。まずはアルくんに……ボクの仲間に一切、手を出さないでください! そして二つ目、操舵室にいる人への要求です──この船を下ろしてください! 今、すぐに!』


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