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2-6.ライラと、堕天

 唐突に暗くなる視界。


 袋を、頭から被せられた──? 理解した瞬間、鳥肌を無視して角笛を唇で挟む。

 ライラの体は強い力で空中に持ち上げられ、そのままどこかへ運ばれていくようだ。

 思いっきり息を吹き込み、高い音を響かせる。袋の中にいるせいで音が籠もりはしたものの、アルもまだそこまで遠くへは行ってはいないはずだ。彼の耳に届かせなければと、ライラは繰り返し角笛を鳴らした。


 ピュイー、ピュイー、ピュイー!


(ボクはここだよ! ここにいるよ、アルくん!)


「仲間を呼んでる!」

「おい、取り上げろ!」

 乱暴に体を投げ落とされる。衝撃で、唇から角笛が離れてしまった。再び角笛に手を伸ばしたところで、麻袋は開かれる。視界に捉えた二人の男。無骨な手はライラから角笛を性急に取り上げると、遠くに放り投げてしまった。

 袋の口から逃げ出そうとしても、手際よく縛られたそこはもう出口ではなくなった。


 混乱で頭がうまく働かない最中さなかでも、男たちの顔には覚えがあった。昼間、街の中でライラを追ってきた集団の中に彼らはいたのだ。


「アルくん! 助けて、アルくん……!」

渾身の声量で叫ぶも、笛の音には劣る。

「うるさいぞ、大人しくしてろ!」

 苛ついた声の持ち主に腹を殴られる。声を封じられるには充分すぎるほどの強さで。

 さっきの笛の音に、もしアルが気づいてくれなかったら? 嫌な想像が頭をよぎる。同時に、アルが最後にくれた言葉も。


(そう、考える。考えるんだ。今のボクに何ができる? 叫んで喚いて、助けを呼ぶだけじゃない。他にできることが、なにか……!)


 ライラは気づいた。頭部から漏れる光──袋に、小さな穴が空いているのを。揺れる視界の中、目を凝らして覗き込めば焚火からどんどん離れていくのがわかる。


 もう、手元にあるのはパンだけだ。


 どこまで運ばれるのかはわからない。だからなるべく、小さくパンを千切る。穴の隙間からぽとり、ぽとりと欠片を落としていく。

 今は真夜中だ。

 もし、アルがこの欠片に気づいてくれなかったら?

 男たちに、途中で気づかれたら?

 小動物が見つけて、食べてしまったら?

 嫌な予感は尽きることがない。不安に押し潰されそうになりながらも、ライラはひたすらパンを千切っては道に落としていった。自分が助かる可能性を、少しでも上げるために。


(気付いて。お願い、気付いてアルくん!)


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 それから、どれくらいの時間が経っただろうか。夜明けは遠い。枝が体に当たる回数が増え、景色はよく見えなくても、傾斜を上る感覚もわかる。男たちはライラを抱えたまま森の奥へと進み、さらに山奥へと足を伸ばしているようだった。

 幸いパンの欠片が彼らに気づかれることはなかったが、できるだけ小さく千切ってきたつもりのパンも、残りはせいぜい一口大しかない。運ばれている最中にアルが颯爽と現れて男たちを薙ぎ倒して……なんて妄想も、夢物語で終わりそうだ。


 そしてライラは道中で気づいた。男たちが歩みを進めるたび、例の異音がどんどん大きくなっていることに。ゴウゴウゴウゴウ。風の動きを感じさせる。けれど獣の呼吸にしては大きすぎる──巨大すぎる。

 まさか本当に、あの天空の巨塔と異音の正体には、関係があるのではないか。そんな仮説を立てたところで、男たちの足が止まる。扉を開くような音も耳を掠めた。


 袋ごと体を落とされる。とっさに頭を抱えたものの、尻もちをついたせいで下半身に痛みが走った。けれど、痛がっている余裕すら与えられず。

「ちゃんと縛るんだぞ」

「はい!」

 袋の外で交わされるやりとりに、背中がぞっとする。麻袋から久しぶりに解放されたライラは、手際よく両腕を後ろに縛られその場に跪かされた。


 ささくれた床の木目のせいで、膝にじわりと血が滲む。見渡してみれば、周囲にいるのは全員が男。数は五人だ。


「出発するぞ。操舵室に合図を出せ」

「了解です、副船長!」

 副船長と呼ばれた男が指示を出してから間もなく、再び轟音。ややもすれば、揺れる剝き出しの電球。内臓が震える感覚。

「ど、どこへ向かうんですか?」

 恐る恐る声をかけるも、答えは自ずと理解できた。正面にある丸窓の向こう、景色が動き出す。やがて真っ暗だったはずのそこが蒼月を映し始めた。

 何が起きた、まさかそんなはずはない。こんなことはありえない、そう思ったが窓の向こうに広がるのは、絶対的な現実だ。


「どこへ向かっているかって? 空だよ。“竜人族の生き残りさん“」

 副船長が、ニヤリと口角を上げた。


 轟音とともに体が揺れる。

 まさか「飛行船」をこの目で直接拝める日が来るとは思わなかった。昔に読んだ本によると、飛行船の開発はまだ世界中のどこの国も成功していなかったはず。それなのにそれが現状、目の前にある。というか乗せられてすらいる。


 揺れの幅が小さくなってきた。飛行船が安定してきたということなのだろうか。

「さーて、と」

 副船長がライラの目の前の椅子に、乱暴に座り込んだ。まっすぐにライラを射抜く、鳶色の瞳。

「質問な。あんた、竜人族だよな?」

「ち、違います、ボクは狼人族です」

 アルに言われた通り、狼人族を名乗る。けれどその返事に、副船長は表情一つ変えない。

「いいや。あんたは、昼間に自分で名乗ってたはずだ。婆さんに出身を訊かれて馬鹿正直にな。竜人族を名乗るメリットなんて一つもないはずだろ?」


 椅子から下り、ライラの顔を無理やり上向けると、彼は途端に不機嫌そうに眉を顰めた。


「……おい、なんだよ、角が無いじゃんか」


 ざわつく周囲。そんな馬鹿な。本当に竜人族じゃないんじゃないか。そんなセリフが聞こえる。どうかこのまま、「勘違いでした、人違いでした」と穏便に解放してくれないだろうか。

「だ、だから言ったじゃないですか。ボクは狼人族ですって!」


 ライラがそう言い終えたところで、一人の男が口にした。

「なあ──もしかしてコイツ、『堕天』じゃねえだろうな?」


 ライラの息が止まる。まさか、『堕天』を知っているヒューマンがいるだなんて思わなかった。


「堕天? なんだそれ?」

「前に、港の酒場で相席になった奴がいてよ。昔、騎士団に所属してたってんで、戦争に駆り出された竜人族とも会ったことがあるって言ってたんだ。そいつから聞いた話なんだけどよ……」



 竜人族には、翼が生えない者がいる。角が生えない者もいる。

 その両方──つまり、竜人族としての特徴をなんら備えないまま生まれる者もいる。

 竜として誇れる角もなければ、空を飛ぶための翼もない。天を統べる竜人族の面汚し。空に生きることを許されなかった落ちこぼれ……ゆえに、「堕天」。


 男の言っていることは酒席での戯言ではない。すべて事実だ。


「へえ」

 副船長はライラの髪と顎を掴み、顔をさらに上向けた。

「じゃあ、あれか。よりにもよって一番の出来損ないが生き残ったわけだ?」

「!」

 ライラは目を見開く。言われ慣れてきたはずの言葉でも、こんなにまっすぐに悪意を向けられると、胸に深く突き刺さる。


「図星か? ……まあ、いいか。角がないのは残念だが、骨なら成分はそう変わらないかもしれないだろ。歯でも折ってやればいい」

「……!」

 副船長の一言を皮切りに、肩を押さえられる。全身の力を総動員して暴れようとしても、ビクともしない。

「念のためだ、翼があるのかもちゃんと確認しとけよ。本当に狼人族なら、仲間の報復が怖いしな」

 その一言に、服を掴む複数の手に、ライラの全身を鳥肌が襲った。


「……やっ、やだ。やだ、やめて! 触らないで、嫌だっ! 嫌だぁ!」

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