御者の操る馬車に揺られて、アルとライラは平原を進む。凹凸の道のりゆえに乗り心地こそいまいちだが、座れるだけでも疲労を蓄積していた体にはありがたかった。
「あらかじめ、今後の流れを説明しておく」
対面のアルが懐から取り出した物は、ライラの目には複雑な絵のように見えた。ぐにゃぐにゃといくつも伸びる曲線、所々が青や緑に着色されている。図上には『リームンヘルト』とある。この国の名前だ。
「面白いね。何の絵? タイトルが国名なんて、変わってるね」
「……地図だ」
「えっ、わあ、これが地図なんだ⁉ 初めて見……」
と、はしゃぎかけたのを必死で抑える。アルにまた呆れられたくない。
「おまえのいた里はここだ」
トントン、とアルが指したのは地図の端。深い緑の広大な土地、中心に一点の白が映える。
「この緑のとこ、全部?」
「おまえがいたのは渓谷だろう。岩山のここ、白く囲まれたところだけだ」
国内を描いた地図らしいが──竜人族の里はその端っこ、ほんの僅かな空間でしかなかったのだ。それこそ、ライラにとっては竜人族の里だけが世界そのものだったのに。
(ボクのいた世界って、なんて狭かったんだろう)
ライラが衝撃を受けているかたわら、地図上をアルの指先が滑る。
「竜人族の里から山を下り、南西の方角にハディントンシティ。今朝までいた街だ」
うんうん、とライラは頷いた。
「そして今、イデアル平原の中腹をやや過ぎたところだ。この馬車の行き先は、商業都市ユーシュヴァル。紛争が起きて二ヶ月が経つが、既に復興しつつある。情報収集と食料の確保をここでしておく。夜は民宿に空きがあればそこを利用する。無ければ野宿だ」
「うん、わかった」
「予定では、ユーシュヴァルで仲間と落ち合うことになっている」
ぱちりと、ライラの円らな瞳が瞬く。
「仲間?」
「俺の属するモンブラン隊の隊長だ。少なくとも昨夜までは竜人族の里の調査をしていたはずだ。遺体の状態や、ほかに生き残りがいるのかどうかを……」
突然アルが黙って見つめてきたので、ライラは首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや。とにかく、隊長が戻るまでどれくらいかかるのか、現時点ではわからない。ユーシュヴァルには数日、滞在することになるかもな」
アルが何を言いかけたのかライラにはわからなかった。それが少し気になったけれど、彼の話の続きの方がずっと気になる。
「それで、ユーシュヴァルから、その後は?」
「ユーシュヴァルからウォール山脈を越えた先に王都がある。険しい道のりになるが……昨夜も言った通り、城が最終目的地だ。おまえは俺たちとともに王妃と謁見したあと、しばらくは城の庇護に置かれることになるだろう」
昨夜のアルが言っていたことを思い出す。
──この国はいま、抱えている問題が多すぎる。だがおまえが登城することで、そのうちの一つに解決の目処が立つ──
「そういえば、具体的には訊いてなかったけど。ボクがお城でやることって、一体なんなの?」
ライラの問いかけに、アルは小さなため息を吐いた。
「……話せば長くなるがまず、前提として。おまえはこの国の王が誰なのか知っているか?」
「うん。たしか、ディアマス陛下……だよね。二十年近く植物状態だって聞いたことあるよ」
「ふん、さすがに知っていたか」
長い足を組んで、アルが続けた。
「おまえの言う通り、陛下は長年寝たきりの状態が続いている。代わりに王妃殿下と、息子の三人の王子殿下が政務を請け負っているのが現状だ。……ここから先はまだ公にされていない、誰にも言うな」
ごくり、とライラが喉を鳴らす。馬車の揺れが大きくなったタイミングを見計らったのだろうか、アルの口が開かれる。
「陛下がこの度、崩御された」
“崩御”。あまり、ライラの身近にはない単語だ。
「……それって、つまり?」
「わかりやすく言おうか? ひと月ほど前にな、次期国王を任命することもなしに、二十年以上他人に迷惑をかけまくった挙げ句くたばったんだよ」
「ひぃっ⁉ アルくんそんな言い方っ!」
御者に聞かれてはいないだろうかと、戦々恐々のライラは無意味に己の口を塞いだ。対して、アルは堂々とした態度を崩さない。
「事実しか言っていない。次期国王の任命は現国王にしかできないことだというのに、まったくはた迷惑なジイさんだよ」
塞いだはずの口が、今度は開いて塞がらなくなってしまった。アルのことをかなりの不敬者だと、世界にはこんな人もいるのだと思って。
里では竜神と同じくらい、国王は敬いの対象だった。ヒューマンは皆がこうも不敬なのだろうかと一瞬思ったけれど、違うような気がした。アルだけが、こんな態度を取っていても許されてしまうのではないか。なぜか不思議とそう思わせた。
国王の崩御。なぜそれを公にしていないのか……ライラは頭の片隅で考える。
「次の国王陛下が決まってない……もしそれをみんなが知ったら一気に不安になる、よね。だから秘密にしているの?」
「ああ、それもある。ただでさえ抱えている問題の多いこの国で、さらなる不安材料を与えるのは得策じゃないからな。それに隣国との関係の悪化も……いや、この話は今は無関係だな。説明は省く」
とてつもなく不穏な情報を伏せられた気がしたが、アルの話はまだ続くようだ。
「次期国王を任命する前に国王が崩御した場合──つまり、今の状況だな。次期国王を選出する方法は二つ。まずは『神託』。『創造神』とやらの声を聴くことができるらしいジャノメイル教会の神官がお告げにより、王子たちの中から次期国王を選出する。……この国の命運を、一神官に託すということだ」
アルという人間がライラにもわかってきた。彼は神の存在を信じていない。それゆえに神官も胡散臭い存在としか考えていないようだ。そう顔に書いてある。
「しかし、どういうわけだか
「……どうして?」
「ふっ、さあな。神託が下りてこないんじゃないか」
アルが片方の口角を上げた。今まで出会った人々の中でも指折りの、意地悪い印象の表情だ。
「とにかく、神官が使い物にならない以上は二つ目の方法に頼るしかない。三種族による選挙だ」
「三種族?」
「竜人族、狼人族、魚人族。長い歴史のなかで、この三種族はそれぞれの特性を活かし、城と連携して国を守ってきた。ゆえに与えられた特権だ。国はそれぞれの種族の代表に対し、一票ずつ投票権を与えた。代表は三人の王子の中から、次期国王に相応しいと思った人物に投票することができる。三票のうち、多く票を集めた王子が次期国王になるというわけだ」
国王候補の三人の王子。三つの種族に対して、一票ずつの投票権。わかりやすい説明だな、さすがだな、とライラの頬は綻んだ。
「そっか、それなら次の王様もすぐ決まりそうだね! ……あれ?」
ライラはぽかんとした。それが、自分の最初の問いかけへの答えだと気づいたのだ。
「あの……ボクの他に、里の生き残りはいたの?」
おずおずと質問をすると、何を感じてかアルはすっと目を細めた。
「……いいや。まだ調査中だがおそらく、生き残りはおまえたった一人だ」
「そうなると、竜人族の代表って?」
「この世界におまえ一人しか竜人族がいないのなら、おまえが代表ということになる」
「ボクが選んで、投票するってこと? 三人の王子様の中から⁉」
「理解できたようで何よりだ」