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2-1.ライラと、会話

「アルくーん! アルくん、待ってよー!」


 イデアル平原を出発したのは早朝。現在、太陽は真上にある。

 特に疲弊した様子も見せずに進み続けるアルに対し、遥か後方のライラは細かな呼吸を何度も繰り返している。背の高いアルの歩幅に合わせるには、小走りするしかないのだ。

 立ち止まり、振り返る呆れ顔に、ライラの胸は痛む。


「……次の街まで、ようやく中腹に差し掛かったところだ」

「はあっ、はあっ、そうなんだ? でもごめん、走るのに疲れちゃって。ちょっとだけ、休憩させて……」

 アルのそばに駆け寄ったライラは、弱々しいながら笑顔を見せた。

「アルくんはすごいねぇ。全然疲れてないみたい」

「お前は体力が無さすぎる」

 ばっさり。褒めたのにつれない。弱々しかったライラの笑顔は、咲き誇る前に萎れてしまった。

「ご、ごめんなさい……」

「謝ってほしいわけじゃない」

「ごめ……」

 ごめんなさい、と再び言いかけて口を噤む。謝ってほしいわけじゃない、ならばなんと反応すれば良いのだろう。


 続く沈黙のさなかにも、ライラはぐるぐる考える。やがて導き出した答えは、

「もう、歩けるよ。わがまま言っちゃったよね。ちゃんと付いていくから」

 だった。けれどアルの表情は変わらない。

「『付いていくから』、何だ?」

「え⁉ えっと……」


(会話って、難しい)


 初めてアルと出会ったのは、昨日の朝。付き合いが浅いにも程があるが、それでもライラにはわかったことがある。アルは表情をほとんど動かさない。キリッとした目尻、眉間のシワからは厳かな雰囲気を滲ませているのだがそれが常なものだから、機嫌が悪いのか怒っているのか、案外そうでもないのか判別が難しい。


「言いたいことがあるなら最後まで言え」

「つ、付いていくから。だからその、怒らないで……」

「別に、怒ってはいない」

「ええっ、そうなの? その表情かおで?」

 ぽろっと出た本音。その瞬間、アルの表情に僅かに苛つきの色が乗ったのを敏感に察知できてしまった。

「ご、ごめん! 思ったことが全部口に出ちゃった!」

「……別に、怒ってはいない」

 先程とまったく同じセリフ。それなのにアルの背後に揺らめくほむらが見えるような。


(ひええええどうしよう絶対怒ってる! アルくんに嫌われたくない、嫌われたくないのに!)


 アルがひとつ、溜め息を吐く。背後の炎もそれでやや沈静化した、気がした。

「腹が減った。昼食にする」

「あっ、ボクも手伝うよ!」

「必要ない。適当に座っていろ」


 背負っていたカバンの中からアルが取り出したのは、マッチと少量の薪、鉄の網と鍋。さらに干し肉──ライラは見たことがない。不思議なものを外界では食べているのだなと首を傾げてしまう。

「鶏だ。見たことがないのか? 竜人族は菜食主義者ではなかったはずだが」

「それが鶏肉なんだ? お肉って言ったら、兎くらいしか食べたことないよ」


 会話をしている間にもアルは火をおこし、着々と調理を進めていた。干し肉と、ぶつ切りにした根菜とを鍋で軽く炒めたあと、水と調味料を追加しながらコトコト煮ていく。それからは特に味見をすることもなく、しばらく待っているだけであっという間に完成してしまった。


「受け取れ」

「はっ、はい!」

 皿を受け取ると、スープの温かさがじわりと手のひらに伝わってきた。

「糧をありがとうございます」

「ああ、どーも。味の期待はするな」

 アルはそう言ったけれど、恐る恐る口に入れた鶏肉からはジュワッと肉汁が溢れ出て、口の中いっぱいに旨味が広がっていく。仄かな塩気が疲れた体に染み渡る。

「……美味しい……っ」

「そうか」

「アルくんはすごいね! こんな美味しいものがすぐに作れるなんて」

「遠征の間は、手軽なものしか作らないからな。嫌でも慣れる」


 ふと、会話の途中でライラは気づく。アルの食事のスピードはそこまで早くない。

 腹が減ったと言い出したのはアルで、手伝いを不要と言ったのも彼。ライラは彼の手際の良さを座って見ていただけ。


(ひょっとして、ボクが疲れたって言ったから? それでお腹が空いたなんて嘘ついて、昼食にしてくれたのかな……)


 あくまでも予想でしかないけれど、現にライラはしっかり休憩できているのだ。もし予想が当たっているのだとしたら……彼はなんて優しい人なんだろう、と喉の奥が熱くなる。足の疲れも忘れてしまいそうだ。


(こんなにかっこよくって、さりげなく優しいなんて。近衛騎士だって言っていたけど、やっぱりアルくんって王子様みたいだ……)


 幼い頃に繰り返し読んだ、『英雄物語』。主人公の王子様の『アルフォンス』と、目の前にいるアルをつい重ねてしまう。ぶっきらぼうで、それでも人一倍強くて優しくて、降りかかる困難にも果敢に立ち向かう──ライラが強烈に憧れた、物語の中の王子様。


「アルくんって、王子様みたいって時々言われない?」

「…………言われない」

 それだけ答えて、アルは皿の中を空にしてしまった。次にカバンから取り出したのは赤紫色の丸っこい果実だ。手に余る大きさのそれに、アルはそのまま齧り付いている。

「なあに、それ」

「グミミだ」

「グ、ミミ? 聞いたこと無いや」

「王都で完成したばかりの品種改良の産物だからな。一般に流通するのはこれからだ」


 アルは何も言わずグミミを一つ差し出してきた。よほど物欲しげに見えたのだろうか、とライラは少し気恥ずかしい。が、アルの見様見真似で齧りつけば、そんな気持ちも吹き飛んでしまった。

「ん、んん⁉ これ、すっごく美味しいよ、アルくん!」

「ああ、そう」

「甘酸っぱくって後味が爽やかで、こんなに美味しい果物食べたの初めて!」

「…………」

「ほんとに全部食べていいの? ありがとう、アルくん!」

「もう少し、静かに食べられないのか」

 静かな物言いだった。けれど言葉の向こう側に、隠せない迫力が滲み出ている。

「ご、ごめん。静かに食べるね……」


(うう、叱られちゃった。二人で旅をしているのに、こんなに短い間に怒らせたり叱らせたり。ボクってやっぱりダメなヤツ……)


 イデアル平原の風の音、グミミに齧り付く音だけが漂う静寂を取り持ってくれている。 


(アルくんみたいな人になれたら、少しでも近づけたら。……なんて思っていたけど、今のボクのままじゃきっとダメだ)


 グミミの最後の一口を飲み込んで、ライラは意を決した。

 もう「疲れた」なんて言わないし泣き言も言わない。たとえ足がもげようと次の街まで歩き続けてみせる。


「糧をありがとうございました! 休憩させてくれてありがとう。ボク、次の街までがんばって歩くよ!」

「いや、すぐそこで馬車を借りる」

「……そういうことは早く言ってよ……」


(会話って、難しい。アルくんとの会話って、難しい……!)

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