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1-4.ライラと、誓い

 冗談だとはライラには思えなかった。アルはうっすらと笑みを浮かべてはいたが、目が全く笑っていない。ランプの光のもたらす陰が、彼の目の下の青い隈を、より色濃く染めていた。


 トン、トン。短いノックが二回部屋に響く。その瞬間、アルが再び短剣を手にしているのを見て、ライラは固まってしまった。

「お客様? 二名様ぶんのお夕食の用意ができましたよ」

 扉越しに受付の女性の声が聞こえる。短剣を構えたまま、アルが答える。

「飯は一人分しか要らん、と言ったはずだが」

「あら、左様で。お部屋を間違えましたわね、失礼しました。お一人様分、下の食堂でご用意しておきますわ」


 女性の声と、すぐに遠ざかっていく足音、気配。短剣はアルの袖の中へと消えていった。そんなところに隠していたのか、とライラは舌を巻く。

「夕食ができたらしいな。食欲があるなら腹に入れておけ」

「……あなたは、食べないんですか?」

「他人の作ったものは、口に入れないことにしている」


 聞けば、アルは自分の口に入れるものは自分で作らなければ気が済まないらしい。今朝ライラが口にした粥も、調理場を借りてアルが手ずから作ってくれたのだという。曰く、「自分の分のついで」に。


(あのお粥、この宿のものじゃなかったんだ。わざわざ作ってくれたんだ)


 そしてライラは気づいた。至れり尽くせりの待遇を受けておいて、まだまともにお礼も言えていないことに。

「あの。何から何まで、本当にありがとうございます! 助けてもらったお礼をさせてほしいんですけど、でもボク、手持ちがなくて……」

「俺が来てやらなかったら、今頃自分がどんな目に遭っていたか、わかっているのか」

「へ?」

「……命を助け、尊厳を守ってやった。替えの服まで用意して、腹を空かせたお前に飯まで作った。その対価が、言葉や金で済むとでも思っていたのか?」

「ああ……」

 なるほど、たしかにそのとおりだ。

 危ないところを救ってくれたアルには、これ以上ない恩義がある。それこそ返しきれないほどの。けれど、礼として差し出せるものがライラには何もない。


「す、すみません。ボクにできることは限られています。力仕事はそんなに得意ではありません」

「見ればわかる。自分よりよほど華奢で細腕の奴に、腕力の期待はしていない」

 ライラの頬に熱が集まる。的外れなことを言ってしまった。

「……そうですよね。では、何をしたら」

「お前には、少しばかり俺のために働いてもらいたい」

 働く、とは。ピンときていないのを察して、アルは続けた。

「まずは、おとなしく城に来てもらう」

「お城……って、まさか、王城に⁉」

「元々、俺は羽根の件とは別に、竜人族の里に用があったんだ。遠征のスケジュールに組み込まれていたからな。……だが里が滅んだことで、色々と状況が変わってな。里が滅んだ原因の調査と、生き残りがいるならそいつを保護するようにと国から仰せつかったわけだ」


 ライラにとっては途方もない話だった。王城だの遠征だの国だのと、これまでの人生でまるで意識したことのない、スケールの大きな単語で頭の中が埋め尽くされていく。

けれど、じわじわと理解する。柵に囲まれた里がこれまでの世界の総てだったのに。アルはそこから連れ出してくれると言うのだ。

 ドキドキと、心臓が徐々に高鳴っていくのを感じていた。


「お城へ行くことが、あなたのために働くことになるんですか?」

「そうだ。この国はいま、抱えている問題が多すぎる。だがお前が登城することで、そのうちの一つに解決の目処が立つ。しばらくは城の庇護に置かれるだろうが、ある程度自由の身になったら、羽根の持ち主を共に捜してもらう」

 強い視線に射抜かれる。

「十五年だ。十五年捜してようやく見つけた最初の手がかりなんだ。俺には、お前が必要だ。……断らないよな?」

 琥珀の瞳は真剣だ。思わず吸い寄せられてしまいそうなほどに。


 目標も、行くところも、生きる希望も何もない。それらすべてを与えてくれる彼の誘いを、断る理由なんて一つもない。それに、


(ボクはあなたに命を助けてもらいましたから、ボクの命はあなたのものです)


 さすがに気恥ずかしくて、口には出せないが。


「もちろんです! ボクも、あの天使……というか男の子にお礼を言いたいですし。こんなボクでよければ、お手伝いさせてください!」

 ライラがニコリと微笑むと、話は済んだとばかりにアルは立ち上がった。

「明日の朝、迎えに行く。それまで部屋で休んでおけ」

 颯爽と出ていこうとするアルの背中に、ライラは疑問を投げかける。

 国からの指示が下りてくるなんて、おそらく彼は普通じゃない。


「質問をしても、いいですか。あなたは、何者なんですか?」

「……俺は国王軍の近衛騎士団、モンブラン隊。そのしがない平隊員ってところだ」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 その夜、腹を満たしたライラは柔らかいベッドの上で眠りに就いていた。

 一方のアルは、ライラの部屋の窓、さらに宿の扉が見える位置に簡易テントを構えていた。万が一に備えて、だ。ライラが逃げ出すことも、ライラの命が何者かに狙われることも、可能性としてはゼロじゃない。


(今夜も寝ずの番、だな……)


 眠気覚ましのハーブティーを飲み干した頃、一羽の鳥が下りてきた。短いくちばし、ずんぐりむっくりのフォルム。灰色の羽を持つフクロウだ。アルは職務を終えた彼女に餌をやりながら、脚に括りつけられた手紙を広げた。


〈第一班 報告書 竜人族の里から、キドリーより。

竜人族の里の被害は甚大。生存者はゼロ。人も家財もすべて焼け落ちて、遺体の老若男女の判別も難航中。〉


「……唯一の生き残りは、やはり奴だけか」

 独り言ちると、相槌でも打つかのようにフクロウが満足げに鳴いた。


〈遺体の損傷は激しいが、共通しているのはすべての遺体が胸を貫かれていること。直接の死因は火災によるものではなく、失血によるものと推測される。〉


 アルは紙を取り出し、返事を書くべくペンを走らせる。


〈ハディントン市場から、アルより。

第一班は引き続き調査を。

第二班の働き、見事だった。褒美を遣わす。

竜人族の生き残り、一名を救出。名はライラ。健康状態に問題なし。例の羽根を所持。

王城へ共に帰還することを約束させた。

ハディントンシティ、イデアル平原を経由予定。ユーシュヴァルにて落ち合おう。〉


 ここまで書いて、アルは手を止めた。どうしても書かなくては気の済まないことを、懸念事項として書き足していく。


〈ライラには不可解な点がいくつかある。

一つ。自分を助けた天使がいたという発言。現実的ではない。

二つ。里が滅ぶまでの間は気を失っており、何があったか一切見ていないということ。都合が良すぎる。

三つ。ほかに生存者はいないのか、里の被害はどうなっているのか、自分からは確認してこないこと。

以上の点から、〉


「……信用することは、できない」


 再び手紙を括りつけられたフクロウが、竜人族の里へと飛んでいく。夜明けは遠い。睡魔に襲われかけたところで、アルはまたハーブティーに手を伸ばした。


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