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1-3.ライラと、“天使”

 その日は、なんの変哲もない朝から始まった。


 ベッドから身を起こし、家を出てすぐの小川で顔を洗ったあとは、朝日に祈りを捧げる。

 昨夜の残り物のきのこソテーを一口で食べ終えると、山菜摘みに出かけるのだ。畑は先週、獣によるものか誰かのいたずらか、すべて踏み荒らされてしまったのだから仕方がない。

 けれど畑がだめになってもさして困らない。山に入れば、食材はいくらでもあるのだから。


 高い山々と突出した岩に囲まれた深い渓谷──そこに竜人族の里はある。人口はおよそ二百人。誇り高い竜人族は、ヒューマンをはじめとした他種族を嫌う傾向がある。そのため、何者も侵入できないよう、高い柵がぐるりと里を囲っている。ライラはこの柵から出ないように生きてきた。今日もまた、柵の範囲内で食材調達に勤しむのだ。


 罠をいくつか確認してみたが、どれにもウサギは引っかかっていない。ふう、と肩を落として首を上向ければ、枝にぽつぽつと連なる赤い実が、視界に入った。

「……もうそんな時期なんだ」

 秋に成る、イツシの実をもいでいく。果肉はさっぱりとした甘みがあるが種は有毒なので、間違えて飲み込まないように気をつけないといけない。育ての親であった里長に、口酸っぱく言い聞かされてきたことだ。ライラにとってイツシの実は、秋の風物詩となっていた。


 秋は、その里長が亡くなった季節でもある。

「もう五年になるんだなあ」

 ライラはぶんぶん、と首を振った。

 秋が終われば、長い冬が訪れる。保存食を大量に作っておかないと冬を越せなくなる。感傷に浸っている暇はない。


「……え?」

 気持ちを切り替えて再び傾斜を登ろうとした時だ。視線の遥か先に、見たことのない少年が立っていた。

 小さな里、皆が顔見知り。だからわかる。あの少年は竜人族の里の者ではない。間違えて里の領域に入ってしまったのだ。張り巡らされた柵を超えて、ここに来てしまったのだ。


 ライラは一気に肝が冷えた。もし見つかれば他の竜人族からどんな目にあうか、わかったものじゃない。

「あっ、危ないよ。こっちに来ちゃダメ! 早く、早く里から出ないと……!」

 声かけに気づいてか否か、少年は鬱蒼とした木々の中に身を投じてしまった。


 迷った末、ライラは少年の後を追った。柵まで無事に辿り着けるかどうか、保証はなかったから。


 見失うことはなかった。長髪はともかく、里ではまず見かけない淡いピンク色。木漏れ日を受け、絹糸のように反射している。少年はずいぶん身軽な様子で、ライラを奥へ奥へと誘っているようだった。 


 ライラが走るのをやめたのは、少年が突然振り返って、立ち止まった時だ。ライラが肩で呼吸する、その様をどんな風に捉えたのだろうか。腰まで伸びた長髪をゆらめかせ、彼はニコリと微笑んだ。歳は同じくらいだろうか。まだ輪郭にまろみを残していながら、言葉を失うほどのその妖艶さにライラは心が奪われそうになる。……実際に奪われたのは、言葉。少年の細い背中から、見たことのない大きな白い翼がふわりと広がったのだから。




 次の瞬間、ライラはハッと意識を起こした。足元に転がっている籠。辺りに散らばるイツシの実。空は白み始めていた。丸一日、寝入ってしまったというのか……いったい、なぜ。あの少年は、夢に見た幻だったのだろうか。

 けれど左手に握りしめた羽根が、アレは幻ではないのだと囁く。

「……綺麗」

 羽根に小さな穴を空け罠用の紐を通し、首にかける。宝物にしようと思ったのだ。家に帰ったら宝箱にしまって、時々眺めることにしようと。


 ライラが異変を感じたのは、帰路に就いて間もなくのことだった。里から吹き抜ける風、同時に鼻につく焦げ臭い匂い。


 ……嫌な予感がして、ライラは走り出す。待っていたのは、黒焦げに崩れ落ちた自分の家だった。何が起きたのかわからない、パニックになりそうな自分を抑えながら少し離れた集落を見れば、細い黒煙が立ち上っているのがわかった。静かだった。自分の鼓動しか聴こえないくらいに、辺りは無音だった。


 誰か、誰か、生きている人はいるのか。


 駆け寄った甲斐もむなしく……ライラの自宅同様、集落はすべて焼け落ちていた。そよ風に舞う灰。嗅いだことのない、ひどい匂い。崩れた屋根の下、黒焦げになった何かが見える。

 それが大人の足だとわかったとき、ライラは立ち竦み動けなくなった。


(ボクが気を失っている間に、何が……⁉)


 背後から忍び寄る気配に気づき、振り返る──と同時に両手を拘束され、地面に俯せに押し付けられる。

「……っ!」

 口に広がる、土と鉄の味。

「いたぞー! 生き残りだ!」

 頭上から落ちてくる声に誘われて、数人の男たちが方々から集まってくる。初めて目にしたヒューマンたちの顔は、皆が喜色に満ちていた。猿轡をかまされ無理やり馬車に押し込まれ……それが、里での最後の思い出となった。



 竜人族の里が、一晩で何者かの手によって滅ぼされたこと。

 男たちが闇オークションの家族経営をしていること。

 闇オークションの目玉として自分が出品されること──それらを知らされたのは、攫われて間もなくのことだった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


「……にわかには信じがたい話だな」


 平坦な口調でアルが感想を述べるので、ライラも苦笑するしかない。

「おまえら竜人族は、他種族と比べ戦闘能力に秀でているはず。それが一晩のうちに滅ぼされただけでなく、生き残りであるお前は気を失っていて、何が起きたのかわからない、ときた」

「で、でも、本当のことなんです」

 自分でもおかしなことばかり言っているな、と思う。アルが疑り深い視線を送ってくるのも、当然と言えた。


「それだけじゃない……この羽根は、お前が見た少年の背中から生えていたものだと。そう言ったな?」

「はい」

「……竜人族でもないのに羽がある、か」

 沈黙が重く垂れ下がる。アルはなにか考え込んでいる様子だったが、ライラがもじもじしながら「あの」と口火を切った。

「あなたはいつ、この羽根を手に入れたんですか」

「……十五年も昔の話だ。そいつは俺の命を頼みもしないのに救い、そして去った。俺にこの羽根を押し付けて、な。状況が状況だったから、どんな姿だったのかは確認できていないが」


 十五年。そんなにも長い間、羽根の持ち主を探してきたのだろうか。


「鳥類専門の学者にも見せてみたが、新種だなんだと騒ぐばかりで参考にならなかった。鳥でないのなら、竜人族の里にこの羽を持つ者がいないかと思っていたんだがな……」

 まさか里が滅ぶとは思わなかった、とアルは続けた。


(この人は、どうしてそんなに羽根の持ち主に会いたいんだろう)


「……十五年前、となると。同い年くらいに見えましたから、ボクが見た男の子と、あなたを救った人は別人なんでしょうか」

「おそらく、な。だが、俺とお前の持つ羽根は、どう見ても同じものだ。──お前は、この事実をどう受け止める?」


 意見を求められている……ライラは内心焦った。文字の読み書きはできても、自分の考えを言葉にまとめて表すことは難しい。

「きょ……共通点は、ありますよね。ボクたちは、この羽根の持ち主に命を救われている……ってことです」

 目は口ほどに物を言う、を地で行く人だ。「続けろ」と言っているのが言葉にされずともわかる。

「いつもどおり収穫を切り上げていたら、ボクも里で死んでいたはずなんです。……彼は、ボクを助けてくれました。だからボクは彼のこと、天使かなにかだったのだと思っています。昔あなたの命を救ったのも、やっぱり天使なんじゃ……」


 はっ、と吐き捨てるようにアルが笑った。

「そいつはいいな。ではなぜその天使とやらは、お前のことを助けたんだ?」

「そ、それはわかりませんけど……でも、神話にもあるじゃないですか、天使の話」

「ああ、『天の御使い』だろう。"命尽きし時、天界への道が拓かれる。迎えに来るのは美しい翼を持つ天使"ってな。……神話なんてものを信じているのか、お前? さては神様も信じている口か」

「えっ……信じてないんですか? これっぽっちも?」

 ライラが首を傾げると、アルはくすくすと笑った。


「そうだな、神様なんてものがいたらいいよな。──もし目の前にいたら、五発は殴ってやるのに」



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