それから、五所神社で部屋を与えられた裕之は、宿題を終えて、ほっと一息ついたところで。
「起きてる?」
部屋がノックされる。
「憂紀か。起きてるよ。ってかまだ寝るには早いだろ?」
扉が開く、
「何言ってるのよ。これから出かけるんだから、むしろ今までは寝ておくべきよ」
「え」
当たり前のように言う初耳の情報に、裕之が絶句する。
「当たり前でしょ? ストッカーの戦いは夜起きるのよ。幽霊が活発化するのも夜なの。夜は私達の戦場。夜に寝てる暇はないのよ」
それ自体は言われてみるとその通りだ。
「そっか。僕の考えが甘かったよ」
なので、裕之は素直に自分の非を認めた。
「じゃ、行きましょ」
「え、今日は寝忘れてたから、明日からってわけにはいかない?」
十中八九断られるだろうと思いつつ、正直ちょっと眠気を持っている裕之はダメ元で提案してみる。
「正直、寝不足で戦うのも危険だから、本当ならそうしてもいいんだけど……」
だが、意外にも、憂紀はその提案を受け入れても良い、というようなことを言い出した。とはいえ、逆接で終わっているのだが。
「今日はだめよ。緊急の仕事があるの。しかも場所は学校よ。あなたも放っておけないでしょ?」
「う……」
緊急の仕事、というだけでも捨て置けない匂いを感じるが、それも学校となると、尚更だ。
自分が動かなかったせいで学校で被害者が出るようなことは到底容認できない。
「分かった。行こう」
裕之は頷く、出かける支度をする。
「で、学校ってどういうことなんだ? 学校で人死にがあったなんて話は聞かないぞ?」
「えぇ。けど、あんたのユキチが生霊という死んでない人間の集合であるように、情念が集まるとそこに怪異が生まれることはあるのよ」
「なるほど」
で、今回はどんな怪異が? と裕之が尋ねる。
「恐らく、都市伝説級仮想悪霊『トイレの花子さん』」
「えっと、ごめん、質問したいことが山ほどあってどこから聞けば良いのか……」
短い言葉だったが、分からないことが多すぎた。
「順番に説明しましょ」
まず、仮想悪霊について、と憂紀が言う。
「仮想悪霊は、情念が集まって生まれた悪霊の事よ」
「それって、ユキチみたいな生き霊の霊団とは違うのか?」
「確かに似ているわ。生き霊の霊団と違うのは、生き霊ほど明確な意識を持っていないってこと」
「こんなのがいたら怖いな」「それが本当だったら怖いな」という程度の怖いな、嫌だなという情念が集合して実体化したものを仮想悪霊と言うのだ、と憂紀。
「次に都市伝説級って言葉よね。これは除霊師連盟が仮につけた仮想悪霊の等級の事よ」
霞級、自然霊級、呪霊級、都市伝説級の順番に強くなるわ、と憂紀は続ける。
裕之はなんか地味に気になる言葉が増えたな、と思いつつ、今は重要ではないので、除霊師連盟なる言葉については一旦スルーすることにした。
「って、都市伝説給が一番強いの? 二人でやれる?」
「普通の除霊師なら百人くらいで挑む必要があるわね。けど、私達はストッカー。その上、連れてるのは悪霊よ。二人入ればなんとかなるわ」
「除霊師とストッカーってそんなに差があるの? 和孝さんは普通にストッカーと戦えそうなくらい強かったと思ったけど」
「あれは地の利を父さんが持ってたからよ。もし平地だったら、父さんに勝ち目はないわ」
そう言われて脳内でシミュレートしてみると、確かに平地であればもっと話は容易だった気もしてきた。
「まして、私のレイコみたいに遠距離攻撃出来るビハインドも珍しくない。そうなれば地の利も引っ張り返されかねない」
ストックがあればあるほど更に強くなるしね、と憂紀は続ける。
「最後に、『トイレの花子さん』だけど。……これは知ってるでしょ?」
「まぁ、学校の七不思議の一つだよね。高校生にもなって馬鹿らしいと思ってたけど。こうして実際にいるとなると案外馬鹿にできないのか」
「まぁ、仮想悪霊の意味を考えると、噂が先にあったでしょうから、馬鹿らしいってのは否定出来ないけどね」
その言葉に裕之は、そっか、噂を聞いて、実在してほしくない、怖い、嫌だ、という情念が生まれて仮想悪霊になるわけか、と裕之が頷く。
「で、もう一つ気になることがあるんだけど、恐らくってにはなに? どうやって予想したの?」
「単に三階の女子トイレって情報からの予想よ。後は……」
言いかけて、憂紀は言っても仕方ないか、と首を横に振る。
「いえ、なんでもない。まぁだから、もしかしたら、ぜんぜん違う悪霊である可能性はあるわ。呪力の残滓があったから悪霊なことだけは間違いないとは思うけど」
話している間に学校が見えてくる。
「裏門の鍵をこっそり開けておいたから、裏門から入りましょ。分かってると思うけど、当直の先生に見つからないようにね」
二人はこっそりと裏門から学校に入り込み、後者の内部に入る。
「うへぇ、如何にも出そう……」
その真っ暗な校舎に裕之が思わずそんな声を漏らす。
「橋口さんのために頑張るんでしょ、こんな暗闇程度にへこたれてるんじゃ話にならないわよ」
「わ、分かってるよ」
三階の廊下まで上がってくると、如何にもステレオタイプなおばけ達が空中を浮遊していた。
「あれが、トイレの花子さん?」
「いえ、あれは多分、あんたみたいに学校の暗闇を怖がってる生徒によって生み出された霞級の仮想悪霊ね。私達の敵じゃないわ。ストックするほどの価値もないし……、レイコ」
憂紀の背後にレイコが出現し、矢を放って一撃のもとに霞級仮想悪霊全員を霧散させる。
(それにしても数が多いような……? 考えすぎかしら)
仮想悪霊を霧散させつつ、二人はついに三階のトイレに到達する。
「噂の内容は知ってるわね? 私がノックして花子さんを実体化させるから、扉が開けたら、即座にあんたの全力を叩き込んで」
「分かった。ユキチ」
頷きながら、裕之はユキチに呼びかけ、背後に実体化させ、竹刀を腰に構え、呪力を貯める。
「花子さんいらっしゃいますか?」
三番目の扉を三階ノックし、憂紀が言う。
「ハイ……」
かすかな声、二人は頷き合って、憂紀は扉を開ける。
直後、赤い吊りスカートをはいたおかっぱ頭の女の子が実体化し、憂紀をトイレに引き込もうとする。
「しっ!」
そこに裕之が全力の居合技を放つ。
限界まで高められた呪力が開放され、花子を一気に叩く。
「イタイッ!」
花子が悲鳴を上げ、そして、周囲に鎖を出現させる。
「こいつ、仮想悪霊じゃない? 地縛霊!?」
驚愕する憂紀は花子から物理的に伸びてくる腕を後方に飛び下がって回避しながら、レイコを出現させる。
鎖が脈動し、触手のように伸びた別の鎖が紫色のオーラを纏いながら、二人を睨む。
「違う。呪力を持ってるから悪霊ではあるんだ。地縛霊を核にして仮想悪霊を実体化させたっていうの?」
「五所さん、言っている場合じゃないよ」
触手の如き鎖が伸びてくる。
「レイコ、私を呪いなさい!」
「ウウウウウウウウウ! 憂紀ィィィィィィィッ!!」
レイコが怨嗟の声を上げ、憂紀を呪う。
憂紀を炎が如き紫色のオーラが纏い、触手の如き鎖と拮抗する。
だが、それは一瞬のこと。都市伝説級らしい強力な呪力が、レイコのそれを打ち破る。
「がっ!」
触手が如き鎖が回避しようと側面に飛んだ憂紀の肩を貫く。
「五所さん!」
「あなたは本体を狙って!」
思わず助けに駆けつけようとした裕之を憂紀は押し止める。
「分かった!」
再び居合の技を放つ。狙うはトイレの便器と繋がっている鎖。
だが。
「させるかっ! ノリコっ!」
その間に割り込むビハインドの影がある。
それは青白いオーラを纏った包丁で裕之の竹刀を受け止める。
とはいえ、呪力と霊力では出力が同じでも勢いが違う。
包丁が弾き飛ばされる。
だが、これで時間は稼げた、花子さんと裕之の間に見知らぬ男が割り込む。
「こんな時に、ストッカーね」
「その通り。この悪霊は俺がストックするぜ!」
裕之と憂紀の間に割り込んだストッカーは堂々とそう宣言した。