「嘘でしょ、しっかりして……!!」
憂紀は目の前に敵がいたことも忘れて、倒れた裕之に駆け寄る。
「ふむ、戦闘を放棄するなら、目標より先にこちらのビハインドをストックするのも手か……」
スーツの男が一瞬思案するが。
「ウウウウウ?」
主人の命令なく弓を構え、こちらを警告してくるレイコの姿に、考えを改める。
「どうやら、このビハインドは多少スペシャルらしい。ここは目標の達成を最優先にするとしましょう」
スーツの男が方向転換し、去っていく。
「人が……死んだ?
憂紀が眼球を揺らしながら困惑する。
「ウウウウウウウ……憂紀ィ……、
「違う。そんなことない。私には、これだけのストックがある」
大きく首を振り、憂紀は10を越える竹の筒を取り出す。
「なんとしても、助けてみせる」
◆ ◆ ◆
裕之は気がつくと真っ暗な世界にいた。
「ここ……は?」
体が動かない。
「あ、そうだ……、僕、死んだんだっけ……」
ここは死後の世界なんだろうか、と裕之は考える。
何が何だか分からないまま、理不尽に死んでしまった。
あの後、憂紀は助かっただろうか、それならせめて死んだ甲斐もあるというものだが。
辛うじて動く眼球を動かして、周囲を見渡しても憂紀の姿はない。ということは、死んだのは自分だけか。
ならよかった……、と思いかけて。
「いや、いいわけない。僕は知永ちゃんを助けなきゃいけないのに……」
戻らなきゃ、と裕之は自分の体に喝を入れるが、体は一切動くことはない。
それどころか。
「どこ行くんだよ、こっちこいよ」
そんな声が聞こえてくる。
見れば、今自分の体の正面から紫色の人型が現れ誘ってくる。
「そうだよ、こっちこいよ」
紫色の人型、その数はどんどん増えていく。
彼らは裕之を
と同時に。
「大体ずるいんだよ。何がエースだ。先生からも優遇されやがって」
「お前に負けたせいで、俺は大会に出られなかった」
「ずっと部活休んでるのに顧問は未だにお前が戻ってくると信じてる、俺なんかさっさと辞めろって言われるくらいなのに」
「どうせ、進学もスポーツ推薦で決まるんだろ、俺達はそんな未来ないから勉強を頑張らないとならないよ」
「お前のせいで俺はナンバーツー止まりだ」
そんな声の中には朝、裕之に声をかけてきた男の声もある。
紫の人型は少しずつ融合を始め、巨大な球体に無数の顔に腕が生えた奇妙な見た目へと変じていく。
「お前のせいで」「お前のせいで」「お前のせいで」「お前のせいで」「お前のせいで」「お前のせいで」「お前のせいで」「お前のせいで」「お前のせいで」「お前のせいで」
「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」「裕之」
頭がおかしくなりそうだった。
分かることはこの紫色の球体は自分のことを妬んでおり、それ故にさっさと自分に彼岸へ行って欲しいのだ、ということだけ。
直後、背後から白い光が差し込んでくる。
思わず、裕之は振り返る。
「振り返れた!?」
白い光から十を超える黒い人影が飛び出してきて、裕之の側を通り抜けていく。
見える。白い光の向こう側に病院の廊下の風景が。そして、憂紀の姿が。
白い光から、レイコと呼ばれていた女性がさらに現れ、手を差し伸べてくる。
「いいのか?」
恐る恐る、裕之がその手に手を重ねる。
「待てよ、裕之」
紫色の球体が裕之の裾を掴む、腕を掴む、足を掴む。
「いや、僕は! 帰るんだ! 知永ちゃんの元に!」
レイコが頷き、手を引く。
白い光が目前に近づき、視界が真っ白に染まる。
「はっ!?」
息苦しくて強く強く息を吸い込む。
「高橋君、大丈夫? 体に変なところはない?」
真剣な表情で、憂紀が裕之を見下ろしていた。
「あ、あぁ……。大丈夫……。って、あれ? 俺、死んだんじゃ?」
恐る恐る頭に触れる。
「なんともない……? そっか、夢か。そうだよな、あんな荒唐無稽な夢……」
なぜこんな夜の病院に憂紀がいるのかという疑問は残るが、憂紀とスーツの男がよく分からない超常バトルを繰り広げて死んだ、なんて現実よりはまともな。
「ふふ、そうね、あなたが見たのは……」
なんともなさそうに立ち上がる裕之に、憂紀は笑いながら、「夢よ」、とそう続けようとして。
「チガウヨォ、裕之ィ」
裕之の背後に、紫色の球体に無数の顔と腕が生えた何かが出現した。
「なっ、これ、夢で見た!?」
「なっ、霊団!?」
二人が同時に驚愕する。
(高橋君と
同時に、憂紀は素早く分析する。
「な、なんなんだよ。まだ夢の中なのか? な、なんでこんなのがいるんだよ」
裕之は現実が受け入れられず恐慌状態に陥る。
そして、紫色の球体が暴れ出す。
紫色の球体から生えた無数の腕、その手元に竹刀が出現する。
「こいつ……主人に否定されたから暴走し始めてる」
無数の竹刀のうち一本が振り上げられ、裕之に向けて振り下ろされる。
「レイコ、私を呪って!」
「ウウウウウウウ!!! アアアアアアア! 憂紀ィィィィィィィィィィィッ!」
怨嗟の声に合わせて、レイコを紫色の炎が如きオーラが纏い、同時、そのオーラが憂紀の左腕にも纏う。
憂紀はそのオーラを纏った腕で、紫色の球体による竹刀の一撃を受け止める。
続いて、憂紀が右拳を握ると、右拳にも紫色の炎が如きオーラが纏う。
「はぁっ!」
憂紀の右拳が鋭く放たれ、紫色の球体が後方にズレる。
さらに憂紀は左拳を握り追撃をかけようとするが、それより早く、竹刀の一本が憂紀に横薙ぎの一撃を繰り出す。
「ぐっ……」
憂紀の体が派手に吹き飛び、廊下を転がっていく。
「こいつ……出鱈目に暴走して……」
なんとか、立ち上がって憂紀が息を吐く。
紫色の球体は転がりながら、憂紀に迫っている。
「レイコ!」
レイコが素早く矢を放つ。
だが、放たれた矢は紫色の球体にぶつかると同時に屈折するように曲がり、逸れていく。
「呪力層の圧が違うか。流石は霊団ってところ?」
それはつまり、転がってくる紫色の球体を防げない事を意味する。
「レイコ、まだまだ呪って!」
「憂紀ィィィィィィィィィッ! 憂紀ィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」
激しい怨嗟の声にあわせ、憂紀の体全身を紫色の炎が如きオーラが纏う。
転がってくる紫色の球体を、しかし、憂紀はその全力で以て受け止める。
「高橋君、よく聞きなさい! その悪霊はシルバーコードであなたと繋がってる! その悪霊はあなたのものなのよ。あなたのものにしなさい!!」
必死で押し留めながら、憂紀が叫ぶ。
「僕の……ものに……?」
思わぬ言葉に困惑する裕之。
「そうよ! 私を助けたいなら、急いで!」
その言葉に裕之は憂紀の方へ振り向き、ようやく現状を理解する。
「で、でもどうすれば……?」
「名前をつけて! こいつは複数の亡霊の集まりだから、名前がないの! 名前があるだけでも、変わるはず」
「名前……名前……」
そんなこといきなり言われても、悪霊の名前など思いつくはずもない。
「何か考えて! そいつはどうしてあなたに取り憑いたと思う? 何か理由があるはずよ!」
必死で憂紀が訴えかける。憂紀も死の間際で必死である。
「そうか」
この悪霊達は自分への妬みを持っている、と裕之は思い出す。
つまり、憂紀が言うところの「複数の亡霊」とやらは、全員が居合道部か居合道に関わる人間のはず。
「なら、君の名前は、『ユキチ』だ!」
咄嗟に思いついたのは、居合の達人として知られる著名人の名前だった。
「!!」
ユキチと名付けられたそれはその場で動きを止める。
「指示して!」
「ユキチ、戻ってこい!」
その指示に従い、ユキチは大人しく裕之の元に戻ってきた。
「ふぅ、なんとかなった。……まさか蘇生させるついでに、ビハインドまで連れてきちゃうなんてね。蘇生の結果、ストッカーが生まれるなんて思っても見なかったわ」
体についた埃を払いながら、憂紀が立ち上がる。
「仕方ない。ストッカーとビハインドについて、説明しなきゃいけないみたいね。場所を移しましょう。帰り道の道中にでも、説明してあげる」
そう言って、憂紀は病院の階段へ向かって歩き出す。
「あ、ちょっと、僕、まだ何も分かってないんだけど」
慌てて裕之が追いかける。
まだ夜は始まったばかりである。