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第1話〜無気力者の一日

 霊夏れいか市立きた霊夏高等学校。

 小さな地方都市である霊夏市に存在するどこにでもある普通の市立高校だ。

 登校手段は主に二つ。

 一つは自転車を漕いで家から学校まで走る事。

 もう一つは最寄駅である北霊夏駅まで電車で移動し、そこから徒歩十分ほど坂道を歩く事。

 今、夏の炎天下の中、竹刀袋を背負って、一人ぼーっと坂道を歩いている高橋たかはし 裕之ひろゆきこそは後者の一人である。

「おい、裕之!」

 そんな裕之に後ろから半ば怒鳴るように声をかける男が一人。

「お前、ずっと居合道部に穴あけやがって!」

 裕之が力無い目でその男の方へと顔だけを向ける。

「おい、やめとけって」

 男と一緒に歩いていたらしいもう一人の男が男を止めようとする。

「いいや、止まらねぇ。勝ち逃げされてるだけでも許せねぇのに、このまま大会まで練習すっぽかすつもりかよ! いくらエースだからってそんなの許さねぇぞ!」

 そう、居合道部に所属する裕之は、数週間前から部活動に出席しなくなっていた。男はいい加減我慢の限界を迎えて、こうして声をかけたのである。

「……ごめん、でも放課後は行かなきゃならない場所があるから、部活には行けないよ。もう退部届も出したし」

 裕之は力無く返事する。

「退部届なら、先生が止めてくれてるぜ。なぁ、考え直せよ、そんなに毎日、見舞いに行かなきゃならないものか? どうせ……」 

 男達とてその事情は承知していた。けれど、男にはどうしても理解出来なかった。

「おい、やめとけって」

「どうせ、もう目を覚さないんだろ」

 男の最後の言葉に、力無い裕之の視線が、一瞬ギロリと力を持つ。視線に質量があったなら、今頃男の頭には穴が開いていた事だろう。

知永ちえちゃんは目を覚ますよ、絶対。だから、僕は毎日行くよ」

「お、そ、そうか」

 その視線を受けて、なお強弁できるほど男の精神は強くなかった。

 男はそれ以上何も言えず、裕之もそれ以上何も言わず。

 空気が凍る。

「す、すみませんねぇ、裕之がー」

 そこに一人の男がさらに割り込んでくる。

木村きむら……」

健太けんた……」

 割り込んできた男の名字を最初の男が、名前を裕之が呼ぶ。

「こいつ、決めたら絶対曲げないんすよ。不器用な奴なんです。まだ幼馴染が植物人間になったショックが抜けてないんですよ。もう少し時間をやってください」

 裕之に代わり健太がヘラヘラと頭を下げる。

「……いや、お、俺も言葉が悪かったよ。……裕之、俺、待ってるからな」

 男がもう一人の男と一緒に去っていく。

「いやー、朝から絡められて災難だったな、裕之」

「……助けられたな、すまん」

 一瞬、逡巡した末、裕之が健太に礼を言う。

「良いってことよ。俺達、親友だろ。そりゃ、幼馴染の橋口はしぐちさんには叶わねぇけどよ」

「……こんな僕をまだ親友と言ってくれるのか。ありがとう」

「当たり前だろ、水臭いぜ」

 ふと裕之は視線を感じて、視線を感じた方に視線を向ける。

「……」

 そこでは、確か同級生だったと思う少女がこちらを睨んでいた。

「健太、あの子、誰だっけ」

「ん? ……おいおい、橋口さん一筋とはいえ、まさか五所ごしょさんを知らないかね……」

「五所? じゃああの子が噂のマドンナ、五所 憂紀さん?」

「そうそう。ちょっとアタリがきついけど何せ見た目がべらぼうに良いからな。まぁ、何人もの男が安易に告白してそのキツさの前に心を折られたらしいけど」

「ふーん……」

 そんな人がなんでこちらを睨んでいたんだろう、と裕之は気になったが、どうせ他人の事なんて考えても分からないか、とすぐに思考を放棄する。

 何せ、裕之の脳内にあるのは、植物人間となって病院で入院している幼馴染、橋口 知永の事だけなのだから。

「聞いておいて、興味なさそうね……。ま、いいけど……」

 健太が苦笑する。

「さて、じゃ俺は先に学校行くわ。裕之もあんまりゆっくり歩きすぎて遅刻するなよー」

 そう言って、健太が去っていく。

 裕之としては学校などサボってさっさと知永の元に行きたいのだが、高校をサボると家に電話が飛ぶ。それは避けなければならなかった。

「早く帰りたいな」

 そう呟きながら、裕之は歩みを少し早めるのだった。


 そして、放課後。健太から「橋口さんによろしくなー」と見送られ、花屋で花を買って、知永の病室を訪ねる。

 北霊夏総合病院は、霊夏の北側における最大の病院の一つだ。

 南まで足を伸ばせば市立霊夏病院のようなもっと大きな病院もあるのだが、北霊夏に住む裕之や知永の家族にとってはこちらの方が通いやすい位置になる。

「ただいま、知永ちゃん。新しい花を買ってきたよ」

 新しく買ってきた切り花を花瓶に生けながら、裕之が微笑む。

「今日、居合道部の同級生から怒られたよ、戻って来いって」

 知永の手を握り、裕之が今日あった出来事を報告していく。

「知永もきっと自分のせいで僕が居合道部を辞めたって聞いたら悲しむよね。それは分かってるんだ」

 少し悲しそうに、裕之が手を握る力を少し強める。

「けど、どんな刺激が目覚めるきっかけになるかも分からない、ってお医者さんは言ったらしいじゃないか。だから、僕、毎日来ないわけにはいかなくて……」

 部活は遅くなると夜になる。そうなると面会時間に間に合わないのである。

「あら、裕之君、今日も来てたのね」

 扉を開けて一人の女性が入ってくる。

「知永のお母さん」

「あらやだ、裕之君ったら、単にお義母さんでいいのに」

「あはは、それは成人するまでに知永ちゃんの気が変わったらいけないので」

 自身なさげに裕之が言う。ただ、自分の気が変わることはないのは当然、といった意味も感じさせる。

「大丈夫よ、裕之君ほど知永を思ってくれる人なんてきっといないわ」

「ありがとうございます」

 その後、知永の母親と二、三、言葉を交わし、母親は去っていく。「裕之君に任せておけば安心ね」などと笑って。


 それから数時間後。

 気がつくと。真っ暗闇。夜だった。

「あれ、僕、寝てた?」

 面会時間はとっくに過ぎているはずだ。看護師は自分を見逃したのだろうか?

 首を傾げつつ、「じゃ、行くね」と声をかけて、知永から手を離して、裕之が立ち上がる。

【遅いけど何かあった? 知永ちゃんのところよね?】

 などとチャットアプリに母親からメッセージが届いている。

 寝てしまっていた、すぐ帰る、と返信を打ち、裕之は病室の外に出た。

「出入り口、開いてるといいけど……」

 歩き出す。

 直後、奇妙な物音を耳にする。何か、近接武器をぶつけ合うような音。

「そんなまさか、剣道試合を病室内でやってるわけでもあるまいし」

 だが、その音は近づいてくる。

 直後、正面の曲がり角から、一人のスーツの男が後ろ向きに飛び下がってくる。それに追従するように、足元が揺らめく剣道着を着て竹刀を持った男の姿。

「逃がさない!」

 そして、それを追いかけるように足元が揺らめくボクシンググローブを両手につけた半裸の男と、そして、憂紀の姿が曲がり角から現れる。

「五所……さん?」

 思わず裕之の声が漏れる。

「へ? 一般人? なんでまだ……」

 その声に憂紀が裕之の方を向き、目が会う。

「今だ、シオリ!」

 足元が揺らめく着物を着た長い黒髪の少女がスーツの男の側に出現し、青白い炎を飛ばす。

「レイコ!」

 今度は足元が揺らめく弓道着を着たポニーテールの少女が憂紀の側に出現し、弓を射る。

「な、何が起きて……」

 困惑する裕之。

「チッ、一般人を巻き添えには出来ないか」

 憂紀は裕之を庇うように、裕之に背中を向ける。

 だが、それが失策だった。

「なら……タケシ!」

 タケシと呼ばれた剣道着を着て竹刀を持った男が、一気に踏み込む。

「コウヘイ……は間に合わない、レイコ!」

 レイコと呼ばれた弓道着を着たポニーテールの少女の武器は弓。慌てて矢を番るが、タケシの方が早い。

「危ない!」

 事情はわからないが、女性に男性が襲いかかっている。それを見過ごせる裕之ではない。

 竹刀袋から竹刀を取り出し、レイコ及び憂紀とタケシの間に割り込む。

 だが、防御するように構えた裕之の竹刀は振り下ろされるタケシの竹刀をすり抜ける。

「え」

「嘘でしょ……!!」

 憂紀が悲鳴をあげるが、あまりに遅い。

 タケシの竹刀が裕之の脳天に命中する。

 その強烈な一撃は裕之の頭をスイカ割りの如く砕き、一撃の元に裕之を絶命させたのであった。

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