「うわっ!?」
――終わった。
そう思ったのは、逃げて逃げて逃げ続けた結果で、疲れきった足がもつれて全身を打ちつけるように転がった時だった。すぐ後ろからは見るからに強そうな狼型のモンスターの群れが迫ってくる。
初めてきた森に逃げ場所は無い。
どうしてこんなことになったのか。
自分が何かしたか? 最新VRMMOをプレイ開始した直後に訳の分からない状態でヤられても仕方ないと思えるほどの何かをしたのか?
むしろこんな目に遭うのはオレをひどい目に遭わせようとした奴らなんじゃないのか? なんで、なんで、なんで――――。
必死に生き残ろうとする意志とは別に怨み辛みが止まらない。
結局そんなヤツが出来たことといえば、情けなく這いずってから体を起こすところまでだ。目の前には飛びかかってきたモンスターの牙と爪が迫っており、この体勢では避けられない。
悲しさと悔しさでいっぱいになりながら、己のアバターがバラバラに砕け散る瞬間が見えた気がした。
けれど、それは妄想だった。
「え……」
一撃で真っ二つ。
無数の光の粒子になって砕け散ったのは、飛びかかってきた狼の方。
ややぬかるんだ柔らかい森の地面に着地する音がする。どこから現れたのか、オレを庇うように蒼い鎧のごつい騎士が立っていた。
「これを」
ヘルムで顔が見えない騎士がこっちを一瞥したあと、いくつかの回復薬を投げ渡してきた。どれも初心者のオレには手が届くはずもないハイレベルなアイテムで、受け取る際には絶対に落としてなるものかと大慌てだ。
「あ、ありが――」
お礼を言い終わる前に、既に騎士はモンスターの群れへと駆けだしていた。
めちゃくちゃ重そうな鎧(多分レア装備)を装備してるくせに決して遅いとは感じさせない動きに、オレは見惚れてしまう。
今プレイしている完全没入型のVRMMOにおいて、プレイヤーが自身の分身たるキャラクターを現実の身体と同じような感覚で動かせるのはゲーマーの常識ではある。しかし、誰もが現実離れした動きが可能かと言えば――レベルと能力値も関係するが――そんなわけでもない。
何より必要なのは本人の経験値と熟練度。
どんなゲームであろうが上手いプレイヤーが操作するキャラクターは素人目にも美しく、力強く、ギャラリーを魅了する。
「ハアッ!」
掛け声と同時に一瞬で複数体のモンスターを切り裂いた騎士の動きは、間違いなくハイレベルプレイヤーのソレだった。多少はゲームに慣れ親しんでいるオレではあるが、こんなに動ける人は見たことがない。
きっと、余程やりこんでいるんだろう。
オレでは歯が立たない高レベルモンスターの群れはあっという間に殲滅され、煌めく粒子に変化していた。
「……すごい」
無意識の称賛が口から零れると、オレを助けてくれた騎士がゆっくりと近づいてくる。じっと目をこらすと、文字列が見えてきた。
“ガーベラ”。
それが、蒼き鎧を纏った騎士の名前。
弱き者を救うべく降臨した救世主のヒーローネーム。
「HPは大丈夫か?」
「は、はい! あの、助けてくれてありがとうございます!」
「そうか、大丈夫ならいい。一発叩かせろ」
は???
そう訊き返す前に、これまたレア装備らしい手甲を纏った拳がオレの頬に炸裂した。より正確に言えばぶん殴られたわけだが、殴られたことに気が付いたのはオレのキャラクターが森の中を数メートルはぶっ飛んで転がった後のことだ。
「い゙、いったあああああ!!?」
なんで殴られたのかわからず、反射的に頬を抑える。
え、オレ何かした? というかさっき一発叩かせろって言ったよね? 叩くと殴るじゃ全然意味が違うじゃないか。いやいやそもそもなんで殴られたんだって話だ!
「何すんだよ!!」
「ちゃんと宣言はしたぞ」
「そういう問題じゃない! どうしてモンスターから助けてくれた人に殴られなきゃいけないんだ!!」
がしゃん、がしゃん。
昔に観た映画に登場した未来の殺人ロボットのようにゆっくり歩み寄ってくる騎士は、もう救いのヒーローから殺しの悪魔にしか見えない。
もし冷静でいたのなら、この騎士が本気でヤる気なら既にオレはヤられていると分かるはずだがそんな余裕なんてなかった。
至近距離まできた騎士が、ややこもり気味な低い声でこう言ったのだ。
「命を粗末にするヤツは嫌いなんだ。どの世界でもな」
「なんだそれ!?」
これがオレ――ニュービーであるフウヤの始まり。
ガーベラとの出会いという大切なビッグイベント。
「お約束として言っておこう。……ようこそ、女神の地平(ヴィーナス・ホライゾン)へ」
そして。
二度と忘れることのできない、新たな世界が拓けた瞬間だった。