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第26話 再び旅の空へ

 ほとんど昼食に近い朝食を終え、ルルイエは食後のお茶を口にする。

 久しぶりに惰眠をむさぼり、目覚めたのはもう昼に近い刻限だった。とはいえ、それもしかたがないだろう。本当に久方ぶりにやわらかな布団を敷きのべた寝台で、休むことができたのだから。

 ルルイエとジャクリーヌ、護衛のヘグンとラスの一行は、昨日ようやくアイラの都へと帰り着いたのだ。アイラの城には、戻った時のためにルルイエとジャクリーヌの部屋が用意されていたから、昨夜の二人はそれぞれの部屋で、ゆっくり休むことができた。その結果がこれである。


 ルルイエがお茶を飲み干したところに、ジャクリーヌがやって来た。

 ちなみにここは、彼女たちのために用意された食堂だ。

「よくお休みなれましたか?」

「ええ。ゆっくりしすぎて、この時間になってしまいました」

 問われてルルイエは苦笑と共に返す。

「たまにはいいでしょう」

 ジャクリーヌも笑って返すと、尋ねた。

「今日は、どうしますか? このままお部屋でゆっくりされるなら、お話相手ぐらいはしますが」

「そうですね……」

 うなずいて、ルルイエは自分の膝に視線を移してしばらく考え込んだあと、言った。

「悪いけれど、部屋で一人、これからのことをゆっくりと考えてみたいと思います。エーリカを出る時には、漠然とイーリスへ行こうとしか考えていませんでしたし、父のことも……こんな事実が出て来るとは、まったく思っていませんでしたから……」

「そう……ですね」

 言われて、ジャクリーヌもうなずく。

「心配してくれているのに、ごめんなさい」

「いえ」

 謝るルルイエにかぶりをふって、ジャクリーヌは立ち上がるとそこをあとにした。


 自分の部屋に戻って、ジャクリーヌは結局自分には、ルルイエの今の気持ちはわからないのかもしれない、と思った。

 彼女自身は、生まれも育ちもエーリカだ。両親も兄たちも健在で、特段秘密といったようなことも持ち合わせていない。生粋の西方世界の騎士なので、魔法を使うことはできないが、かといってそれを忌むような気持ちもない。

 聖女を敬う気持ちは当然持っていたし、だからその聖女の力が魔力と同じだと言われれば、ただそういうものかと思うだけだ。

(そういえば、もう一年になるのだな……)

 そんなことを考えていて、ジャクリーヌはふと思う。

(わたくしたちが祖国を出てから。……ルルイエが、聖女が国を追われてから)

 東方世界に入ってから、殊にアイラからの使者が来てからは、思いがけないことだらけで、いつしか国を出てからの時間を数えることなど、忘れていた。むろん、東方世界に入ってからは、故郷の父とのやりとりもできなくなっていたから、そこで何が起きているのかもわからないままだ。

 父からの最後の便りでは、王妃となった宰相の娘が聖女となったとのことだった。だが、本物の聖女から選ばれたわけではない宰相の娘が、はたしてその役目を果たせているのだろうか。

 ふとそんなことも思うが、考えても詮無いことではある。

(わたくしだけでも城の外に出て、情報を得る方がいいかもしれないな)

 つと眉間にしわを寄せ、彼女は思った。

 こうして城の中に客人として囲われていることは、快適ではあるが情報からは切り離されてしまっている。少なくとも、二人だけで旅の空にあった時のように、居酒屋や宿などで西方から来た商人や吟遊詩人の噂話に耳を傾けたり、気になることがあれば声をかけて聞き出したりといったことはできない状態だ。それとも。

(王やこの国の大臣たちは、西方世界の情報も得ているのだろうか)

 ふと思ってもみるが、それについて問いただすのもどうなのだろうか、という気もした。


 その翌日。

 昼食のあと、ルルイエが行きたい場所があると言い出した。

 なんでも、身の回りの世話をしてくれている女官の一人が、この近くにとても見晴らしのいい場所があると教えてくれたのだという。

 それは、城の東に広がる小さな平原を抜けた先にある小高い丘で、都が一望できるのだそうだ。しかも城からの遠乗りやピクニックなどにちょうど良い距離で、城に勤める者たちにとっては憩いの場所なのだという。

 話を聞いて、ジャクリーヌも興味を持った。

 そこで、二人で徒歩でそこへ向かうことにする。

 王は馬車を出すと共に護衛をつけようと言ってくれたが、ルルイエは二人だけで行きたいからと、それを断った。ただ、女官の助言で飲み物を入れた水筒と、軽食を持って行くことになり、荷物はジャクリーヌがリュックに入れて背負うことになった。


 そんなこんなでその日の午後遅く、二人は女官が教えてくれた小高い丘の上へとやって来た。

「本当に、素晴らしい眺めですね」

 丘の頂上からあたりを見回し、ジャクリーヌが声を上げる。

 女官の言葉どおり、そこからは本当に城と都が一望できた。

「ええ。それに、空がすごく近い気がします」

 言ってルルイエは、両手を広げて空をふり仰ぐ。

 頭上に広がるのは、雲一つない青空だ。

 同じように空に目を向けたあと、ジャクリーヌはルルイエを見やって微笑む。

「元気になったようで、よかったです」

「わたくし、そんなに疲れて見えましたか?」

「はい」

 問い返すルルイエにうなずいて、ジャクリーヌはリュックの中から敷物を取り出すと、その場に敷いた。ルルイエが座るのを待って、ジャクリーヌも隣に腰を下ろす。

「もちろん旅の疲れもあったのでしょうが……イーリスでのことが、存外堪えているように見えました」

 ややあって、ジャクリーヌが言った。

「かもしれません。……子供のころの記憶には、あの国で怖い思いをしたようなものは、ありませんでしたから」

 うなずいて、ルルイエは続ける。

「昨日一日、これからのことを考えてみました。この国の方々のお話では、もっと東へ行けば、魔法使いが普通に職業として受け入れられている国もあるとのことでした。ですから、他の国にも行ってみようと思うのです」

「他の国へ……ですか」

「ええ。せっかく長い旅をして東方世界に来たわけですし、だったらもっとイーリスやアイラ以外の国のことも知りたいし、行ってみたいと思うのです。それと、できればわたくしも魔法を学んで、魔法使いとして生業を立てられるようになりたいとも思います」

 尋ねるジャクリーヌに言って、ルルイエは笑う。

「東方世界では、『聖女』といっても理解されませんし、アイラ王はわたくしから強い魔力を感じるとのこと。ならば、魔法を学べばわたくしも魔法使いになれるのではないかと思うのです」

「そういえば、もっと東の方の国には、魔法使いのための学校があるのだという話も、聞きましたね」

 ジャクリーヌが、思い出したように言った。

「ええ。学校については、王様たちにお尋ねすればわかるでしょうし、もし彼らが勧めてくれる国とか学校があるなら、そちらを目指して行くというのも、悪くないと思います」

 うなずいて返すルルイエに、ジャクリーヌもうなずく。

「そうですね。……わたくしたち、どこへ行こうともどう生きようとも、自由なのですものね」

「ええ。……ですから、ジャクリーヌも自由にしていいのですよ」

 ルルイエは、つとジャクリーヌを見やって言う。

「え?」

 言われた意味がわからず、戸惑うジャクリーヌに、ルルイエは続けた。

「その……ずっとわたくしに付き添う必要はない、ということです。国外追放を命じられたのはわたくしなのですから、あなた一人だけなら国に戻ることも可能です」

「ルルイエ!」

 ジャクリーヌは驚いて、彼女を振り返る。

「今更わたくしに、国に戻れと言うのですか?」

「そうではなく、自由にしていいと言っているのです」

 言葉を継ぐルルイエに、ジャクリーヌは何か言いかけ、口をつぐんでマジマジと彼女を見やったあと、溜息をついた。

「まったく……本当に今更何を言っているのですか。わたくしは最初から、自分の意志であなたに同行したのです。自由にしろというなら、もちろんこの先もご一緒します」

「いいのですか? それで」

 尋ねるルルイエに、ジャクリーヌは大きくうなずく。

「当然ではないですか。わたくしは最初から、あなたの護衛騎士なのですよ」

「わかりました」

 それへ返して、ルルイエは幾分安堵したように微笑んだ。

「わたくしも、あなたが一緒の方がうれしいです。……これからも、よろしくお願いしますね」

「当然です」

 任せろと言いたげに、ジャクリーヌは言って胸をそらした。

 そんな彼女を見やって、ルルイエは再度微笑む。

 やがて二人は持って来た軽食を広げ、それを食べ始めた。


 食事を終え、お茶を飲み終えてつと、ルルイエは都の方へと視線を巡らせた。

 そのまま、息を飲む。

 あたりはいつの間にか夕暮れが迫っており、空は鮮やかなオレンジと黄色に染まっていた。更にその光に包まれて、都の街並みは黄金に輝いている。

 ルルイエの視線を追ったジャクリーヌもまた、声を失った。

 夕暮れ時の空と都は、きらきらと目が離せないほどまぶしく、荘厳だった。


 二人が声もなくただ見つめる間に、光はゆるやかに失われて行き、やがて夜のとばりが降りて来る。

 途端に気温が下がり、二人は思わず肩を震わせた。

「そろそろ、戻りましょうか」

 ジャクリーヌがルルイエに声をかけ、立ち上がる。

「そうですね」

 ルルイエもうなずいて、立ち上がった。

 ジャクリーヌが敷物をかたずけ、リュックを背負うと二人はそのまま丘を下り始めた。


 数日後。

 ルルイエとジャクリーヌは、アイラの城を旅立った。

 旅の目的地は、東方世界の東の端に位置する国セビーリアだ。

 そこは、リゼライエがルルイエの父の故郷だと教えてくれた国だった。また、アイラの王はその国が大魔法使いアイン・ソフ・アウルの出生地であり、東方世界で一番由緒ある魔法学校のある国だと教えてくれた。

 そこでルルイエは、セビーリアへ行って魔法学校で学ぼうと考えたのだ。

 アイラの王もそれには賛成してくれ、魔法学校の学長に紹介状を書いてくれた。

「紹介状があっても試験は受けさせられると思うが、これがあればむやみに門前払いされるようなことにはなるまいからな」

 と言って。

 アイラからセビーリアまでは、女二人が歩いて行くなら一年はかかるだろうという。

 とはいえ、特別急ぐ理由があるわけでもない。

「立ち寄る国々や町や村を楽しみながら、ゆっくりといきましょう」

「はい」

 ルルイエの言葉に、ジャクリーヌもうなずく。

 こうして二人は、東方世界を巡る旅に出たのである。

 時に、西暦1025年6月半ばのことであった――。

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