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第24話 ミリエラの選択

 ミリエラ一行は、西方世界の北西をマリーニア目指して旅した。

 隣国アデライドからリュアナとセレシアナという二つの国を経由したその先に、マリーニアはある。

 アデライドとリュアナの国境付近で、左大臣からの使者が彼女たちに追いつき、宰相の追っ手はないこと、左大臣と妻ビアトリスもマリーニアに向かうことが告げられた。

「追っ手が来ないとは、本当ですか?」

 驚くミリエラたちに、使者は詳細をしたためた左大臣からの手紙を渡す。

 そこには、宰相との会見で得られた事実が、簡潔に記されていた。

 また、手紙によれば、国を出るのは左大臣夫妻だけで、長男と次男の一家はエーリカに残って様子を見ることになったようだ。

 更に、次男が家族を置いて東方世界へ向かうことが、その手紙には書かれていた。理由は、ルルイエと共に旅立ったジャクリーヌを探すためだ。

 それを読んで、ミリエラは目を見張る。

「追放された聖女様は、生きておいでなのですか?」

「はい」

 アドニアスは、父が手紙に書いて来たということは、彼女に教えても良いということだろうと解釈し、うなずいた。

「聖女様は、私の妹ジャクリーヌを護衛に、東方世界へ向かわれました。聖女様の悪い噂が流れたおり、父上は死の危険も考え、西方世界の西に向かったと偽の情報を流し、偽物を仕立てたのです」

「なら、そちらの聖女様にお戻りいただけば……」

 自分がこんな、似合わぬ役をせずともよかったのでは――とミリエラは言いかける。

 それへアドニアスはかぶりをふった。

「聖女様ともジャクリーヌとも、連絡はつけられないのです。西方世界を出るところまでは、手紙が届いておりましたが、そのあとはなんの便りもありません。父上も、だからこそ、下の兄を行かせたのでしょう」

「そうなのですか……」

 ミリエラは、思わず肩を落とす。

 今更、聖女でなくなったところで、もう国には戻れないことは彼女にもわかっていた。マリーニアでの待遇が、おそらくそんなに悪いものではないだろうことも想像できる。

 それでも、生まれ育った国を出て、見知らぬ地でくらすことへの不安は、彼女にとっては大きなものだったのだ。

 だがそれでも、追っ手の不安がなくなったのは、良いことだった。

 そのせいもあって、彼らの足は少しだけゆっくりになった。


 アデライドを出てリュアナへ、そしてセレシアナへと移動する間にも月日は流れて行くが、ミリエラたちの体感的には、夏に向かっている心地はしなかった。

 というのも、北へ行くほど寒くなっていくため、エーリカでは真夏にあたる7月が近くなっても、セレシアナあたりは春の終わりぐらいの温かさだったからだ。

 その上、街道があるとはいえ、セレシアナからマリーニアへと向かう道は案外険しい。街道沿いにも町や村が少なくなり、野営することも多くなって行った。

「この先、野営が増えていくのでしょうか」

 久しぶりに大きな町に行き当たり、宿を取った日に、食事をしながらふとミリエラが漏らした。

 すると、アドニアスがうなずいて言った。

「むしろ、ここからが本番ですね。……この先は、山の峠道を越えることになりますから、麓に着くまで集落はありません」

「え、そうなのですか?」

 驚くミリエラに、ユーライラたち女官三人も不安げな顔を見合わせる。

「大丈夫ですよ。峠道といっても、聖女様たちの祠のおかげで、獣や盗賊なんぞが出ることはありませんし、野営なら我々は慣れておりますから、みなさんがお困りになるようなことは、起きませんよ」

 それへ副官が、幾分か得意げに言った。

「彼の言うとおりです。それに、麓に着けばマリーニアの国境はすぐそこです。あと少しの辛抱ですよ」

 アドニアスが、彼女たちを励ますように続けた。


 翌日には、一行はその町を出て、アドニアスらが言っていた山を越えるように造られた峠道を登り始めた。ここも街道が敷かれているおかげで、馬車と馬で進むことができたが、登り坂のせいだろう。馬車を引く馬の足は遅くなった。

 ゆっくりと進む馬車の中で、ミリエラは聖堂にあった書物で読んだ、街道造りの話を思い出す。

 たしか、ウルスラは山をくり抜いて麓から道を通す計画を立てたのだ。それは実行に移されたものの、途中で落盤事故が起こったりしてできなくなり、結局、昔からある峠道に石畳を敷いて街道とした、というものだ。

 読んだ時には、なんと途方もないことを……と思ったものだが、今こうして実際にその道を使ってみると、これだけでも随分とありがたいものなのだと気がつく。一方で、もしウルスラの計画どおりに道が出来ていたら、どんなだったのだろうと思うと、その発想の凄さに気が遠くなりそうだった。

(初めの聖女ウルスラ……本当に、すごい方だったのだわ……)

 ミリエラは胸に呟き、そっと両手を組み合わせてウルスラへの感謝を贈る。


 峠道は一旦登り切ると、今度は下りになる。

 馬車での移動は楽になりそうにも思えるが、馬の足が速くなりすぎないよう注意しなければならず、存外手綱を握る御者は大変なようだった。

 ちなみに、登りも下りも野営の際は全員が馬車から降りて、外で寝起きした。というのも、基本的には坂道の途中のことなので、馬車は車輪に石や木切れを噛ませて動かないようにしておく。だが、万が一のことを考えて、中で休むことは控えることになったのだ。


 そうやって、数日かけて一行は峠道を越えた。

 山中を上り下りする街道が、平らになるころ、アドニアスの言ったとおりに国境が見えて来た。

 ここでも国境には城壁などはなく、ただ関所の建物があるだけだ。

 一行が近づいて行くと、門番の騎士が厳しい顔つきで彼らを見やった。だが、アドニアスが手形を見せて、エーリカから来たと告げると、門番たちは破顔した。

「マリーニア側で、お迎えの騎士団がお待ちですよ」

 片方の門番が、そう教えてくれる。もう一方が、関所の門を開けてくれた。

 アドニアスは礼を言い、馬にまたがった。

 一行は関所の門を抜け、マリーニア側へと渡って行く。

 彼らが通った門は、セレシアナからマリーニアへの一方通行だが、平行してマリーニアからセレシアナへの門もあり、一つの建物にそれぞれ別方向にのみ進める通路が設置されている形だ。


 彼らがマリーニア側へと渡ると、そこには十人ほどの騎士たちと、それとは別に恰幅の良い老人が一人、待っていた。

「おじい様」

 その老人の姿に、アドニアスが馬を降りて歩み寄って行く。

「おお、アドニアス。久しぶりだ。大きくなったな。……そして護衛の任、ご苦労であった」

「いえ」

 老人の言葉に、アドニアスは小さくかぶりをふった。

 その間に、馬車の面々も降りて来る。全員がそろったところで、アドニアスが迎えの者たちを紹介した。

「こちらは私の祖父――母上の父である、カイローン男爵だ。そしてこちらは、男爵の孫、つまり私の従弟になる、国王騎士団第四隊第三小隊長のパリストスだ」

「わたくしは、ミリエラと申します」

 それへミリエラも名乗り、彼らは互いに挨拶を交わす。

 そのあと、少し休息しようということになり、ミリエラたちは関所の傍の別棟へと案内された。

 そこは、一種の待合所で、広々としたロビーとお茶や軽食などを注文できる売店があり、更に王侯貴族らのための小部屋などもあった。

「少し話したいことがあるのだが、良いかな?」

 ロビーに入ると男爵は、ミリエラとアドニアスを見て声をかける。

(この国に置いてもらうために、何か条件があるのだわ)

 その口ぶりに、ミリエラは直感的に思った。だが、男爵の話を聞くことも、その条件に対しても、否と言えるわけもない。もう彼女には、戻る場所はないのだから。

 アドニアスがこちらを見やるのへうなずいて、彼女は案内されるままに、用意された小部屋の一つに入った。


 そこは本当に小さな部屋で、火の入っていない暖炉と長方形のテーブル、それを囲む椅子が四つあるだけだった。

 男爵が暖炉を背にして座り、ミリエラはその向かいに、アドニアスが長辺の側に腰を下ろす。

 それを見やって、男爵が口を開いた。

「ミリエラ殿。都へ向かう前に、我が国の王からのお言葉をお伝えしておく。……王はあなたの意志を確認せよと仰られた。ゆえに、王からの伝言を聞いて、どうしたいかを、答えてほしい」

「はい」

 ミリエラが、うなずく。

 それを見て、男爵は言った。

「王はあなたに、我が国の次期聖女となってほしいと仰っている。……我が国マリーニアの現代の聖女はすでにかなりの高齢なのだ。しかし、次の聖女はいまだに発見されておらぬ。そんな中、ビアトリスからあなたをかくまってほしいとの手紙が届いたのだ。エーリカでのあなたの立場については、ビアトリスからの手紙に書かれていたので理解しているし、むろん、王も承知だ。……またもちろん、我が国では、あなたを客として大事に扱うつもりもある。ただ、次期聖女となってくれるならば、あなたをマリーニアの民として迎え、万が一にもエーリカから何事か申し出があった際にも、守ることを約束しようと、王は仰っている」

 言葉を切って、男爵は答えを促すように、ミリエラを見やる。

 一方ミリエラは、彼の申し出に軽く目を見張ったが、すぐにきつく唇を引き結んだ。

 一見するとそれは、選択肢が差し出されているように見える。けれども、結局のところ、彼女が選べる道は一つしかない。

 たとえエーリカの宰相が彼女の命までは奪おうとしないにせよ、あのような噂が立っては国に戻ることはできないし、逃げることを選んでしまった時点で、噂を認めたも同然と思う者も多いだろう。

 ならば、ここで次期聖女となってマリーニアの民として受け入れてもらった方がいいに決まっている。いかに丁重に扱われようとも、民として認められなければ、安定的なくらしはできないのではないかと、ミリエラには思えたし、不安に苛まれる日々が続くことに、自分が耐えられるとも思えなかった。

 ただ、聞いておかなければならないこともある。

「一つお聞きしてもよろしいですか?」

「なんだね?」

 男爵に問い返されて、ミリエラは言った。

「わたくしがこの国の次期聖女になる場合、わたくしと共に来た女官たちはどうなるのでしょうか。彼女たちは、もともとわたくしに聖女の行う儀式などを教えるために、故郷から城に呼び戻された者たちです。今回も、わたくしに巻き込まれるような形で共に国を出て来ました。わたくし同様に、彼女たちもこの国の民として迎えられ、王様の庇護を受けられるのでしょうか」

「それはむろんだ」

 即座に男爵はうなずく。

「我が国では、聖女は専用の館が与えられており、次期聖女もそこで共にくらすこととなる。その際には身の回りの世話をする侍女なども必要になるので、その女官たちはそのまま、あなたに仕える侍女となるだろう」

 彼の答えに、ミリエラはホッと胸をなでおろした。そして口を開く。

「わかりました。彼女たちも共にこの国の民としていただけるならば、わたくしは、王様のお言葉をお受けします。マリーニアの次期聖女となり、今の聖女様からの教えを乞いたいと思います」

 言葉と共に頭を垂れる彼女に、男爵は安堵したように相好を崩した。

「受けてくれるか。ありがたい。きっと王も、そして聖女様もお喜びになるだろう」


 男爵との会談のあと、ミリエラはユーライラと二人の女官にも、マリーニア王の申し出とそれを自分が受けたことを話した。

 それを聞いて三人は、安堵したように顔を見合わせる。そして、ユーライラが口を開いた。

「それは、ようございました。実はわたくしたちも、少し心配していたのです。この国に逃れたとはいえ、客扱いであれば、もしも宰相様が強行手段に出た時には、守ってもらえないだろうと。ですが、マリーニアの民となり、次期聖女となるのであれば、安心できます」

「ええ。どこの国も、聖女は必死で守るものですからね」

「たとえ宰相様でも、そう簡単に手は出せないでしょう」

 二人の女官もうなずいて言う。

「ありがとう。そして、ごめんなさい。あなたたちにも、いらぬ心配をさせていたのですね」

 ミリエラが返すと、三人は笑顔でかぶりをふった。

「謝ることはございませんよ。おかげで、わたくしたちも、新しい居場所ができたのですから」

 ユーライラが代表して言う。


 ともあれ、こうしてミリエラと三人の女官は、マリーニアの民として受け入れられることになったのだった。

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