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第21話 王と宰相

 王妃が死んだと聞かされた時、彼は嘘だと思った。

 産屋うぶやに男は入れないと言われて彼は、用意された近くの部屋で宰相らと共に子供が生まれるのを待っていた。

 やがて遠くから赤子の泣き声が響いて、宰相と安堵の顔を見合わせたものだ。

 だがそのあと、産屋からは何やら女たちのざわめきと悲鳴のような声が響いて来て、それからほどなく、王妃の女官長が蒼白な顔でやって来て告げたのだ。「王妃様が、お亡くなりになりました」と。

 部屋にいた男たちは皆呆然とした。

 だが、宰相は思いのほか立ち直りが早く、女官長に赤子はどうしたのかと問う余裕があった。

 それで多少おちついたのか、女官長は生まれたのが男女の双子であることと、子供たちはどちらも元気であることを告げた。ただ王妃は、出産のあと出血が止まらなくなり、意識を失ってそのまま戻らなかったのだと彼女は話した。

 それを聞いた宰相は、彼らと共にいた東方のまじない師をふり返った。

「そなた、王妃を呼び戻せるか」

「お許しいただけますならば」

 呪い師の答えに、宰相は女官長に彼を産屋に連れて行くよう命じた。女官長はうなずき、呪い師を伴って、部屋を出て行く。


 その一連のやりとりを、彼はただ呆然としたまま、どこか別の世界の出来事のように見聞きしていたものだ。そんな彼の肩を、宰相がつかんで揺さぶる。

「王、しっかりして下さい。大丈夫です。あの男がきっと、王妃を呼び戻します」

 だがその時、宰相になんと答えたのかを、彼は覚えていなかった。

 ただわかっているのは、宰相の言葉が実現しなかったということだけだ。

 呪い師は王妃を呼び戻すことはできず、彼女は永遠に帰らぬ人となった。


 王妃は彼の幼馴染だった。

 彼が三歳の時、母が亡くなり、彼は母の宮の女官たちに育てられた。

 彼の母は先王の側室で、自分で彼を育てたために、乳母というものはいなかった。

 だが、先王は側室だった彼の母をとても大切にしていて、その女官長は大貴族の奥方だった。そう、母の宮の女官長は、今の宰相の奥方だったのだ。

 その関係で、まだ子供だった王妃は宮によく出入りしていた。殊に母が亡くなったあとは、年の近い遊び相手がいる方がいいだろうと、彼女は積極的に宮へ連れて来られるようになった。


 九歳で先王だった父が亡くなり、彼は王となった。

 すると彼の周囲は一変した。

 住居は母の宮から王宮へと移り、仕える者たちも王宮の者たちへと変わった。

 周辺に侍るのは女官よりも侍従が増え、成人した男性ばかりの大臣たちに囲まれるようになった。

 そのころ大臣たちを率いていた宰相は厳しい男で、彼のことも大人と変わらない扱いをした。なので彼は、その宰相が苦手だった。

 六年前、彼が十四歳の時にその宰相が亡くなり、後を継ぐと思われていた息子も亡くなって、今の宰相がその地位に就いた。

 おかげで彼は、五年ぶりに幼馴染の彼女との再会を果たせたのだった。

 彼が幼い子供から少年へと成長していたように、彼女も美しい少女に育っていた。

 彼はたちまち彼女の虜となり、やがて相手も自分を好いてくれていると知って、天にも昇る気持ちになった。そして彼は、宰相に彼女を妻にしたいと話した。


 だが、宰相は彼の話を聞くと、少しばかり難しい顔になった。

「申し訳ありませんが、それに関しては少々お待ちいただく必要がございます」

 言って、宰相は彼が安易に妻を迎えられない事情を説明した。

 いわく、すでに彼には婚約者がいるのだと。

 前の宰相が亡くなる少し前、聖女が亡くなった。

 エーリカでは聖女は王妃となるのが習わしで、この亡くなった聖女もまた先王の王妃だった。彼女は彼の母ではないので、王妃に迎えることもできたが、年上すぎるという理由で大臣たちがそれをさせなかった。

 だが、聖女の死後に新しく聖女となったのは十七歳の少女で、年齢的にも彼と釣り合っていたため、習わしどおり王妃にという話が持ち上がったのだ。

「ですが私は、王のご意志も尊重したく、王がまだ成人していないことを理由に、婚約にとどめさせました」

 宰相は言った。

「ですので、側室とはいえ、ご成人前に王が妻を娶ることは対外的によろしくございません」

「側室? 彼女を王妃にはできないのか?」

 宰相の言葉に驚いて、彼は問い返した。

 未成年であることを理由に婚約者を待たせているのだから、今幼馴染の彼女と婚姻できないというのは理解できるが、好きな女を妃にできないという言葉の方に、彼は衝撃を受けていた。

 問われて宰相は、うなずく。

「はい。我が国エーリカでは、代々王妃は聖女と決まっております。ですから、王の妃も聖女でなくてはなりません」

 言って、宰相は続けた。

「ただ、聖女の役目は子を産むことではございませんので、側室は必要です。……先王がそうされていたように、本当に傍に置きたい女人を側室とし、その者との間に子を設け、家族として過ごされれば良いのです」

「……わかった」

 その時には彼も、宰相の話に了承し、うなずいたものだった。


 翌年、十五歳になった彼は、幼馴染の彼女を妻に迎えた。

 立場的には側室だったが、彼の中では彼女こそが正室――王妃だった。

 一方で、聖女とは相変わらず、婚約者のままだった。

 聖女となった少女とも、何度か会ったことはある。ただ、彼の中に聖女を見て響くものは、何もなかった。

 妻となった彼女は大輪のバラのように艶やかで、聖女はユリのように清楚な雰囲気を持っていた。

 王の側室は気が強そうだとか、傲慢だとかわがままだとか言う者もいた。対して聖女は大人しやかで白ユリのようだと誉めそやす者も多かった。

 だが、彼が聖女を見て胸に湧くのは「自我のない人形のようだ」という思いのみ。妻に対するような愛しさも好ましさも、胸のときめきも、何一つ湧いては来なかった。

 そしてある日とうとう、彼は宰相に告げた。

「私は、聖女を妻にはしたくない」

 最初は宰相も、困った様子だった。王妃といっても形だけのもので、先代もその前の王も聖女である王妃には手も触れようとしなかった、だからあなたもそれでいいのだと、なんとか説得しようとしていた。それでも彼が突っぱね続けると、宰相の方が折れたのだ。

「わかりました。王がそれほど言われるならば、私がなんとかいたしましょう。ですが、用意を整えるには、時間が必要です。それまであと何年か、ご辛抱いただけますか」

 何年かかかると言われて、彼は内心、まだあの聖女を婚約者として接しなければならないのかと、少しばかりうんざりとした。だが一方で、宰相がこれまでできると明言してできなかったことがないのも、彼は知っている。だから、待つしかないのだと理解した。

「わかった。だが、できるだけ早く頼むぞ」

「承知いたしました」

 うなずく彼に、宰相は頭を垂れた。


 宰相が用意ができたと告げたのは、それから四年近くが過ぎたころのことだ。

 彼は宰相に言われたとおり、聖女の役割を誤解しているふりをして、彼女を役立たずだと糾弾し、婚約を破棄して追放した。

 そのあと側室だった妻を、王妃にした。それは彼としては、もう聖女を妻にはしない、この人こそがただ一人の妻であり王妃だ、という宣言のつもりでもあった。


 聖女を追放する少し前には、妻の懐妊が判明していた。

 側室の子であっても、子供は王子もしくは王女として扱われることは、彼にもわかってはいた。なにより、彼自身がそうだったから。

 だがそれでも、子供を「王妃の産んだ子」にしてやりたいと彼は望んだ。

 まさか、その子らが大切な王妃の命を奪うことになるなどとは、これっぽっちも思わず。

 子供も彼女も、当然無事であることを少しも疑わず。


 王妃が死んだあと、彼は子を孕ませた自分自身を呪った。

 大切な大切な、なにより大切な、そしてたった一人の家族を他でもない自分が死に追いやったのだと考え、悔いて、全てから背を向けて、誰もいない空虚な部屋に閉じこもるようになった。


+ + +


 覚悟はしていた。

 娘が孕んでいるのが双子だと聞かされたおり、宰相は娘か双子、どちらかが死ぬかもしれないと理解したからだ。

 出産が、男たちが思うほど容易いものではないと、彼が知ったのはまだ二十代の若造だったころだ。

 十六で嫁いだ妹が、十七で難産の末に亡くなったのだ。孕んでいたのは双子で、しかも子供の一方も妹と共に亡くなった。

 その時、出産に立ち会っていた母から、こういうことはよくあるのだと聞かされた。

 実際に両親もそれぞれ、女の兄弟を産褥の中で亡くしていたし、宰相の妻も最初の出産のおりに一度息が止まるという事態に見舞われていた。

 とはいえ、赤子が一人であれば、宰相もそこまで思いはしなかっただろう。

 危険を伴うとはいえ、実際には何人も子供を生んでいる女はいくらもいる。彼の妻もすでに三人子がいたし、平民の女たちなど、もっと粗悪な環境で五人も六人も産む者もいるのだ。

 ただ、双子は危険だと強く思った。

 妹が孕んでいた双子は、通常の赤子一人より小さかったが、それでも出産前は驚くほど腹が膨らんでいたし、妹も辛そうだったのを今でも記憶している。

 だから彼は娘に問うたものだ。「本当に生むのか」と。

 対して彼女は、産むときっぱりと答えた。

 そのやりとりは何度かあったが、毎回彼女の答えは変わらず、そして宰相は娘か孫たちか、どちらかが死ぬかもしれないと覚悟するようになったのだ。


 覚悟していたから平気かといえば、嘘になる。

 それでも、歯を食いしばって己の役目を果たすことはできた。

 殊に、王が妃の死にすっかり腑抜けて閉じこもってしまったあとは、自分が踏ん張るしかないのだと、宰相は思ったものだ。

 娘が残した子供たちを守るため、呪い師が予言したとおり、王女を聖女に王子を王太子に任じた。むろん、対外的には王からそう命じられたのだと言って。

 それでも、大臣たちが不満と不安に彩られて行くのを、彼は肌で感じないわけには行かなかった。

 なにより、聖女が祈ることもできない赤子だということが、人々の不安を掻き立てているのだとは、彼も理解していた。

 宰相は、聖女の追放を正しいことと示すため、これまで殊更その存在に頓着しないフリを続けて来た。だが実際には、彼もまた聖女の不在に対する不安を抱えていたのだ。

 同じ西方世界の中で、同盟国が、あるいはすぐ近くの国が、聖女を失って荒れて行くのを、彼はこれまで何度も見ていたからだ。

 貴族も平民も等しく、生きて来た年月が長い者ほどそうした経験は多く、強い不安にさいなまれていることだろう。

 とはいえ、今更本物の聖女を探すこともできなかった。

 追放した聖女は亡き者としていたし、代々の聖女が次の聖女をどうやって見つけていたのかなど、常の者にはわからなかった。例の呪い師にも問うてみたものの、彼も方法を見出すことはできないようだった。


 そんな時、左大臣が聖女の代行者の話を持って来たのだ。

 聞けば、年の始めに王妃の代行で祈った女官だという。

 その女官のことは、宰相も覚えていた。外見が王妃に似ていて、後ろ盾のない者を選ばせたのは、彼自身だったから。

 政敵である左大臣の提案に乗るのは、癪ではあった。だが、他にこれという手だてがない以上、しかたがない。宰相は左大臣の持って来た話を受け入れ、その女官に「聖女代行」という他の女官よりも上の役職を与えた。


 しかししばらくして、宰相は思う。

(アレが次の聖女のことなど、気にするだろうか?)

 左大臣は彼に、女官の言葉として「王女が生まれたら、ここの書物の内容も全て伝授しなければ」と王妃が言っていたそうだと伝えたのだ。

 だが、娘がそんなことを言うとは、宰相には思えなかった。

 宰相と王は、聖女が必要な存在だと知りつつも、不要だという素振りを続けていた。けれど王妃は、本心から聖女など不要だと考えていたのだ。……というか、彼女は聖女にまったく興味がなかった。

 おそらく、年の終わりと始めの祈りに関しても、身重でなかったとしても理由をつけてやらなかっただろうと、宰相は思う。

「あんな寒い所で二日も過ごすなんて、お腹の子に何かあったら、どうするおつもりですの?」

 彼と王が儀式について告げた時、彼女は柳眉を逆立て言ったものだ。その後、医者にも反対されて、代行者を立てることになったのだが、医者も反対するよう彼女に命じられていたフシがあった。

(そういえば……)

 宰相はふと、王妃が生前、代行を務めた女官を側近女官にして礼拝堂まで従えたりしていたことを、思い出す。

(まさか……)

 聖堂で見つかった聖女関連の書物を、その女官に読み解かせていたという話も聞いていた。

 左大臣の話では、女官は王妃の死後も聖堂に籠って書物の読み解きをしていたという。そして、聖女宮へも聖堂から通わせてほしいと言われ、許可を与えた。

(まさか、その女官が、新しい聖女なのか……)

 それは、ただの直感に過ぎなかった。それでも。

(だとしても……素直に喜べる状況ではないぞ。その女官が聖女だと、発表できるわけがない)

 宰相の心は千々に乱れた。

 結局、己一人では決断できず、無駄かもしれないとは思いつつ、彼は王の居室へと足を運んだ。


 長らく顔を見ることさえできなかった王も、王妃に関係のある話だと告げて、ようやく会うことができた。

 しばらくぶりに見る王は、驚くほどにやつれ、とても二十歳の若者には見えなかった。

 その姿に、痛ましいと思いはするものの、かける言葉もなく、宰相は聖女代行の女官のことを告げた。その女官が新しい聖女なのではないかという自身の直感と、もしそうならこの先どうすべきかという問いを、王に投げかける。

「……これまでどおりで、良いではないか。その者が、本当に聖女だという確証はないのであろう?」

 王は彼の向かいに座して、俯いたまま精気のない口調で答えた。

「それは……」

 答えに詰まる宰相に、王は続ける。

「その者がもし本当に聖女だとして、私に妃として押し付けるつもりならば、そのような者はいらぬ。私の妃は、彼女だけだ。……それに、王女が聖女だというのは、そなたが連れて来た呪い師が言い出したことであろう? ならばそれこそが真実だ。違うのか?」

 言って王は、うっそりと青白い顔を上げ、異様に光るまなざしで宰相を見やった。

 その姿に、宰相は背筋が寒くなるのを覚えた。同時に、「この国はもう終わるのだ」と直感する。

「そう……でしたな。愚かなことを言いました」

 宰相は目を伏せて、謝罪の言葉を返す。


 王の元を辞去したあと、宰相は自分の取るべき道を決めた。

(女官は本物の聖女かもしれぬ。だが……もはやこの国に、聖女は不要だ……)

 胸に呟き、宰相は前を見据える。


 そのしばらくのち。エーリカ国内には、「聖女代行」が王妃を呪い殺したのだという噂が、まことしやかに流れ始めたのだった。

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