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第15話 双子の誕生と聖女

 ルルイエとジャクリーヌがアイラ国に到着したころ。

 エーリカでは、王妃が双子の赤子を産み落としていた。

 ただ、件のまじない師の予言と違っていたのは、王妃が産褥の中、死んでしまったことだった。

 そう、王妃は死んだ。

 国の内外には聖女だと喧伝され、双子のうちの次の聖女だと予言された王女を導くはずだった彼女が。


 このことで国内は騒然となったが、それに拍車をかけたのは、王の言動だった。

 王は、王妃の死は出産に立ち会った医師とその配下の者たちの過失だと断じたのだ。そして、彼らを即座に処刑するよう命じた。

 宰相は王の短気な処遇を止めようとせず、王妃の死後、王室医師団の大半が処刑される騒ぎとなった。

 しかもそのあと、王は自室に閉じこもり、いっさいの政務を行わなくなってしまったのだ。

 朝の引見などはもちろんのこと、日常の書類仕事などにも顔を出さなくなった。

 かわって宰相が、全てを取り仕切るようになった。


 その宰相の指揮の下、生まれたばかりの王子は王太子となった。

 また、王女の方は聖女に任じられ、事前に用意されていたとおり、乳母と多くの女官がつけられることとなった。

 その王女付きの女官の中には、ミリエラもいた。なぜなら、王妃が亡くなったことで、彼女に仕えていた女官は全員、王女に仕えることになったためだ。しかし。

「申し訳ございません。わたくしは、王妃様が亡くなられたことが、あまりに辛く、とても王女様にお仕えすることはできません。どうか、宿下がりさせていただきたく」

 彼女はそう王女の女官長に願い出た。

 実のところ彼女は、城を出たあと、行くところなどない。

 それでも、城にずっといて、王女の女官になるなど、危険だと考える程度の頭はあった。

 王妃は本当に、彼女に聖女の代役をさせていることを、誰にも告げていなかったらしい。父親である宰相も、知らないようだ。

 とはいえ、どこからどう事実が漏れるかは、わかったものではない。

 そして、事実がもしも宰相の知るところとなれば。

(わたくしはきっと、殺される――)

 ミリエラは、強くそう思った。

 追放された聖女が、宰相に死を賜ったのだという噂は、城内ではずっとまことしやかに囁かれていた。ましてや今は、宰相が独裁を敷いているも等しい状態だ。

 いや、たとえ王が以前と同じように政務に携わっていたとしても、以前の聖女を追放して王妃を聖女にしたのはその王なのだから、王女以外の者が聖女の役目にあるなど、許すわけがないに違いない。


 だが、彼女の願いはかなわなかった。

 女官長は「それは皆、同じこと。だがだからこそ、王妃様が命をかけて産み落とされたお子を、立派にお育てするのが、わたくしたちの役目ではありませんか。ましてや、おまえは王妃様には殊更大事にされていた者。そのご恩に報いねばなりませんよ」と言って、彼女が城から去ることを、許してくれなかったのだった。

 しかたなく、王女の女官の一人となった彼女はしかし、なんとか城を出る方法はないかと思案した。

 だが良い案は浮かばず、考えあぐねてミリエラは、同僚たちには以前した忘れ物を取りに行くと言って、聖堂を訪れ、いつもの女官に相談した。

 すると女官は、しばらく考えたあとに、言った。

「――ならば、王女様を立派な聖女にするためにも、聖堂の書物を調べなければならないのだと言って、ここへ籠ればどうですか?」

「ここへ、ですか?」

 思わず問い返すミリエラに、女官はうなずく。

「ここに入れるのは、王妃様とあなたと、ここを管理するわたくしたち三人の女官だけです。もちろん、今は聖女となられた王女様も入りたいと言えば、王様も宰相様も許可を出すでしょう。けれども、赤子の王女様がそんなことをおっしゃるはずもありませんし、側付きの女官らも、書物しかないここに出入りしたいとは、あまり思わないのではないですか?」

 言われてミリエラは、たしかにそうだと思う。

 王妃の元にいた時から、同僚の女官たちは古臭い書物には興味を示さなかった。

 なんの後ろ盾もない彼女が王妃の側近女官になったことを羨む者たちも、王妃の聖女としての仕事に付き従ったり、聖堂の書物を読んだりすることには魅力を感じていない様子だった。陰では女官たちが「いくら重用されても、わたくしならあんな仕事はごめんだわ」「古い書物を読んだり、ましてや解読なんてねぇ」と嘲笑まがいに言い合っていたことも、ミリエラは知っている。

「そうですね。……一度、女官長にそのように話してみます」

 ミリエラは、うなずいた。


 幸いなことに今度のミリエラの願いは、女官長に聞き届けられた。

 王妃が生前、「王女が生まれたら、ここの書物の内容も全て伝授しなければ」と言っていたと告げたのが、よかったのかもしれない。

 ともあれ彼女は、聖堂に居を移し、管理者の女官らの助けを得て、書物を読み解く許可を得た。

 許可をもらったその日のうちに、ミリエラはさっそく聖堂に移動し、安堵の息をついたものだ。


 実のところ、王女の周辺は充分に人手が足りていた。

 王女の世話をする女官や乳母たちは、出産前から手配されていた。

 医師の診断もあったが、予言のせいもあり、出産前から王子と王女の双子が生まれることを前提に、女官や乳母、侍従などの配置があらかじめ決められ、城で働く者たちは王妃の出産とその後の双子の養育に向けて、準備万端だったのだ。

 なので現状、王妃の女官たちまで取り込んだ王女の周辺は、逆に人手が多すぎるほどになっている。

 それでも仕える相手が成人女性ならば、朝晩の支度にもそれなりに人手を取られるし、出かけたり人に会ったりするとなれば、用意を手伝う者やら付き従う者らが必要になる。

 だが、赤子は何時間もかけて化粧したり、髪や衣類を整えるようなこともない。食事も今は乳母に乳をもらうだけなので、料理人が腕をふるう必要もないし、基本的には寝ているだけだ。むろん、夜泣きしたり、ぐずったりする時には宥めないといけないし、おしめを替えてやったりする必要はある。だがそれらは、数人がかりで行うようなことではなかった。

 なので、ミリエラ一人がいなくなっても、誰も気にする者はいなかった。

 しかも彼女は、王妃の側近となってからは、王妃宮にいない時も多かったので、よけいに誰も気にしなかった。


 こうしてミリエラは、危険を一つかわせたのだった。

 ――いや、そう思っていた。


+ + +


 王妃の死とそのあとに続く混乱に、大臣たちの多くは不安を抱えていた。

 宰相の派閥の者たちですらそれは同じで、彼らはこのまま国が荒廃して行くのではないかと、ひそかに憂慮していた。

 実のところ、宰相や王がどう思っていようとも、大臣たちをはじめとする貴族も、そして民たちも、「聖女がいなければ、国は荒廃する」という西方世界のことわりを信じて疑っていなかったのだ。

 なので、それが宰相の方便だと感じていても、王妃が聖女となった時には、誰もが安堵に胸を撫で下ろしたものだった。

 だというのに、その王妃が死んでしまった。

 予言どおり、男女の双子は生まれたものの、赤子に聖女の役割などできるはずがないことは、子供であっても理解できるだろう。

 そして実際、聖女だった王妃の死と共に、国王は医師団に厳しい制裁を行い、そのあと悲しみのあまり(と宰相は人々に告げていた)自室に閉じこもってしまった。宰相の告げたことが本当にしろ方便にしろ、国王自らが己の役目を放棄したのだ。

 王が不在の城で、宰相はさながら王のようにふるまい、自身の孫でもある双子を世継ぎと聖女に任じた。あらかじめ予言されていたこととはいえ、王が宣言するのと、臣下であるはずの宰相が任ずるのとでは、話が違う。

 だが誰も、宰相に意見できる者などいなかった。

 同派閥の者さえ、意見して何をされるかわからない今、黙って従うしかないのだ。ましてや、別派閥の者など、ただ口をつぐみ身を潜めている以外、すべはない。


 それは、左大臣も同じだった。

 ただ彼は、なんとかして新しい聖女を探し出す方法はないのだろうかと考えていた。

 そしてその手がかりは、王妃が発見したという聖堂の書物にあるのではないかとも考えた。

 王妃自身が、聖女としての在り方や儀式について知るために、書物を読み漁り、古い言葉で書かれたものは解読させていたという話は、貴族の間には流布されていることだった。また、聖堂の管理のために先々代聖女に仕えていた女官を三人、そこに住み込ませているという話も大臣たちは聞いている。

 ただ、聖堂に足を踏み入れ書物を手にできるのは、王妃だけだったとも伝えられている。

 だがそれでも。聖堂を管理している女官に会えば、何か手がかりが得られるかもしれない。左大臣は、そう考えた。

 そして彼は、4月の半ば、聖堂へと足を運んだ。


 さすがにその場で追い返されることはなかったものの、彼は聖堂の中には入れてもらえず、外の四阿あずまやで女官の一人と対峙した。

 ちなみに、彼の応対をしたのは、ミリエラと共に古い言葉の解読をしていた女官である。

 左大臣はその女官に、率直に自分がここに来た用件を話した。

「書物の内容はまだ精査中ですし、内容を聖女様以外の方にお教えすることは、許されてはおりませんので……」

 女官は困惑げに言葉を濁しながら言ったあと、尋ねた。

「それに、お気持ちはわかりますが、お生まれになった王女様が聖女に決まったのですから……新しい聖女を探すのは、王様や宰相様への反意ありということになるのでは?」

「それは……」

 左大臣は返事に詰まって、唇を噛む。だがすぐに、意を決して顔を上げた。

「それは私にもわかっている。だが、あの赤子が物心つくまで、どれほどの時が必要だ? 少なくともあと5年か6年は必要になろう。その間に国はどうなる?」

「左大臣様……」

 思いがけない荒々しい口調に、女官は軽く目を見張る。

「そなたは不安ではないのか。この先、まことにあの赤子が物心つくまで、この国が持つかどうか。いや、それ以前に、あの赤子が本当に聖女の役目を果たせるかどうかすら、怪しいのだ」

「それは……」

 言われて、今度は女官の方が言葉に詰まった。

 王妃もそうだったが、王女もまた、聖女に任じたのは「ただの人」である。

 それ以前は、現役の聖女が自ら後継ぎを見つけ、自ら教え導いて来た。そして実際に、なんの問題もなく国は豊かに在り続けて来たのだ。


 女官はしばしの逡巡ののち、口を開いた。

「実は……新しい聖女様は、すでにおいでになるのです」

「どういうことだ?」

 彼女の口ぶりに、それが赤子の王女のことではないようだと察して、左大臣は問う。

 それへ女官は思い切ったように顔を上げ、言った。

「新しい聖女様は、王妃様の女官をしていた娘で、ミリエラと申す者です。……その者は、新年の祈りの代行を務めた者で、そのおりに夢で啓示を受けたそうです。この聖堂のことも、その啓示の中にあったのだとか。その者が夢についてお話したところ、王妃様はこの先も聖女として勤めるようおっしゃったとか」

「なっ……!」

 思いがけない話に、左大臣は目を剥いた。

 ただ、女官が嘘を言っているとは思わなかった。真っ直ぐにこちらを見据えて来る目も、緊張に強張った顔も、全てが真実であることを告げていたからだ。

 それに、新年の祈りを王妃が代行者に任せたことと、それが王妃の女官の一人であったことは、彼も知っていた。

 民たちや政務に関わっていない貴族らには、それは王妃が行ったことと喧伝されていたが、大臣たちは身重でつわりのひどかった王妃が代理を立てたことを知っている。

 だがまさか、その時の代行役の女官が聖女だったとは、思いもしなかった。

「そのことを、王や宰相は……」

「ご存知ありません」

 思わず問うた彼に、女官はかぶりをふる。

「王妃様は、自らが聖女の役目を果たせないことを、誰にも知られたくなかったのではないかと思われます。ミリエラにも口止めをして、側近女官に引き上げ、聖女のお勤めの際にはかならず同行しておりました」

「だが、王妃様は亡くなられた。……その者の存在を……」

「言えばおそらく、彼女は殺されます」

 言いかける左大臣に、女官は厳しい口調で返した。

「王様は、出産に立ち会った医師団の者たちを、全て処刑されましたし、宰相様はそれを止めませんでした。それに、聖女――ルルイエ様の死は、宰相様のしたことという噂もございます。赤子とはいえ、公に認められた聖女がいる以上、あの方々はミリエラを許さないでしょう」

 彼女の言葉に、左大臣はそれはそうだろうと胸の中でうなずく。自分がその立場だったら、間違いなくそうするだろうと思えるのだ。あの宰相なら、そして聖女に価値を認めていない王なら、容易く命を奪う方を選ぶだろう。


 左大臣は小さく深呼吸して息を整え、訊いた。

「その娘、ミリエラはここにいるのだな?」

「はい」

 女官がうなずく。もはや、逡巡する様子もない。

 それへ左大臣は更に問うた。

「会わせてもらえないだろうか」

「それには即答できかねます。ミリエラ自身にも、話してみなければなりませんので」

 答える女官に、左大臣はうなずく。

「わかった。ミリエラを説得して、会ってもらえるようなら、知らせてくれ。会う方法や、日時などもそちらで決めてくれればよい。……けして、悪いようにはしない」

「承知いたしました」

 女官がうなずき、頭を垂れる。

 それを見やって、左大臣は立ち上がった。四阿を出て、歩き出す。

 聖堂の門の外に出て、彼は深い溜息をついた。

(もしも、新しい聖女が私と会ってくれるなら――)

 その時は、戦いの始まりだ、と彼は思う。

 国の平安と、聖女のいる安寧と実りを取り戻すための戦の始まりだ――と。

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