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第13話 アイラからの使者

 年が明けてほどなく、この付近には珍しく積雪があった。

 街道もすっかり雪におおわれ、雪かきをしても道が凍って危険なので、しばらくは行き来できないだろう状態になった。

 そんなわけでルルイエとジャクリーヌは、新年を過ごした街の宿で、足止めされている。


 そんなある日、同じように西方世界から来て同じ宿に逗留していた商人の一人が言った。

「あんたら、イーリスに行くのはやめた方がいいぞ」

 どうやら、宿の者にでも二人の目的地を聞いたらしい。

「どうしてだ?」

 尋ねたのは、ジャクリーヌの方だった。

「あそこはこの何年か、ろくな噂を聞かないんだ」

 言って、商人が教えてくれたのは、イーリスの良くない噂の数々だった。

 いわく、数年前の戦争で負けて以来、イーリスへの入国はことさら厳しくなったのだという。

 関税が戦争前の何倍にも跳ね上がったのはもちろんのこと、国境を守る兵士らの性質が盗賊並みに悪くなったのだそうだ。

 旅人は、たいていが税以外に持ち物の中の最も高価なものを差し出すよう要求される。隊商などは商品を巻き上げられることも多かったし、女がいれば当然のように置いて行くことを要求された。

「……男が大勢いるような隊商でさえそれだ。女二人だけだとか、それこそ餌食にしてくれと言わんばかりだぞ」

 商人は、最後にそう話を締めくくる。

 それを聞いて、ルルイエとジャクリーヌは思わず顔を見合わせた。


 自分たちの部屋に戻って、ジャクリーヌはルルイエに問う。

「もう少し噂を集めてみますが……どうしますか?」

「そうですね。わたくしとしては、自分の生まれた国なので行ってみたかったのですが……」

 考え込みながら言ったあと、ルルイエは顔を上げた。

「どちらにしても、イーリスまでまだかなり距離がありますし、他の街でも情報を集め、それから決めても遅くはないでしょう」

「はい」

 うなずいたあと、ふとジャクリーヌは思いついて訊いた。

「イーリスに、誰か血縁の方などはいないのですか?」

「おそらく、いないのではないかと思います。母や先代様から聞いたことはありませんし……」

 ルルイエは、かぶりをふって返す。

 実のところ彼女は、自分自身の身の上や係累について、詳しく知らなかった。

 母も伯母も、それについて何も語らなかったし、母と共にあったころのルルイエは幼すぎて、何か聞いていたとしても覚えていられる年齢ではなかったのだ。

 だが、今ジャクリーヌに問われて、彼女は改めて考える。

(そういえば、わたくしの父というのはどういう人だったのかしら)

 彼女の中に、父の記憶はほとんどない。

 ぼんやりとした男の姿と、あたたかな腕のぬくもりが、ふと脳裏をかすめる程度のものだ。

 同時に彼女は思う。

(母はなぜ、わたくしを連れて西方世界へ渡ったのだろう……)

 若い女と子供の旅が、安全なはずがないことは、今の彼女にもよくわかる。

 しかも行く先は、いくら伯母がいるとはいえ、風習も何もかもが違う西方世界なのだ。

(何か、国にいられない理由でもあった……?)

 ふいに思い当って、彼女は小さく目を見張る。

 国を出てからもう十年以上が過ぎているとはいえ、もしそうなら、イーリスに戻るのは危険かもしれないと今更思った。

(あの商人の話は警告? 文字どおり、わたくしにイーリスへ行くなという……)

 胸に呟き、彼女は胸の前で小さく両手を握りしめた。


 数日後、ようやく街道の雪が溶けて来て、行き来できそうだという知らせが、宿に届いた。

 ならば、明日にはそろそろ宿を出ようかと、二人が相談していた時。

 宿の者が、部屋へ二人を呼びに来た。アイラ国の使者を名乗る者が、二人に会いたいと言っているのだと。

 アイラ国は、イーリスよりかなり北東に位置する国だ。

 もちろん、二人には知り合いなどもいないし、エーリカと特に親しい国でもない。

 彼女たちは、思わず顔を見合わせた。


 階下へ降りて行くと、そちらの居酒屋部分はちょうど客が少ない時間帯で、二人は宿の者に一番奥にあるテーブルへと案内された。

 そこには、黄色味を帯びた肌に黒い髪と黒い目の長身の男が二人、座していた。

 どちらも地味な旅装束だが、頭には白いターバンを巻いている。

 男たちは、二人の姿に、慌てて立ち上がった。

「お初にお目にかかります。私はアイラ国騎士団第一大隊の隊長を務めるヘグンと申します。こちらは、副官のラスです」

 片方の男が名乗り、もう一人を紹介する。

 それへジャクリーヌも警戒気味に名乗ってから、ルルイエを紹介した。

 そして、尋ねる。

「それで、わたくしたちにどのようなご用件でしょうか」

「その……私たちは、お二人を我が国に招待するための使者として参りました」

 ヘグンと名乗った男は言うと、長い話になるのでと二人に椅子を勧めた。

 ジャクリーヌとルルイエは思わず顔を見合わせたものの、互いにうなずき、椅子に腰を下ろす。

 それを見やって、男たち二人も、最初に座していた席へと座った。

 そして、ヘグンが話し始める。


 彼の話は、長く、そして不思議なものだった。


+ + +


 アイラ国は東方世界の北東に、細長い国土を持っています。

 その北端はイーリス国の北側と接しており、はるか昔から国境では小競り合いが続いていました。

 東方世界は魔法が支配していますが、魔法を尊び魔法使いを尊崇するのは東側が多く、西へ行くほど魔法を忌み嫌い、魔法使いを邪悪なものと考えます。

 イーリスは殊にそうした傾向が強く、以前は魔力を持つ者たちは隔離され、奴隷にされたり火刑に処されたりしたと聞き及びます。

 一方我が国は、千年以上前から魔法と魔法使いを至高のものと考えて来ました。

 というのも、我が国の王家の始祖は大魔法使いアイン・ソフ・アウルの弟子の一人であり、王は国で最も優れた魔法使いだったからです。

 イーリスとの仲が今一つだったのは、そうした理由もありました。


 数年前、東方世界では大きな戦争がありました。

 長年犬猿の仲だった大国、ジューンとミラルカがとうとう戦争を始め、それに引きずられるように、それぞれの友好国や同盟国が参戦して、東方世界全体を巻き込む戦となったのです。

 我が国アイラは、もともと同盟国だったこともあり、ジューンの側につきました。その際に、国境から攻め込まれては困ると、イーリスとも同盟を結び、味方に引き込むことにしたのです。

 同盟の際、双方の国は「友好の使者」という名目で人質を送り合いました。

 あちらからは、王の末の王子がやって来て、こちらからは王の末の姫スラヴェナ様が送られました。

 ところが、戦の途中でイーリスは我々を裏切り、突如ミラルカ側に寝返ったのです。

 我が国では、イーリスの末王子を交渉の材料にして、せめてスラヴェナ様を取り戻そうとしました。ですが、交渉の用意をしている途中で、その末王子が偽物であることが判明したのです。

 万事休すかと思われましたが、騎士の中に勇猛で機智にも富んだ者がおり、なんとかスラヴェナ様を取り戻すことに成功しました。

 ですが――スラヴェナ様は、魂を失っておられました。


 取り戻したスラヴェナ様は、意識を失ったまま、誰の呼びかけにも目を覚ますことはありませんでした。

 そして、その状態のスラヴェナ様をご覧になった王は、おっしゃったのです。

「スラヴェナの魂は、どこかに封じられてしまったようだ」

 と。

 それは、魔法使いの間でも禁忌の魔法の一つであるそうです。

 人を魂と肉体に分け、魂だけを封じてしまう方法だとか。

 魂を封じられた者は、意識を失ったような状態になります。

 だけでなく、他の魂を入れて、別人の体とすることもできるそうなのです。

 また、魂の方も別の器に入れて動かしたり、呪術のにえとして使うこともできるとか。

 ともあれ、普通の状態で人質に取られているよりも、ずっと恐ろしい状態なのだそうです。

 とはいえ、我らの王は国一番の魔法使いでもありましたので、スラヴェナ様の肉体に他の魂が入らないよう封印を施しました。また、体が時と共に老いたり朽ちたりしないよう、時止めの魔法も施しました。

 そして私たちは、長い間、スラヴェナ様の魂を探し続けました。

 むろんそれは、主に魔法使いたちの仕事ではありました。

 ですが私たち魔法を知らぬ者も、できる限り情報を集めました。

 戦争の間も、終わったあとも、です。


 幸い戦争はジューン側の勝利に終わりました。

 我が国も勝ち組として、さまざまな栄誉に授かりました。

 対してイーリスは負け組となり、我が国は戦勝国としてイーリスにスラヴェナ様の魂を返すよう勧告しました。ですがあちらはそれに応じず……我らは国を挙げて、姫様の魂を探すこととなったのです。


 魂が封じられているのは、おそらく現実の場所ではないだろうと王は言われました。

 ただ、現実の場所に扉が開かれている可能性はある、とも。

 そんな中、旅人が時おり遭遇する「呪われた村」の噂が立ちました。

 我々は噂をひたすら集め、実際に遭遇した旅人らにも話を聞き、特定した場所には魔法使いと共に出向きました。

 ですが、姫様の魂を封じた場所を見つけることは、長い間できませんでした。


 それが、つい先ごろのことです。

 突然、スラヴェナ様が目覚めました。

 王も王妃様も、そして我々も、この奇跡に喝采を叫びました。

 そして、目覚めたスラヴェナ様がおっしゃいました。

「わたくしは、ただ光の満ちた場所で『覚めないで』『甘えていて』という声を聞きながら、眠り続けていました。その声に、縛られていたと言ってもいいでしょう。ですがあの時、それとは別の明るく澄んだ声が聞こえたのです。西の世界から来た聖女様が、開封の呪文を唱えて下さったのです。それでわたくしは解放され、皆の元に戻ることができたのです」

 と。


+ + +


 話を聞き終え、ルルイエとジャクリーヌは思わず顔を見合わせた。

「まさか、あの時の……」

 ルルイエが、小さく呟く。

 呪われた村の噂にも、そしてそこにいた少女にも、二人は覚えがあったからだ。

 奇妙な出来事だとは思っていたが、まさかそれに、そんな事情があるとは彼女たちは思ってもみなかったのだ。

 それと、不思議なことはまだある。

 目覚めた王女がルルイエを聖女だと知っていたことと、目の前の男二人が旅の女二人のうちの一人を聖女と判別し、こうして会いに来られたことだ。

 それについてルルイエが尋ねると、ヘグンが言った。

「スラヴェナ様も、強い魔力をお持ちですから。……そして、お二人のことについては、王が魔法で場所を示して下さいました」

「魔法とは、なんとも便利なものなのだな」

 いささかうろんな顔で、ジャクリーヌが返す。

「西方の方々にはそのように思われるかもしれませんが、これは王や姫様の魔力が強いがゆえにできることです」

 それへ笑って言うと、ヘグンは続けた。

「……ともあれ、そのようなわけで、我々はお二人にとても感謝しております。それでぜひにも我が国にお越しいただき、我らの感謝の気持ちを受け取っていただきたいのです」

 それを聞いてルルイエは、尋ねるようにジャクリーヌをふり返る。

 ジャクリーヌは、少し考えて言った。

「急ぐ旅ではありませんし、ご招待に応じても良いのでは? イーリスとも因縁のある国のようですから、あちらのことも教えていただけるでしょうし」

「そうですね。わかりました」

 うなずき返すと、ルルイエはヘグンたちに視線を巡らせる。

「ご招待、お受けします」

「ありがとうございます」

 彼女の答えに、ヘグンとラスはホッとしたように顔を見合わせ、笑った。


 翌日の午後。

 ルルイエとジャクリーヌはヘグンたちがあつらえた馬車に乗り、二人の馬に左右を守られて、街道をアイラ国へと向かったのだった。

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