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第7話 交易都市ミルカ

 橋を渡って一日、ルルイエとジャクリーヌは、交易都市ミルカへと到着した。

 巨大な門をくぐった先に現れたのは、舗装された広々とした通りと、色とりどりのレンガで組み上げられた建物たちだ。

 そこが「東方世界への玄関口」と呼ばれるのもどおり。

 そもそも街そのものが、西方世界とはまったく違っていた。

 何より、目に映るもの全てが色鮮やかだ。

 建物自体もだが、窓や扉には、赤や青や緑の垂れ幕が掛けられている。

 また、通りに沿って並ぶ屋台にも、瑞々しく色鮮やかな野菜や果物、花や磨かれた石などが並んでいた。

 しかも、通りには人があふれている。

 その人々も、東方人とおぼしい者たちは、鮮やかな色の布をまとっていて、これまた周囲の彩りに花を添えている。

 そんな通りの賑やかさの中を、更にどこからか、楽の音が流れて来るのだ。

 それも、一つや二つではない。弦楽器、打楽器、そして歌声。

 それらが人々の話し声と周囲の熱気と混ざり合い、不思議な音と化して通りを包んでいる。

「すごいな……」

 ジャクリーヌは、圧倒されたように呟いて、少しだけ心配そうにルルイエを見やった。

 対してルルイエの方は、好奇心に目を輝かせ、頬を紅潮させて、周囲を見回している。


 やがて、通りのはずれにある宿におちついて、ルルイエは笑った。

「街に入って、子供のころのことを思い出しました」

「子供のころのこと、ですか?」

「ええ。母と、西方世界へ向かう途中のことです」

 ジャクリーヌに問い返されて、彼女はうなずく。

「子供だったわたくしにとって、この街は、まるでおもちゃ箱のように映ったのです。ここに滞在したのは一日だけでしたけれど、わたくし、とても立ち去り難く感じました」

「でしたら、ここでは何日か逗留しましょうか。急ぐ旅でもないですし、東方世界について情報を仕入れる必要もありますから」

 ジャクリーヌが、それを聞いて言った。

「そうですね」

 ルルイエもうなずく。


 その夜。

 ルルイエとジャクリーヌは、宿の近くの酒場で食事をした。

 二人が泊まった宿は、めずらしく食事処のない宿泊のみの場所だったのだ。

 二人が食事を終えるころには、店は客で一杯になっていて、誰かがアコーディオンを弾き始めると、たちまち他にも、ハーモニカやらシタールやらを取り出す者が出た。更に、それに合わせて歌う者、踊る者が出始めると、もはや酒場は何かの祭りのようなありさまになる。

 二人が目を丸くしていると、酒場の主は笑って言った。

「このあたりじゃ、毎晩これが当たり前の光景でね。ウチだけじゃなく、街中の酒場で似たような状態だと思いますぜ」

「そ、そうなのか……」

 わずかに笑顔を引きつらせて、ジャクリーヌはうなずく。

 店主はそんな彼女に、酒を勧めて来た。

「いや、わたくしは……」

「いただきます」

 断ろうとする彼女を遮って、ルルイエが店主に声をかける。

「お勧めのお酒は、ありますか?」

「それなら――」

 店主は、東方産のエールを勧めた。

 そこで二人はそれをもらうことにする。

 持って来られたエールは、とてもさわやかで、美味しかった。

 二人は勧められるままに杯を重ね、その場の騒々しくも賑やかな雰囲気に浸った。


 いつの間に眠ってしまったのだろうか。

 ジャクリーヌはふと気づくと、テーブルの上に突っ伏していた。

 身を起こすと、向かいではルルイエが同じようにテーブルの上に突っ伏しているのが見えた。

 あたりを見回せば、客の数はずいぶんと減っていたものの、残っている者たちは同じようにテーブルに突っ伏したり、椅子にもたれたりして眠っている。中には、床に座り込んでしまっている者もいた。

(やれやれ……)

 小さく苦笑して立ち上がり、ジャクリーヌはルルイエを起こそうとする。が、その幸せそうな寝顔に、もう少し寝かしておくかと思い返した。宿までぐらいなら、自分一人で彼女を背負って行くことも可能だ。ならば、起こす必要もないだろうとも考える。

 そのまま彼女は、外の空気を吸おうと、酒場から通りへと出て行った。

 酒場は通りからは短い階段を降りた場所にあり、扉をくぐった彼女は、階段を登って行く。

 通りは、昼間の喧騒が嘘のように静かで、人の姿もなかった。

 ジャクリーヌは、ふと空を振り仰ぐ。そこには、わずかに端が欠けただけの月があった。

 通りに一定間隔で灯されていた明かりも、そして沿道の屋台や店の灯りも、すでに消えている。それでも明るいのは、この月の光のせいだろう。

(こんなに明るい月を見るのも、久しぶりだな)

 ジャクリーヌはふと胸に呟いた。

 と、背後から近づく気配に気づいて、彼女はふり返る。

「ルルイエ」

 やって来たのは、ルルイエだった。

 彼女はなぜか、靴を履いていない。それどころか、靴下も脱いでしまって、素足だ。

「どうしました? その足」

「昔、この街に来た時のことを、思い出しました。……アコーディオン引きのおじいさんに、踊ってごらんって言われて、素足になって踊ったのです」

 問われて言うと、ルルイエは階段を登りきり、くすくすと笑いながら誰もいない通りに走り出た。

 そんな彼女を見送って、ジャクリーヌはまだ酔っているのだろうとふと思う。

 とはいえ、他に人はおらず、ルルイエの好きにさせても大丈夫だろうと、ジャクリーヌは動かなかった。


 その目の前で、通りに走り出たルルイエは、素足のまま踊り出す。

 ふわりふわりとひるがえる長い黒髪は、月光の下では時おり銀色に見えた。

 天に向かって伸ばされる白い腕が、ひらめくはだしの足が、月の光に水の下の魚の尾びれのようにも見える。

 その姿は、まさしく聖女とも、かりそめにこの場に出現しただけの精霊とも見えて、ジャクリーヌはしばし目を奪われ、ただその場に立ち尽くした。

 だが、ふいにあたりが闇に包まれた。

 驚いて空を見上げれば、いつの間にか雲が出て、月はそれにすっかりと隠されてしまっている。

 そして、まるでそれが合図だったかのように。酒場の扉が開いて、酔いつぶれ、眠りこけていた客たちが、何人かこちらに上がって来ようとしているのが、ぼんやりと見て取れた。

「どうやら、時間切れですね」

 近くで聞こえた声にふり返れば、ルルイエがすぐ傍に来ていた。

「そのようですね」

 うなずいて、ジャクリーヌは問う。

「靴と靴下は、どうしました?」

「あ……」

 ルルイエは思い出したように小さく声を上げ、「酒場の中です」と返して、階段の方へと駆け出した。

 そのころには、月は再び雲間から顔を出し、あたりは明るさを取り戻していた。

 登って来る酔客たちとすれ違いながら、店内に戻るルルイエを苦笑と共に見やって、ジャクリーヌもゆっくりと階段を降り始める。とりあえず、店主を起こして飲食代を払ってやらねばなるまいと思いながら。


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