十五歳の誕生日で王の適性がないと知ったジェラルド兄様は、絶望と共に公務に縛られないことに安堵していた気がする。でも、もし少しでも政治に興味があるのなら──。
「数学しか興味のない私に、宰相なんて大役が務まるとは思っていないよ」
「そんなことないです。頭の回転が速いですし、兄様の計算式は今後ダイヤ王国にとって貴重なものとなりますわ! 優良人材です!」
「そう……かな?」
ジェラルド兄様は眉を八の字にして困ったといった顔で微苦笑する。
「私はいてもいなくても、この国にとって意味などな──」
「意味はあります!」
思わず叫んだ。
十二回繰り返された時間軸で、私は兄様の才能の片鱗を傍で見てきたのだ。だからあの兄様の才能を馬鹿にすることは兄様自身でも許さない。
十二回目の時、兄様は宰相補佐として政治に関わっていた。「もっと早い段階で関わっていたら」と、戦争が起こったときに嘆いていた兄様を私は忘れていない。
兄様の最期を思いだしてグッと涙を堪えた。
「ソフィ?」
「たとえば感染対策による数理シミュレーションだと、人一人が何人に感染するかなどの指数関数というのを理解しているかどうかで、国としてどのように対応するかの指針を早めに決めることが出来ます。また他国で飢饉に陥った時に、人口数に対しての一日平均でどれだけの食料援助が必要か、その運搬の距離や時間なども数学に明るい者がいるかいないかで、全然違います! ジェラルド兄様ならこの問題の意味が分かるでしょう!」
「y ・ ax で表される関数を、ソフィは理解しているのかい?」
「え、あ、はい?」
まったく分からないけれど、頷いてしまった。
どっと冷や汗が噴き出す。
(どういう計算式かとか聞かれたら絶対に答えられない!)
「さすがソフィだ。着眼点がすごい。これはすごいことだよ!」
十二歳の子供がわかるはずのない知識だが、ここはジェラルド兄様を味方に引き入れるためにも知っている風で通すことにした。
(y ・ axってなんなのか全くわからなかったけれど、兄様の表情が明るくなってよかったわ!)
「
「ん?」
今「八歳」という単語が聞こえたのだが、空耳だろうか。
「ああ、王になれなくとも宰相という形で
「え、あの……兄様?」
兄様はなんだか変なスイッチが入ってしまったようで、悪そうな笑みを浮かべている。生き生きとしているのは嬉しいのだが、ちょっぴり心配だ。
「ありがとう、ソフィ。これで明日、誕生日パーティーで堂々とできる」
(誕生日パーティー? 堂々とできる……?)
「これで私に王位継承権がなくても、父上や母上、ソフィの役に立てるな」
「兄様」
ジェラルド兄様の言葉に、心臓の鼓動が早まる。
私が今まで巻き戻った時間は一五〇五年七月、私の十八歳の誕生日だ。
同日、女王に即位し、その年の十二月に婚約破棄と四か国同盟が白紙になる。巻き戻ってもたった一年――いや数か月では、婚約破棄や他国との信頼関係を回復することは難しかった。
(最初は十二歳だと思っていたけれど、六年じゃなくて、十年も巻き戻っていた?)
ごくりと緊張が走る。
本当に十年前なのか、確かめなければならない。私はあどけない子供っぽさを出しながら、兄様の年齢を尋ねることで確証を得ることにした。
「兄様は、明日で何歳になられるのですか?」
「明日で十五歳だよ。こんな私でも祝ってくれるかい?」
「! ……もちろんですわ」
考えるまでもない。すんなりと言葉が出てきた。
「私にとってジェラルド兄様は大好きな家族ですもの! 兄様は凄くて素晴らしい方だと明日の誕生日パーティーでみせつけましょう!」
「ソフィ! ああ、お前は私の未来を明るく照らす可愛い、天使だよ」
現状を冷静に整理する。
ジェラルド兄様が十五歳。
つまり今の私は八歳であり、
(兄様。……今まで女王として不甲斐ないばかりに父様や母様、兄様に迷惑をかけてしまった分、この時間軸では絶対に同じ末路にはさせない!)
十二回の
最後の最後まで私を擁護し、私の目の前で死んでいった。
ダイヤ王国の滅亡が迫る中、兄様は「私が妹を支えていたら!」と泣いて詫びたのだ。恨まれても仕方ないと思っていたのに。しかし幸いにも、この時間軸で兄様を宰相にするという指針を指し示すことが出来たのは僥倖と言える。
子供の口約束でも、今は言葉にして言質を取っておきたい。
「ジェラルド兄様、私が女王になったら宰相としてしっかり支えてくださいね! お兄様なら四か国随一の宰相になりますわ!」
「ああ。もちろんだとも!」
(これで国の強化はもちろん、情報収集がはかどるはず! 一歩前進だわ)
もはや女王だから一人で何でもやろう、という矜持はゴミ箱にポイした。そんなのよりもどうやって生き残るかだ。
(十三回も繰り返してやっとこの結論に辿り着くなんて、本当に私は女王に向いてないわ)
「……ソフィは私が王に就けば、自分が自由になるって思わないのかい?」
「ジェラルド兄様……」
私だって女王にならなくていいのなら、なりたくない。
自由でのんびり静かに暮らしたい。
けれどその筋書きは用意されていないのだ。
「王なんて面倒で、好きなことができない貧乏くじだよ。なにより他国との面倒ごとも処理しなきゃならないし、他国の王族貴族たちの悪意ある言葉で傷つくことも増える。だから、ソフィにはそんなつらい役割を担わせたくなかった」
悔やむような声に、涙がにじむ。
ジェラルド様がそんなことを考えていたなんて、全く知らなかった。
「兄様は……てっきり私の事を嫌っている、恨んでいると思っていました」
「そんなことは無い! ソフィは純真無垢で、お人好し過ぎる。今だってハート皇国の早馬が火急の件で面会を求めて一悶着起きているのだ。それを今後、ソフィが玉座に着いたら上手くできるか──だから宰相の道はずっと考えていたのだけれど、踏ん切りがつかなかった」
(ハート皇国からの早馬ってなに!?)