「……それが何処か、なんてことはどうでもいいですけどね。とにかく彼女とワタシは、物心ついた時には一緒にいました。お互い親の顔も見たことない訳です。だからそういうところに居た。そういうところで、ワタシはそれこそきょうだいのように育ったんですが」
施設か何か、ということだろうか。だけど日本のそれすら想像のしにくい俺には、「海を越えた国」のそれなど予想がつかない。
「……でワタシは、……まあ、十くらいですかね。この国のある家に引き取られたんですがね。あいにくとても頭が良かったものですから。おまけにそれなりに上手く血が混じってるせいか、整ってたりするでしょ。上手く育てばいい駒になると踏んだんでしょうね。仕方ないと思いましたよ。だけど仕方ない人が一人」
「タキノ?」
「そう。彼女はどうしてもワタシと離れたがらない。ワタシも嫌でした。彼女を残して海を越えるなんて、嫌だった。何がその先あるのか判らない。一人でそんな、ワタシの才能だけを担保のように引き取る連中の中でやっていけるとは思わなかった。ワタシ達は必死で訴えたんですよ。もう一人くらい簡単に養えるだろう、と。確かにそうでしたね。それは簡単なことだった。それに、彼女も彼女で、上手く血が混じっていた」
「綺麗になるって?」
「綺麗でしょう?彼女は」
俺はうなづいた。確かに、可愛いだけではない。
「彼女も引き取られました。ただ彼女とワタシはそうそう会うことはできなかった。何か別の勉強をさせられている、それは知っていたんですよ。だけどそれが何なのか、さっぱり判らない。会えることは滅多にない。一週間とか二週間に一度、会えればいいところでした。だけど全く会えないよりは、よっぽどいい。最も、決して居心地のいい所ではないですよ。そこには、勉強とか時事問題とか、生存のための訓練とか以外に無駄なものが一切なかったですから」
ゲームが苦手な、奴の姿。
「ところが引き取られて、五年かそこら経った頃ですかね。ワタシは何故か別の海の向こうの国へ留学を命じられましたよ。ここでは埒が空かないから、と」
命じられた。仕事か何かのように奴は言う。
「首尾良く早く向こうの命ずる学位を取って帰れば、彼女と一緒に居る時間を確保できる、と向こうは言った。だからワタシはそれにうなづいたんです。それで未来が開けると思った。……ただ、ワタシは、その前に、一つその未来のために背を押してくれるものが欲しかった」
「彼女から?」
「ええ」
奴はうなづく。
「彼女は幾つに見えます? カナイ君」
「俺と同じくらい? もしくは一つ下くらい……」
「あれは、ワタシと同じですよ。キミより幾つか上」
嘘だろ、と俺は思わず返していた。
「嘘じゃないです」
見た訳ではない。だけど触れたから、俺は覚えている。あの発育未然のような身体。高校生ぎりぎりにしか感じられない、華奢な、細い腕。
「発つ前に、ワタシは彼女と初めてしたんです。ワタシも、彼女も初めてだった。仕方もよく判らないくらいに。だけど、初めてだということは、何の言い訳にもならない……」
奴は語尾をぼかす。
「ワタシは普通の倍以上のスピードで、何とか向こうの言うとおりに、学位を取って戻ってきました。そして向こうは確かに、ワタシにある程度の、彼女との自由を与えた。こうやって、高校生の格好で」
「……」
「だけど、そうして戻ってきて最初に、彼女の身体を開いた時に、そこには傷跡があったんですよ」
「傷跡?」
「避妊手術」
俺は自分の背から血が引く感触を覚えた。
「……な…… んだって?」
「ワタシが行ってから、彼女は妊娠してたことが判ったんですよ。一回だ、初めてなんてのは言い訳にならない。彼女に反抗できる訳がない。ワタシ達は、向こうによって『生かされて』いたんですから。ワタシがあの場に居たところで、何もできなかったのは目に見えてる。……彼女から芽を詰んだついでに、飼っている者が下手にさからないように、と眠らされていた彼女から卵が出ないようにしてしまったんですよ」
さらり、と奴は言う。だが。それって。
「……おい…… それって…… 猫じゃあるまいし…… 何だよ」
「猫じゃない…… でも、向こうには、同じですよ。彼女は」
「……おい」
「彼女が仕込まれていたのは、ワタシとは違う部分でした。要は、『プレゼント』にされる女。それだったらいくらあっても困るもんじゃない。下手に子供なんか作られたら何回も使い回しはできない。そう踏んだんでしょうね」
「そう踏んだって…… お前……」
「だってカナイ君、ワタシに、何ができます?!」
奴はこちらを向き、声を荒げた。俺は思わず身体をすくめた。奴が怒鳴るのは、初めてだった。
「彼女は『プレゼント』先が決められていた。その日が近づいたら、彼女にその連絡は行くのだ、と彼女は言っていた。だからワタシ達は、もう一分一秒を惜しんだんですよ。ワタシは彼女が居たから、何処ででも何とかやってこれた。海の向こうでも、彼女が待っていると思ったから、冗談じゃない程の知識を叩き込むこともできた。彼女もそうだった。ワタシが帰ってくると思っていたから、自分にされた処置も、何とか精神を壊さずに耐えられることができた。ワタシ達は、お互いが居るということだけを頼りに、今まで生きてきたんです。……カナイ君、ワタシの言葉って、変だと思ったことないですか?」
「間違ってはいないけど、何処の出身か、さっぱり判らないって気はする」
マキノだって、西の方の人間だということが、うっすらと判る。言葉は結構、人の出身地を露骨に物語るものだ。
「……つまりは、お前は、この国の何処の人間でもなかったから、というんだな」
「ええ」
「あん時タキノと話していた早口の言葉が、お前らの故郷?」
「ええ」
曖昧な発音が、多かった。跳ねる発音が多かった。だけど何処の言葉だか俺にはさっぱり判らなかった。
「それで、タキノに、連絡が来てしまった?」
「ええ」
奴はゆっくりとうなづいた。
「……一緒に逃げるとかは」
「この国で、それは無理です。それは彼女もワタシも知っていた。……だから、ワタシ達は、この一ヶ月、ずっと一緒に居たんですよ。本当に、離れたくなかった。離したく、なかった。だけど、できない」
「……でも……」
「カナイ君、何をどうあがいたって、今この場では、どうにもならないことってのが、あるんですよ。今のワタシ達には、何の力も無い。この国では、ワタシ達は向こうに対して、反抗できる程のひとかけらの力もないんですよ。ひたすら無力。どうにもならない程、無力」
絶望的に、無力だと。俺は唇をかんだ。
「だから、ワタシ達は決めたんですよ」
「決めた?」
「ワタシは力を手に入れる。彼女は何があっても生きる、と」
「彼女に待っててくれ、とまた言ったのか?」
いいえ、と奴は首を横に振った。
「もしも『プレゼント』された先で、彼女が幸せになれる気配がありそうだったら、そうしてくれ、とワタシは言いました」
「……でも彼女がそうしなかったら……」
奴は再び首を横に振る。
「ワタシに対してもそうです。もしも、何かの拍子で、ワタシにそういう相手が居た時には、迷わずそれを手に入れて、と」
「……それって…… 彼女もお前も……それで、いいのか?」
「いいのか、もないでしょう?」
「それでお前は、いいのか?」
俺は、繰り返す。奴の腕に、手を伸ばす。奴は俺の方を向き、そして一度視線を逸らし…… そして、俺の手を振り払って、再び、両手で顔を覆った。
「……いい訳が、ないでしょう!」
俺はそれ以上、何も言えなかった。
どのくらい、経っただろう。着いた頃、中天にあった太陽は、秋分を過ぎて、日に日に短くなっていく。夕方が目の前に来ていた。
コノエは、ゆっくりと顔から手を外した。泣いてはいなかった。何やら、いつもよりずっと大人びて見える。元々落ち着いた奴だったが、いつも以上に。……おそらくは、奴の本当の歳相応に。
「帰りましょうか」
「ああ。引っ越しの準備もあるんだろ?」
「明日。も少し小さい部屋にしますがね。キミにまたその場所は教えますよ」
「教えてくれるのか?」
奴は服の砂を払いながら、もちろん、と答えた。
「ワタシの休暇は終わったんです。ワタシはここで命じられたことをしなくてはならない。それがワタシの仕事なんです。だけどそれだけでは哀しい。ワタシはキミにはここに居る間は、一緒に居てほしいんです」
「何で」
「ワタシもタキノも、キミがとても好きだったから。お互いとは別の意味で、キミと寝たいと思う程、キミのことはとても好きだったから」
それで? と俺は目で訴える。
でも、まなざしだけでは、伝わらない。言葉にしなくては。俺がずっと思っていた、気持ち。
「俺も、お前らが、とっても、好きだったんだ」
どちらか片方ではなく。コノエも、タキノも、どちらも。
タキノの細い腕や、華奢な肩や、大きな目や、俺の腕をひっぱって行ってしまう仕草とか、コノエに腕を巻き付ける瞬間も、好きだった。
そしてそのコノエも。
奴が後ろに居ると俺は奇妙に安心した。あの皮肉混じりの、だけどいろんなものの正体をさりげなく全て知っているような態度が、やや目立つその容姿も加えて、俺はずっと、自分の内側に入れていたのだ。ずっと小さい頃から一緒だった連中も、絶対に踏み込ませない場所に。
そして、二人は俺の背を幾度ともなく押してくれた。
「一緒に居る、お前らが、とっても好きだったんだ」
「二人とも?」
「そう。二人とも。……またいつか、三人で、やれたらいいな」
そうですね、と奴は笑った。