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第17話 二人に

「さてカナイ君」


 はい、と言いながら俺は横目で奴の方を見る。


「心配かけて、すみませんでしたね」

「ごはんが美味いから、許してやるさ」

「それはよかった。聞きたいですかね? ワタシ達がこの一ヶ月何していたか」

「お前が言いたくないなら、聞かない」


 無論興味はある。だが、それは無理に聞き出してしまうと、後味の良くないものになるだろう、という予感があった。

 そしてまた俺は、ワインを一口含む。やはり慣れていないせいか回りが速い。何となく、身体が暖かくなってくるのを感じる。


「やっぱりそう言うでしょ」

「そうでしたね」

「お前こそ、その間俺が何していたか、聞かないの? キョーミは無い?」


 俺は少しばかり陽気になってくる自分に気付く。口の回りが良くなってくる。


「キョーミはあるよね」


 タキノもまた、グラスに口を付けていた。持ち方が綺麗だ、と俺は思う。持った時に、袖口から細い手首がのぞく。それを見て俺はナナさんの白い腕を思い出してしまう。


「ワタシも、ありますね。聞きたいと言ったら、キミは話してくれます?」

「うん。俺、何か言いたくて仕方が無いんだ」


 するすると言葉が出てくる。何だろう。


「じゃあ、聞きたい」

「聞きたいですね」

「言って」

「言ってくださいな」


 交互に言う二人の言葉が、絡みつく。曖昧な笑い。気付かないうちに、口が開いていた。

 ぱり、とゆでたソーセージをかじる音。しゃく、とレタスがかじられる音。


「バンド、始めたんですね」


 コノエはそう切り出してくる。クラスの誰かに聞いたんだろう。こいつは耳が速いから。うん、と俺はうなづく。文化祭のことやら、クラスの友達に話したら、結構楽器とか持ってい奴が居たこと。


「お前らがさ、俺歌えるんじゃない、って言ったから、できるかなって」

「へえ」


 タキノはまた曖昧な笑いを返す。どうしてこんな大人びた笑いになってしまってるんだろう。あの黒目がちなくっきりとした目が、驚きや喜びに、いっぱいに開かれることはもう無いんだろうか。


「で、いろいろありつつ、マキノとも話すようになったの」

「でも彼氏、相変わらずですよね」

「でも、結構性格は悪いと思うよ」

「どんな風に?」


 奴はテーブルに片方のひじをついて、何やら楽しそうに俺を見据える。


「まあ、お前ほどじゃないと思うけど」

「それはひどい」


 くくく、と含み笑い。


「今日なんて、俺にこう言ったもん。今までそんな、どうしても欲しくなってしまうような相手はなかったか、って聞かれたんだけど、俺は答えに詰まっていたら、無いんだろ、って決めつけられて」

「だってキミは無いんでしょ」

「お前までそう言うの?」

「だってキミはそうですよ」


 少しばかり、酔いが抜けていくのが、判る。ふわふわしていい気持ちだったのが、突然現実に引きずり下ろされるような。


「どういう意味―――」

「キミは、何かを、待ってるでしょう」

「俺が、待ってる?」

「別に優等生って訳じゃあないのに、何ででしょうね? キミは何か、自分で自分を縛ってないですか?」


 え、と俺はいきなりそれまで上がりかけていた体温が下がっていくのを覚えた。持っていたグラスを置く。ことん、という音が、妙に遠くに聞こえる。


「無論それが全て悪いとは言いませんがね」


 あれ、と俺はふと思う。タキノの位置が、こころもち変わっている。何となく近づいているような、気がする。


「キミがそれでいいなら、ワタシは何も言いませんが」

「俺は」


 言葉に詰まる。


「キミがそのせいでキミ自身気付かないで苦しいんなら話は別でしょう?」

「俺自身が、気付かない?」

「ひどく、簡単なことなのに」


 白い腕が、伸びた。   

 その瞬間、俺は何が起きているのか、理解するのに時間がかかった。

 柔らかい身体が、くっついている。俺の腕に、胸に、腹に。

 そして、唇に。

 伸ばされた細い腕は、するりと俺の頭を抱きかかえるようにすると、そのまま、彼女は自分の唇に俺のそれを押し当てた。


 ちょっと待て。


 俺は混乱する頭で、考える。 何で、彼女が、そんなことしているんだ?

 彼女の唇から、何かがうごめいているのが判る。俺の上唇も下唇をも、交互にゆっくりと、舐めているのが判る。そして、こじあけようとしているのも。

 俺は思わずもがいた。彼女は身体を離した。それまで俺のを舐めていた下が小さく出て、今度は彼女自身の唇にそうしている。


「―――タキノは、コノエの彼女だろ……」

「そうよ」


 あっけらかんと彼女は言う。


「アイシあってるもの。あたしはこのひとがいなくちゃ生きてけないしこのひとはあたしがいなくちゃ生きていけない。今までずっとそうだったしこれからもずっとそうだもん」


 一息に彼女は言う。ひどく平板な言い方だったが、何か、妙に、俺の中に、その言葉の一つ一つが飛び込んでくる。


「だったらどうして」

「だって」


 ふと、背中から腕が回されるのに俺は気付いた。さっきまでくっついていた彼女より、やや高い温度。その腕は、くっ、とそのまま自分の方に俺をひっぱった。

 俺はバランスを崩して、その腕の持ち主の方へと倒れ込む。足が投げ出される。不安定な姿勢。脇の下から突き出された腕が、くっと俺の胸を抱え込んでいる。不安定。俺は背後のコノエの胸に頭をもたれかける形になってしまう。


「コノエお前まで!何やってんだよ?!」


 奴は黙っている。黙ったまま、俺の顔をのぞき込む。視線が合う。心臓が飛び跳ねる。くっついているから気付かれるかもしれない。考えると赤面してしまうかもしれない。アルコールが残ってるんだ、そうだ、きっと。

 投げ出された俺の足をまたぐような形で、タキノが寄ってくる。ああこれって前で開くタイプだったんだ。そんなことを俺は頭の端で思う。ぱっくりと、長いスカートのボタンが開いて、細い足が、俺の足をまたいで露わになっている。


「カナイ君は、考えすぎだもん」

「何が―――」


 のぞき込む、そのブラウスの胸元から、その中がのぞいている。こんなもの、夏には、キャミソールを着ていた時には、嫌でも目に入って…… 何とも思わなかったのに。


「こんなことは、キミが考えるほど、たいそうなことじゃないもの」

「そうそう。キミが頭で考えてどうあがいてもどうにもならない時には身体が一番よく知ってるんですよ」


 耳元で、コノエの声が聞こえる。

 何を言ってるんだ、と反論しようと、肩を動かした。奴の方を向こうとした。と。

 ぐっと、あごを掴まれた。回したままの手で。そしてもう一つの手が、俺の目を塞いだ。そして、さっきとは違う感触が、唇の上にあった。

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