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第9話 帰ったら、電気が消えていた。

 もう寝てしまったのかな、と思って居間に入って灯りをつけたら、ソファの上に、母親が眠っていた。俺は慌てて電気を消した。キッチンへ飛び込んで、冷蔵庫から水を出して、コップに注いだ。

 ソファのそばには電話がある。いや別にコードレスだから、そこでなくともいいはずだが…… いやFAXがある。それだけじゃない。結局、彼女は、電話のそばに居たいのだ。

 俺は電話魔ではない。携帯やPHSにも基本的に興味はない。通信機として持つのは楽しいかもしれないけど……それで彼女に電話をかけられてもたまらない、ということもある。

 電話に執着している彼女を見過ぎてしまったせいかもしれない。遠い向こうの、誰かからやってくる言葉だけを、一人きりの部屋でひたすら待っている、その様子が。

 冷たい水を一息に飲み干す。窓の外では、ぽつん、と雨が落ちだしていた。遠い空の向こうの、親父の居るあたりでは、今頃台風が当たっている頃だろうか?

 小さい頃、やっぱりこんなふうに、台風の夜があった。だけどその時にはまだ、親父も母親も、仲が良かったし、兄貴も同じ部屋で寝起きをしていた。怖いと思って震えると、兄貴に馬鹿にされそうだから、強がってもみせた。おそらくは奴も怖かったんだろうが。

 その兄貴も、就職して、何処かの支店の営業でばりばりとやっている。

 父親に信用されているというのは、何だかんだ言って悪いものじゃない。遊び歩いても、羽目は外さないと思っているのだろうか、俺は困らない程度の小遣いもきちんと貰っているし、足りなかったらバイトでも何でもすればいいと言われている。

 俺はそれで、いい。俺は。

 だけど彼女には、それでは足りない。そして俺はその彼女の何処かから湧いてくるような、何か疲れたようなこの家の中の空気がたまらない。

 誰か。

 俺は何となく心の中でつぶやいてしまう。

 誰か。誰でもいい。彼女をこの家から連れ出してやってくれ。

 誰のためでもない。俺は、自分のためだけにそう思っているのだ。彼女のためを思っている訳じゃない。決して。

 ベッドに入ると、風と雨の音がどんどんひどくなってくるのが、ひどく耳についた。

 そういえば、マキノはどうしているんだろう。

 何となく、俺は気になった。



 台風一過の翌朝、マキノは学校を休んだ。



 ぎらぎらと、太陽が目にまぶしい。

 夏休みが始まって、俺はいっそう家に寄りつかない日々が続いていた。

 母親には、「友達と一緒に図書館で勉強してくる」とか、「今日は補習授業があるんだ」とか言って。

 まあ間違いではない。学校の図書室に行く時もある訳だし、コノエとは遊ぶのがメインだが、全く勉強していない訳でもないのだ。

 勉強は、初めはタテマエ的だったのだが、意外に俺は奴の部屋に行くと、本を開いていた。

 どうもコノエという奴は、高校生のレベルは軽く飛び越えているらしいことに、俺も最近気付いてきた。

 置いてある本もそうだ。書き込みの訳の判らない横文字。

 例えば現代社会を説明する時に、時々飛び出す経済用語。出てくる政治的用語。それに絡む現在の政治。思想家の歴史がどーとか、妙に詳しい。明らかに、一通りさらった奴でないと、こうは判らない。

 社会だけでなかった。どうも英語や数学に関しても、同じらしい。

 英語に関しては、タキノまで奇妙に上手かった。時々かける、洋楽のCDに合わせて彼女はよく歌うんだが…… その発音がずいぶんと綺麗なのだ。ネイティヴ・スピーカーのようだった。学校の外人講師の喋り方を思い出させた。時には初めて聞いた曲の歌詞に「哀しいうただよね」とか言い出す。俺にはさっぱり判らないというのに。

 ただ理科と国語に関しては、奴は何も教えてはくれない。

 一度だけ俺も聞いたことがある。化学の元素記号の暗記方法を訊ねた時だった。水兵リーベ…… という奴だ。つなげて言うと、元素記号の周期表になるあの暗号。

 軽い気持ちで聞いたのだが、意外にも即座に、「ワタシは専門外だから」といつもの口調で返してきた。

 国語も同様だった。いや、その時は「専門外」ではなく、「趣味じゃないんですよ」だったかな。とはいえ、古典の文法だけは丸暗記しているように詳しかった。だがそれ以外については、何も言わない。現代国語についてなど、「そんなものは、本を数読んだ奴の勝ちでしょ」の一言で終わった。

 ……あと保健体育が奇妙に詳しかったが…… 何故詳しいのかは聞くのが怖いので、やめた。

 とにかく社会科と英語と数学に関しては、奴は実に頼りになる友人だった。時々問題集を開く時が無い訳でも無いが、それはどうも、問題を解くというよりは、「出そうなパターンをとりあえずさらっておく」という感じなのだ。

 しかも、どれだけ俺が「解けねーっ」と言っていたところで、あるとっかかりに気付くまで、絶対助言をしない。全くいい根性だ。いや、それとも俺の性格をよく知っているというのか。

 まあそんなこんなで、俺は何故か遊んでいるようで、勉強などもしてしまっていたのだ。

 で、遊んでもいた。

 とはいえ、さすがに高校生、奴はどうなのか知らないが、俺は基本的にただの高校生なので、ふところにも限度がある。ライヴハウスもゲーセンもカラオケも、安いところを狙って行くしかない。

 例えば、平日の昼間のカラオケ。例えば、1ゲーム50円のゲーセン。

 そういうところで、如何に時間目一杯楽しむか。ゲームだったら、50円玉一つで、どんだけ長時間楽しむか。妙にそういうところに血道を上げてしまうのだ。

 なかなか笑えるのが、コノエはこういうゲームに関しては、俺やタキノより下手なことだ。あの何考えてるか判らない顔が、こういう時だけ真剣になるのが、奇妙におかしい。まあ奴に言わせると、慣れてないということなんだが…… それにしても。

 ライヴハウスにもよく行く。と、言っても、最近の行きつけは、ドリンク券だけでライヴが見られるACID-JAMだ。そのくらいだったら、週一で通っても、休みの初めに単発で三日ほどやった、本屋の棚卸しのバイト代で間に合う。

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