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第28話 アルビシンの船が来る

「…船が来た?」


 端末が告げた言葉を、俺は思わずそのまま返していた。ええ、と端末はうなづいた。

 廊下からの光に、逆光で表情までは掴めなかったが、決してそれが笑顔ではないことは、容易に想像できた。

 時計を見ると、朝だった。朝も朝、日照時間の短いここいらでは、時間はともかく、空はまだ暗い時間だった。

 俺は隣に丸まっていた歌姫を揺さぶって起こすと、端末について、中央制御室へと向かった。

 そこには、ここいら一帯の状況が見渡せる設備があった。奴が俺達を確認し、導きよせたのは、この機能のせいだった。今となっては怒るにも怒れないが、端末は、俺達が不時着した時点からその行動を見ていたのである。

 端末の彼は、この近辺50㎞半径の地図をスクリーンに映し出した。その中に、赤の光点が一つ、輝いていた。


「ここ、です」


 彼は手を上げ、やや上にあるそのスクリーンを指した。


「だいたいあなた方がやってきた方向です」


 俺はぴしゃ、と自分の額を叩いた。しまった。

 あの時。戻ることを期待して、打ち上げた救命信号。あれが何処かに届いてしまったに違いない。皮肉だ。ここに留まることを決めた今になって、そんなものがやってくる。

 ちら、と歌姫のほうを見ると、奴はかなり不機嫌そうに口を一文字に結んでいた。何って余計なことをしたんだ、という罵詈雑言が今にも口を開いて飛び出してきそうだった。


「困りましたね」


 端末はぼそっと言った。彼もまた、やや不快そうな表情を眉間に浮かべている。


「何か、困るのか?」

「…ちょっとこの船は規模が大きいですね。しかも機体の損傷とかは無さそうですから、下手するとここも見付けられる可能性があります。あまり喜ばしいことではありません」


 だろうな、と俺は腕を前で組んだ。利用価値のある俺達、馴染みのある俺達個人はともかく、彼らは人間全般は敵と見なしている。


「だいたいいつも、漂着した奴らはどうしてるんだ?」

「場合によりますね」

「と言うと?」

「ここを見付け、私を利用しようという動きが見えたら、その動きに応じて、私は応戦します」

「応戦」


 何となくこの端末からは想像のしにくい言葉だった。この一見穏やかそうな外見のせいかもしれない。だが彼はこの身体で相対することはまず無いのだという。


「程度がひどければ、その場で消去することもありますし、そうでなければ、ポッドに乗せて打ち上げますね」


 自分達が彼らにとって利用価値があって良かった、としみじみ思った。

 いや俺達、というより、利用価値があったのは歌姫だろう。俺はそのおまけに過ぎない。

 でもまあそれはどうでもいい。とりあえず俺は彼らにとって、危険人物とは見なされてないようだ。それにもし何か悪いことが起きても、その時はその時なのだ。

 とりあえずは、ここで生きていくなら、この目前の問題を片づけなくてはならない。


「じゃあどうする?」

「この機体に、見覚えはありますか?」


 スクリーンが切り替わる。途端、俺の目はそこに釘づけになった。

 灰色の流線型の機体。確かに小さくはない。だが大きくもない…そして、サイドに、アルビシンのマークが描かれていた。

 俺は思わず顔を歪めた。とどめが、流れる赤の五本のライン。

 何だって、よりによって。


「…運が良ければ、か…」


 歌姫のつぶやきが、耳に飛び込んだ。


「どうすんの? お前」


 奴はちら、と俺を見る。俺は迷わずに答える。


「…決まってるだろ」

 端末は、さりげなくそっぽを向いていた。



 二時間です、と端末は告げた。

 二時間経ったら、私はその船に容赦なく攻撃をします、と。俺はうなづいた。端末の彼にそれ以上は望めなかった。

 彼はその機体を見付けた時、即座にそれを撃墜しても良かったのだ。それが、この惑星を人間達から奪い取った彼らの権利なのだ。俺達が口出しできることではない。

 極端な話、俺もまた、見過ごしても良かったのだ。この惑星の上で生きていくことを選んだ以上、むしろ、そうしなくてはならない、と思いもしたのだ。

 ただ、それができない理由があった。

 少なくとも、俺が呼んだのだ。俺が呼んだものを、むざむざ見殺しにはできない。

 乗組員に、戻ってもらうように説得したい、と俺は端末に言った。端末は少しの間考えていたが、時間を限定して、許可をくれた。たったの二時間だった。雪の上を走り、そこまで行くのに一時間程かかる。説得の時間は長くはない。


「何が見えたの」


 歌姫は、その場に向かう雪上車の中で、俺に訊ねた。


「赤の五本のラインだ」


 俺は答えた。ふうん、と奴はうなづき、窓の外を見た。それ以上は奴は訊ねなかった。

 またあのふわふわのコートに全身はくるまれ、奴は毛皮のかたまりのようになっている。


「お前まで来ることは無かったのに」


 俺は歌姫に言った。すると奴は、ばぁか、と一言放った。

 行かない、と俺は奴に言った。繰り返し言った。何度も言った。それでも疑い深いのか、それとも何か別の考えがあるのか、奴はそれ以上俺には言わなかった。

 ただあの時のように、ひたすらぼんやりと夜明けの雪景色を眺めているだけだった。


「…そう言えばさ」


 不意に奴が口を開いた。


「お前と会った時にも、こうゆう感じの空じゃなかった?」

「あん?」


 ほら、と歌姫は窓の外を指した。俺は車を止め、陽の昇る方角に目をやる。ああ、と俺は目を大きく広げ、その光景にしばし見とれる。

 灰青色の雲の淵が、金色に染まる。ゆっくりと色を変える空は、あくまで澄んでいる。深い青。遠い青。それが雲の周りに漂い出す光にゆっくりと染められ、その色を次第に変えていく。金色に、薄紅に、また漂う雲の色をも灰色から白や金やセピアに変えていく。


「綺麗、だよね」


 短く歌姫はつぶやく。


「…ああ」


 俺はうなづく。本当に、綺麗だった。


「最初に来た時にも、思ったよ。すごく、この惑星の大気は、俺には心地よいんだ。すごく、そこにあるのが自然なものだけがそこにある。何処にも無理が無いんだ」


 何となく、俺は奴の言いたいことが判るような気がする。


「だから、この惑星には、人間を来させてはいけないんだ」

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