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第19話 暁の歌姫の揺るがすもの

 ざば、と頭の上から湯をかけてやる。ぶるぶると頭を振ると、銀色の髪は、水しぶきを飛ばす。

 湯当たりなのか疲れなのかそのあたりは判然としないが、歌姫はひとしきりしたあと、ずる、と身体を起こすと浴槽のへりにまた身体をもたれさせた。

 気温と湿気、そして身体の奥からの熱が、お互いの全身からじっとりと汗をにじませていた。

 俺は自分のそれを一気に流すと、残されていた海綿に湯とシャボンを一杯に染ませると、奴の身体をそれでこする。もう情欲とは別だ。それはそれで、さっぱりさせたいところだった。

 頭も同じだった。髪専用などという気の利いたものは見つからなかったから、直接シャボンをつけてかき回す。

 目を閉じて、奴はひどくゆったりとした顔をしている。湯をかける。今にも眠りそうだった。だけどここで眠られても困る。


「起きてろよ」

「…起きてるよ」


 だらだらとシャボンを洗い流す。そんなひどくゆったりとした時間の中で、歌姫は眠気覚ましだろうか。それまでしなかった話を始めた。


「…俺さあ、別に、好きじゃあなかったよ」


 ふうん、と俺はあいづちをうつ。何が、とは聞かない。予想はつく。


「だってさ、好きなひととはそうできなかったから。いつも」

「好きじゃない奴とはできたのか?」

「うん」


 歌姫はうなづいた。


「だって、その時好きだったのは、女のひとだったから」


 なるほど、と俺は思った。意外に驚かない自分に気付いた。


「好きだって言っても、信じてもらえなかった」

「…一度お前に聞きたかったんだが…」

「何?」


 独り言のような口調。真っ赤な目はまだとろんとしている。

 少しつっつけばまだ倒れ込めそうな雰囲気はあったが、さすがにこの場でそんなに長く続ける程、歌姫は暑さには強くはなさそうだ。


「お前は故郷でどっちとして育てられたんだ?」

「男か女かってこと?」


 俺はうなづく。少し考えるような顔をして、歌姫はどうだろ、とつぶやいた。


「…育ててくれた人は、女にしたかったみたいだね。歌姫、だから。女でいてくれた方が楽だと思ったんじゃないかなあ」

「楽?」

「男の『歌姫』は、取り扱いが厄介だと言われていたから」

「何で」

「お前知らないの?」


 知らない、と俺は答える。そりゃその声の効用は多少は聞いてはいたが…


「あのさお前、どっかの馬鹿が、放送とかで使うので、男の歌姫って見たことがある?」

「無いが」

「だろ? 何でだと思う?」

「何でだ?」

「女の歌姫は、人の心を揺るがし、男の歌姫は、大地を揺るがす」


 歌姫は棒読みの口調で言う。それは俺も、聞いたことがある。


「…だからさ、人の心を動かすのは、女のひとの高音なんだ」

「…男の低音は、違うのか?」


 こすった腕の内側が、赤くなる。


「男の低音は、人間の心には作用しない。逆だよ。人間以外のものに作用するんだ」

「人間以外?」

「人間以外だよ」


 人間以外のもの。俺は想像してみる。…何かとりとめのない言葉だ。


「だからさ、大地を揺るがすだろ?」

「自然か?」


 口に出した問いに俺は自分でも驚く。それはもしや。歌姫は目を伏せる。


「当たりと言えば当たり。でも、自然だけじゃないんだ」

「自然の意志?」

「と言うか、全てのものの意志」


 …話が大きくなってきた。


「…自然もそうなんだけど、…だから、自然は、男の歌姫の感情に同調して、…例えば、海に道を作ったり、大地を割ったり、そういうこともする。でもそれだけじゃない。人間以外のもの、は自然だけじゃない」

「…と言うと?」

「例えば機械」


 ぴた、と奴の首すじをこすっていた俺の手が止まる。


「だいたい最近の宇宙船って、メカの命令系は、一つに集中させられてるんだって」

「…ああ」


 俺も一応飛行機乗りだったのだ。


「それに、同調させることができたら?」

「させたのか?」


 とっさに浮かんだ問い。歌姫は、黙ってうなづいた。


「…『暁の歌姫』、ってのは、男であることも女であることもできないんだけど…逆に、男の歌姫でもあり、女の歌姫でもあるんだ」

「…」

「オゲハーンの軍が、俺を特に掴まえたのは、そのせいだ。俺はプロパガンダのため、よりは武器として、捕らえられた。敵軍の、襲い来る飛行機を狂わす武器として」

「…何で」

「敵軍の飛行機が、民間の地までも爆撃を始めたからさ」


 俺は自分の中の血が一斉に引く音を感じた。

 それは、俺のせいなのか? 歌姫が捕らえられたのは、俺のせいだと、言うのか?


「…馬鹿馬鹿しいよね」

「…馬鹿馬鹿しいよな」


 俺の考えていることに気付いてか気付かずか、歌姫はそんな言葉を言う。俺は似た言葉を繰り返す。


「俺自身は半信半疑だった。だって、俺の惑星には、そんなにややこしい機械は無かった。できない訳ではないとは思ったけど、実際やったことないものに、そんな武器としての価値を持つ気持ちは判らない」

「でもお前は連れて来られたんだな」

「お前手が止まってるよ」


 歌姫は俺に指摘する。海綿を動かす手が復活する。くすぐったいのか、気持ちいいのか判らない表情を奴は浮かべながら俺を見る。


「連れて来られた。…でも連れてきた連中は、俺が何なのか、よく聞いていなかったようだよね。少なくとも武器じゃなかったみたい。珍しい生き物。珍しい綺麗な『男じゃないもの』。そういう目で最初から見たよ。だから嫌な予感はしていた」


 つん、と胸のあたりに針で刺したような痛みが走る。


「案の定、奴らは俺に手を出してきた」

「抵抗はしたのか?」

「したさ。でも人数が多くなった時点で、しても無駄と思った。俺はお前と違って普通の、そういう力は無い」


 視線が、不意にこちらを向く。


「だから俺は、叫んだんだ。男の声で」


 歌姫は、繰り返す。


「俺は、男の声で、叫んだんだ。ここから逃げたい、と思いながら」


 喉に詰まるような、何やら突き上げるような感触。


「何処だっていい、何処でもいいから、ここから逃げたい、と俺は思ったんだ。その時。奴らに組み敷かれた下でさ。…できるかどうかは判らなかったけど…でも計器はいきなり狂った。ううんそうじゃないね。船自体が、俺の意志を映し取って、何処かへと行きたくなってしまったんだよ」

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