目を半ば伏せて、とろけそうな笑顔が間近にあった。
バランスを崩したふりをして、奴は俺の上に倒れ込む。俺はその白い身体を抱え込む。華奢だ華奢だと思ってはいたが、思っていた以上だった。
確かに子供を産める身体じゃないから腰は細い。
だけど少年のように肩が張ってもいない。抱え込むと、すっぽりとその胸は背中は腕の中に納まってしまう。今まで服に隠れてあまり見えなかった首の線の細さは少女の様だ。
濡れた銀色の短い髪から水滴が落ちて俺の顔に広がる。奴はくすくすと笑いながら幾度も俺の顔をついばんだ。
俺は俺で、歌姫の背に回した手をゆっくりと動かしていた。柔らかい感触の下に、少し力を込めたら折れてしまいそうな骨の存在が判る。
そして左手だけを、背から外し、奴の髪の間に指を差し入れた。
瞳と同じ色に染まった頬をそのままするりと撫でる。歌姫は一瞬瞳を閉じる。色づいた唇が微かに開く。そして俺は自分のそれを押し当てた。
体勢が少し変わる。押される形となった歌姫は、のしかかるような俺の重さに今度は本当にバランスを崩し、そのまま頭を後ろに倒した。何か掴むものが欲しいとばかりに、細い腕が伸ばされる。
視界が歪む。湯の中に、引きずり込まれる。口の端からあぶくが漏れる。髪がゆらめく。数秒。俺は奴の背に回していた手を大きく引き上げ、立ち上がった。唇を離す。だらだらと長い髪から、水が滴り落ちて、時々目に入ろうとするから、なかなか目が大きく開けられない。
重力が身体にかかる。慣れないものに長く浸かっていたせいか、歌姫はぐらりとよろめいた。俺は奴を猫のように抱え上げると、浴槽の外にちょんと置いた。
確かに少し湯当たりしているようだった。置いた場所から少し身体をずらすと、奴はへりに背をつけてぼんやりと半円の窓を眺める形になる。そして濡れていた身体は、そのままずるずると床の上に広がった。
浴室の床は、淡いクリーム色のタイルが敷き詰められていた。窓から差し込む光の効果を考えたのだろうか、ちょうどその床にスデンドガラスごしの光が当たると、そこだけが海の底のようなゆらゆらとした模様を描き出す。
両腕を頭の上に投げ出して、歌姫はそのまま天井を眺めていた。
「大丈夫か?」
俺は奴の顔をのぞき込みながら訊ねる。だいじょうぶ、とかすれた声が答える。
さすがにそう言われては、もう止まらなかった。
歌姫は手を伸ばして、自分を見下ろす俺の髪をかき上げた。そして顔だけを起こして、もう一度と唇を求める。それに応える。のしかかる。そこに柔らかな胸が無いのが不思議な程に、掴んだ肩は細い。
手をそこから首筋に這わせると、口の中で軽い音が響いた。きん、と頭の中に何かが響く。何だろう、と俺は思う。
大きく息を一度つくと、そのまま俺はずらした唇を顎の裏から耳もとまで這わせる。
ゆったりと、その動きにつれて、頭が動く。未だ少し開かれたままの唇から、微かな声が漏れる。その声がするたびに、俺は背筋にぴり、と電流のようなものが走るのに気付いた。
ああ、共鳴しているんだ。
あの時と同じだ、と俺は気付いた。悲鳴を上げる奴の、最悪の記憶が、映像ではなく、その感覚として俺に共鳴を起こした時のことを。奴の感じているものが、俺の身体に、その声を通じて走り抜けていくのだ。
固い鎖骨のくぼみから、そのまま、なだらかな胸に、二の腕の柔らかな内側に、そしてあばらの透けるような脇腹に、少しそれよりは柔らかな腹の上に、一つ一つ俺は跡をつけていった。歌姫の白い肌は、それを克明に刻んでいく。彼女は嫌った、その跡だ。
だが歌姫は大きく息をつきながら、そして時々小さな声を漏らしながらも、それを厭う様子はなかった。むしろ、その表情は逆の方向に変わっていく。
だが俺はややその次へと進もうとして躊躇した。勝手が違うのだ。
いや女でないから、ということではない。友人の中にはそういう趣向の奴も居た。いくら女が多い星域とはいえ、いくら女が多い軍隊だったとは言え、全くそういう趣味が皆無という訳ではない。
それに自分も男だから、何処をどうすれば気持ちいいかくらいは判る。だがそのどちらでもないというのは。
そしてそのためらいが判ったのか、奴はぼんやりとした表情をやや曇らせ笑みを浮かべ、腕を立て、身体を半分持ち上げた。奴は自分自身に刻まれた跡に目をやると、唇の端を軽く上げた。そして俺の手を取ると、自分自身に触れさせる。
それは、何と言うのだろう?俺は妙に悲しい気持ちになる。
「ここでは、何も感じないんだ」
低く、柔らかな声で歌姫は言う。
「俺は、そういう生物なんだ。代わりに何を貰ったとしても、俺は」
その昔、それでも時々は出てきたという、どちらも半端にあるというのでは、なく。
「…気持ちわるい?」
俺は迷わずに首を横に振る。歌姫は再びその綺麗な顔に、笑みを浮かべた。
「お前は、そういうと思ってた」
彼女の姿がだぶる。あの夜、自分が男でも好きになったかとと訊ねた。俺は判らない、と答えた。
ああそうか、と俺は思う。そういうことでは、ないんだ。
そして奴は俺の手をその奥へと動かさせる。いいのか?と俺は訊ねた。
「いいも何も」
それは相手次第なのだ、と歌姫は無言で示す。苦痛も快楽も、それをする相手次第で変わる。
そんな仕草一つ一つが俺の視覚に訴え、身体の中に火をつける。膨張する感覚。目の裏に太陽が浮かぶ。大きく息を吐き、俺は歌姫の背を抱え、膝の上に乗せると、もう片方の手で、そのままその場所を突き止めた。
半分開いた目に、涙が浮かぶ。生理的なものだ、とは知ってはいた。だが真っ赤な目のはじに浮かぶそれは、少しばかりそちらの胸まで痛める。
俺は歌姫の腕を取ると、自分の首にそれを絡めた。つかまるものができたとばかりに、奴はぎゅっとしがみつく。微かな動きにつれて、髪からまた、水滴が落ちる。まさぐる場所は、俺の知っているものより、熱く、柔らかい。だが本当に大丈夫かと不安にもなる。
とは言え、俺自身にも、限度というものがあった。顔をのぞき見たら、奴は口元を上げた。それを見て。
手を添えて、ゆっくりと。
彼女にそうした時より、前のめりになった身体が、密着する。鼓動が、伝わる。
大きく肩が上下する。俺は奴の身体をゆっくりと下ろしていく。こころもち上げたあご。やや苦しそうに寄せられた眉。ぐるりと首が回る。唇が開く。腕に込めた力が強くなる。
そして一しきりそんな動作をしたかと思うと、今度はその俺に回した自分自身の腕に歯を立て、何かをこらえている。
俺はそこから歯を外させると、やや強引にまた唇を重ねた。気が逸れたせいか、力が抜ける。その隙をつくかのように、奴の身体を深く沈み込ませた。
離れた唇が大きく開く。
声が上がる。
途端、何がが俺の背中から頭の後ろを駆けのぼった。
感覚が伝わっているのだ。それが俺自身をも、強く揺り動かす。普段なら感じない感覚をも、俺は歌姫を通して受け取っていた。
がくがく、と俺は背に回した手で、奴の身体を揺り動かす。
はあはあ、と息づかいが荒くなるのが聞こえる。
ゆらゆらと首が揺れる。
薄く開けた目が、天井を見上げ、力の完全に抜けた、凶悪な程の視線を時々何かの拍子に俺に向ける。
笑っているように、見える。
それが声になっているのかは判らない。本当に、声になっているのか、は。
だけど俺には伝わってきた。
あはははははははははは、と笑う声が、頭の中に乱反射する。
キラメキ。
窓の斜めに入る光。
目の裏の太陽。
頭の中が、白く、爆発…