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銀の歌姫~忘れられた惑星に落ちた二人
江戸川ばた散歩
異世界恋愛フューチャーラブ
2024年10月20日
公開日
80,849文字
完結
星間戦争真っ最中の遠い未来の時代。
撃墜されたパイロットのチュ・ミン。敵に護送される途中に船が不時着。
見渡す限り雪の地でサバイバルを強いられる。
乗組員の中でただ一人生き残ったのは、希少種族メゾニイトの少年とも少女とも言えない若者だった。
ただその若者が「歌姫」であったことが、チュ・ミンの寒中サバイバルはなかなか奇妙なものになるのだった……

第1話 のたれ死にだけは勘弁してくれ

 寒い。


 と目覚めた時、俺はまず思った。


 麻酔のかかった頬に、大量の針が突き刺さっているようだ。

 それもその筈だ。雪の中に、自分は顔を半分突っ込んでいるのだ。

 顔だけではない。手も足も、柔らかで真っ白な雪の中に、ずっぽりと入り込んでしまっている。

 他の部分は一応それでも服で覆われているが、顔だけはそうもいかなかった。

 起きあがらなくては。

 だが身体が、ひどく重かった。

 でもまだ動ける。動こうとしてみた。

 足が、手が、顔が、動く。動こうとしている。俺は動いてみる。

 頭を上げる。まだ眩暈がする。

 埋まっていた顔半分は、冷たく、ひどくこわばって、口の端を動かそうとしても、なかなか思うようには動かせない。

 それでもゆっくりと腕を引き抜き、感覚の無いままに力をかけて上半身をも起こすと、ざらり、と肩から髪が落ちた。伸ばしっぱなしにしている、黒い、量だけは多い髪が、白い雪の上に広がった。

 腕を引き抜いた穴を見ると、白い雪の中に、赤い染みが広がっていた。

 何処かケガをしたのだろうか。ちら、とまだ力が上手く入らなくてだらりとぶら下がったような左腕を見る。


 いや違う。俺じゃない。


 確かに血が袖についているけれど、それは俺のものではない。服は破れてはいない。誰か、あの騒ぎの中で俺の前に立った誰かのものだろう。

 そしてゆっくりと足をも引き抜き、立ち上がろうとした。

 膝が硬くこわばって、曲げようとしても曲がろうとしない。力を入れようとしても入らない。入れ方を思い出せない。

 とりあえず、今すぐ立ち上がることは断念して、その場に座り込んだ。

 無駄かもしれないが、足の関節を、よくこすり始めた。そうすることによって、手も動かす理由ができる。手とつながる上半身の筋肉も、そしてそこからゆっくりと全身を内側から暖めることができるだろう。

 そんなことをしながら、ゆっくりと辺りを見回してみた。何やらひどくまぶしい。

 一応昼間らしい。とはいえ晴れている訳ではない。

 空は薄い灰色のまま、低く雲がたちこめている。だが一面の銀世界、ただただ白い光景は、見つめていると、次第に目が痛くなってくる。

 ポケットの中をかき回す。とはいえ、何かが入っている訳でもない。


 そもそも。


 頭を小さく振って、考える。


 俺が何も持っている訳がないじゃないか。


 ―――灰色の空の中に、黒い煙が混じっている。それは背後の、船が落ちた場所から上っているはずだ。まだくすぶっているはずだ。そう簡単に燃え尽きてしまうようなシロモノではない。

 そう、船は落ちたのだ。そして俺には、元々何も無い。

 ひどく、寒い。改めて俺はそう感じた。ロクなものを着ていない。

 どんな具合なのか、目が覚めたのは運が良かったのだ。おそらくは、ほんの僅かな間なのだろう。不時着した脱出船から放り出されてから、数分も経っていないだろう。

 長い時間眠っていたら、そのまま永遠にお休みとなるところだった。

 唇を噛む。それだけはごめんだった。

 動かす手を速くする。次第に、手に熱を感じ始めた。必死でこする。ほんの少しの熱を、少しでも広げようとする。硬くこわばっていた筋肉が、ゆっくりとゆるみ始める。


 だってなあ。


 内心つぶやく。


 このままではのたれ死にだ。


 それだけは勘弁してくれ、と思った。せっかく生き延びたのだから、死にたくはない。

 今はくすぶっている船が失速し墜落する中、俺が飛び出し、九死に一生を得たのは、護送船だったのだ。

 捕まって、運ばれる途中だったのだ。



 ようやく感覚が戻ってきた足をゆっくりと動かしながら、俺は船の落ちた方へと近づいて行った。

 何か、残っていないだろうか。焼け残っていてくれれば御の字だ。

 おそらくあの状態では、助かった者は無いだろう。近寄るとそれはひどいものだった。

 機体の炎上は既に治まっていた。だが中には果たして人間が居たのだろうか?

 脱出したのかもしれない。俺のように。

 だが護送されていた俺には、どれだけの人間が居たのかも判らない。

 果たして逃げ出したのか、それとも跡形も無く焼け死んだのか、そのあたりはさっぱり判らないのだ。

 とにかく俺は、何か焼け残っているものが無いかと、まだ熱の残る機体の残骸に近づき、物色し始めた。

 幾つかの耐熱コンテナは無事だったようだ。壊れてはいないが、落下のショックのせいか、あちこちが変形し、扉が簡単には開かない。

 見回すと、やはり熱変形した銃が転がっていた。俺はその中から慎重に弾丸を抜くと、ただの鉄のかたまりとなったそれで耐熱庫に強く爪を立てた。

 幾つかのコンテナを、無理矢理にこじあけて、中身を確かめると、さすがに俺はほっとした。

 何も入っていないものもあったが、その半分は、確実に実の詰まったものだった。食料に衣類、それに武器。どうやらそれでも、護送する囚人の反乱を懸念していたと見える。

 衣類の中からとにかく着られるものを見繕い、動ける程度に着込んだ。衣類を縛っていた紐で、いつの間にか長くなってしまった髪もくくった。

 それまで隙あらば体温を奪おうとしていた冷気が、やっと俺の皮膚表面から去った。首の回り、足先、手先といった場所をきっちりと覆うと、ずいぶんと体温の拡散は防げるのだ。

 そして中にあった赤いパッケージのハードブレッドと、暖める前のパックのスープを口に流し込むと、ようやく人心地ついたような気がした。

 もう少し探せば、固形燃料の一つも見つかるだろう。

 無ければ、そのあたりの紙屑を燃してもいい。暖をとる見込みはある。それにとりあえずこのコンテナは、外よりは寒さを防げそうだった。

 そしてようやく、辺りを見回す余裕ができる。それまではただ寒いだけで、目に映るものを観察する余裕すらなかったのだ。

 見渡すと、ひたすらそこは銀世界だった。何もそこにはなかった。

 俺の故郷なら、雪が降っても、何かある。

 常緑樹の濃い緑。葉はなくともその肌を寒気にさらしている広葉樹。地面にじっと手を広げて伏せ、時期を待つ草―――

 木々や草だけじゃない。高い鉄塔、揺れる電線、遠くの街並み、向こうからやってくる車――― 何かしらが目に飛び込んできた。


 だがここには何もなかった。


 俺はそれに気付いた時、暖かい服で身体を覆ったはずなのに、背筋に一気に悪寒が走った。

 ここには何もないのだ。

 そう改めて思った時、俺は思わず走り出していた。

 白い白い雪。何の手も加えられていないその美しい白い表面は、そこに足を踏み入れることを拒んでいるかのようだった。

 見渡す。髪が揺れて、首にまとわりつく。俺は馬鹿みたいに首を振りながら、走っていた。

 だが雪だ。簡単に走れる訳がない。深い場所にいきなりはまりこみ、バランスを崩す。そしてまた、頭からその場に倒れ込んだ。


 と。


 その時、目の端に何か赤いものが飛び込んできた。

 俺は慌てて身体を起こした。そして見間違いじゃないだろうな、と自問自答しながら、その方向へと足を動かした。

 少しばかりうずたかくなった雪のなだらかな曲線に、どうやらそれは隠れていたらしい。

 回り込む。ざくざくと音を立てて、雪を踏みしめた。

 俺は足を止めた。見下ろす。

 そこには、確かに赤があった。俺は目を見張る。


 真っ赤な服。


 見事なまでの銀色の髪を耳の下あたりで無造作に切った――― 人間が、大きく手足を伸ばし、寝そべっていた。

目を閉じている。


「何やってるんだ?」


 俺は思わずそう訊いていた。他に聞きようが無かった。そしてゆっくりと、瞳が開かれる。俺は目を見張った。

 そこにも、赤があった。

 大きく見開かれた瞳は、―――真っ赤だった。


「別に」


 低い声が耳に届く。

 男か、とやや俺は落胆する自分に気付く。

 実際、目にその姿が飛び込んだ時、俺はまず性別の区別に混乱した。

 その等身からして、いいところ俺の肩くらいしかない。

 耐熱防寒の効いたその真っ赤な服は、ヴォリュームがあるのだが、ありすぎて、逆に中身の小ささ細さを強調してしまう。

 目に飛び込んだのは、この服の赤だった。思えば、それはこの相手の姿を予告していたのもかもしれない。

 真っ赤な色の目。


「……お前」

「うるさいなあ」


 そして突然、ひどく不機嫌な顔をしてこいつは起きあがる。軽く頭を振ると、髪についた雪が、ぱさ、と音を立てて落ちた。


「せっかく誰もいない場所で、静かで気持ちいいと思ったのに」


 気だるく、溶けそうな声だった。

 雪を払いながら奴は立ち上がる。

 確かに小柄だ。思った通りの背の高さしかない。

 ぱっと俺の方を見ると、間髪入れずに言った。


「変な格好」

「何」


 思わず奴の方を見た。

 真っ赤な瞳と正面からぶつかる。だが力は無い。

 その大きな目は、眠そうに半ば伏せられている。


「すっげえよせあつめ。珍しい感覚だな」

「悪かったな。これしか無かったんだよ」


 ふうん、と奴はうなづいた。口に出してはみたが、大して興味のあることではないらしい。

 それより、と俺は切り出した。


「何?」

「お前、―――まさか、『銀の歌姫』種じゃないか?」

「そうだよ」


 あっさりと答える。


「見れば判るだろ」

「そりゃ、そうだが」


 だが。


「それとも、珍しい?」


 俺は、言いかけようとした口を閉じた。

 奴の言うことは間違ってはいない。聞き覚えしか無いこの種族は、ひどく珍しかったのだ。


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